第四十三話
夏休みの読書感想文にはフィリップ・K・ディックの短編「ジョンの世界」を推したい
シンプルなストーリーと美しくも無情かつ絶望的なラストシーンが好きな作品です
「魔妖夷じゃ」
さくらのつぶやきに全員の表情が固まる。つられて子供達は空を見上げた。
しかし、理一たちには普通の空しか見えないようだ。
「何も見えないぜ。2人には何か見えるのか?」
「うむ。わらわとコロ左衛門を除けば、初音と茶太郎くらいにしか見えぬ。
黒い雲、それと赤い稲妻じゃ。いずれ奴らが現れるかもしれん…」
「わかったわ、急ぎましょう」
さくらは急いで乗り込み、ワゴンのドアを閉めた。
――魔妖夷は恐怖を感知して現れる。そして初音を狙っている。
すぐには初音を襲おうとせず、ある程度街から離れた所で狙ってきたか。
だがそれならもっと早くても良い筈だった。ここに来るまで人通りの少ない農地付近を走ってきたのだ。
初音は恐怖を感じていないわけでは無い。だが、子供達といることでそれが軽減されている。
このタイミングを狙ってきたのではない、やっと出現できるようになったのだ。
魔妖夷に対し、恐怖を乗り越えることで出現を阻むという理一の発想は、全くの間違いではなかったのだ。
道の駅から離れ、しばらく走った。カーナビの設定で、なるべく桜の樹…神仏の力が宿る樹が多く並ぶルートを選び、千歳は運転していた。
子供達も楽し気に会話してはいるが、その表情にはどこか不安がある。
さくらの視線は常に上空に向けられている。自動車への不安や恐怖は吹き飛んでいたようだ。
その最中、初音はさくらの横顔を見ていた。
とくに意識して見ているわけでは無く、自然と視線を送っていた。ただ、じっと見つめていた。
しばししてからそのことに気付き、慌てて前方に視線を向ける。
頬が熱い――周りのクラスメイト達に気付かれていないかと、初音は自身の頬に手を添える。
膝の上では茶太郎が不思議そうな顔で見上げていた。
そして見つめられていたさくらも初音の挙動に気付き、振り向く。
「初音、どうかしたかの?」
「わふ?」
茶太郎とともに訊いてくるさくらに、しかし初音は先日の入浴時のように慌てたりはしなかった。
「――ううん、何でもない」
初音は自分の気持ちを理解しているわけではない。
だが、さくらはその答えを急かさない。
あえて距離を取ろうとするかのように、ただ鷹揚に、初音の答えにうなずくだけであった。
「左様か」
「フニ~」
答えを急かさないさくらの反応に、今の初音は落ち着いていられた。
目の前にいるさくらが、自身の心に花を咲かせたことを、初音は理解している。
そんなさくらの一歩引いた視線があるからこそ、落ち着いて答えられた。
やがて農村の中を走る道路にさしかかった。
少しずつ周囲に霧が出てくる。通りかかる人も車も少ない。
ゴーストタウンと化した村かと、全員が勘違いしたほどだ。
「わふ…」
途端、眠りかけていた茶太郎が突然目ざめ、顔を上げた。
唸り声を上げて警戒する…子供達、そして千歳もその声ににわかに緊張した。
「茶太郎、魔妖夷がいるの? 茶太郎にも判るの?」
「わふ!」
「フニ~」
初音の質問に、茶太郎は一声吠える形で答える。
どうやら初音が鬼に近付くにつれ、茶太郎は魔妖夷の気配を感じ取れるようになったらしい。
同時にコロ左衛門の頭の毛が突然立ち上がった。魔妖夷の気配を察知したのだ。
車内に緊張が走る。
周囲に異様なほどに濃い霧が立ち込める。
視界が一面霧に覆われ、3メートル先さえ見えず、千歳はワゴンを停車させた。
明らかな異常気象。助けを呼ぶべきと判断し、寧々子がスマートフォンで電話を掛けようとしたが。
「つながんない! 何これ、文字バケしてる!」
画面上の時計表示やアプリ名は、文字と取れなくもない、奇怪な記号に変化していた。
しかも電話を掛けてもどこにもつながらない。他のクラスメイトのスマートフォンも同様だった。
誰かがごくりと唾をのむ。だれかの恐怖が車内に伝播する。
その一瞬であった――
突然の震動と固い音と共に、後部座席が突然落ちた。
「うわぁああっ!?」
「きゃああああ!! な、なんですの何ですのっ!?」
寿司と渚が悲鳴を上げる。2人だけでなく、社内の全員がそれぞれに叫んだ。
全員、自分の体が背中側に傾き、さらに少しずつ重力に引かれるのを感じていた。
後部座席が落ちたのではなかった。車両そのものが後方に落下しようとしているのだ。
状況を確かめるべく、真登がリアウィンドウからワゴンの後ろを覗き込む。
アスファルトで舗装されていた筈の道路が突如陥没し、むき出しになった砂地が見えた。
砂は穴の底の一点に向かって流れ込んでいる。その深さは真登の目測で20メートルはあった。
落下すればただではすまない。
「地面が…地面に、穴が…吸い込まれてる…!」
「でっけえアリジゴクみたいになってる! 先生、アクセル!」
「やってるわ! でも地面が柔らかすぎて…!」
状況を分析し、理一が千歳に声をかける。
だが千歳がいくらワゴンを前進させようとしても、タイヤは砂地に囚われ、ただ少しずつ後ろに下がるだけだった。
そしてたちが悪いことに、無事であったはずの周囲の舗装も次々にひび割れつつある。
魔妖夷がこの一帯を巨大な蟻地獄と化し、車両ごと飲み込む気だ…。
だが魔妖夷が出現したのなら、この場は幽世と化し、豪雨と赤い稲妻が見えるはずだった。
すなわち、まだ出現はしていない。
初音はすぐに推測した。出現前の段階、幻を見せて恐怖を煽ろうとしているのだ。
「さくらちゃん、車引っ張れる!?」
初音の提案に、さくらはすぐさま為すべきことを理解し、シートの下から木箱を取り出した。
さくらの武具である着物とたすきが入っているものだ。蓋を開け、その中からたすきだけをつかみ取る。
「まかせておけ、初音。――外に出る! 皆車につかまっておれ!」
車内の全員に告げると、ドアを開け、さくらとコロ左衛門が高く跳ぶ。
ワゴンの上空で、さくらは結んであったたすきをほどき、振り下ろした。
「鬼幇襷っ!」
「フニ~」
たすきこと鬼幇襷がワゴンに絡まると、コロ左衛門とともに車両前に立ち、揃って力を籠めて引っ張る。
「ぬぅりゃああああっ!!」
「フニ~」
鉄下駄の歯がアスファルトにくいこむ。さくらの細い腕が力に満ち、たすきを引く。
ワゴンは瞬く間に砂の穴から引き上げられ、アスファルトの上に出た。
車内にいる全員の安堵が伝わる。
そして初音の無事を確かめるべく、さくらは再びドアを開け、車内を覗き込んだ――
「初音――初音…っ!」
「わふっ! わふ!」
そこに初音はいなかった。隣にいた渚は、吠える茶太郎を呆然と見下ろしていた。
事態に気付き、渚は顔を上げる。額や頬には汗が流れ、理解不能の事態に目を見開いていた。
「今――いま、いままでいたんですの! 本当ですのよ、さくら様!
でも、いきなり消えて…」
「なぎちゃん落ち着いて! みんな判ってるから!」
助手席から身を乗り出した寧々子が渚の肩に手を置き、なだめる。
理一も後ろの席から顔を出し、全員に告げた。
「怖がっちゃダメだ! ビビったらマヨイが出てくるって、さくらちゃんが言ってたろ!?」
「ででででも理一クンだってヒザが笑ってるじゃないですかぁ!」
「いいからビビんなっつってんだよ! 花咲だって怖がってんだぞ!」
その言葉に全員が気づく。初音は魔妖夷にさらわれ、恐ろしい目に遭っているはずなのだ。
せめて少しでもその恐怖を減らせるのなら――少しでも、恐怖の要因を減らすために、自分達は恐怖を越えるという、並みならぬ決意であった。
普段は主に女子勢にいじられがちだが、理一の胆力は並みの子供のそれではない。
理一の言葉で全員が幾分か落ち着いた。
「さくらちゃん、花咲を助けに行くなら、オレたちみんな大丈夫って!」
「心得た。――初音は良き友を持ったの」
木箱の中から着物、そして先日寧々子の祖父の宮司からもらった針の小箱を取り出す。
そして首輪からリードを外して茶太郎を抱え、コロ左衛門を頭に乗せ、さくらは走り出した。
濃霧で全く視界が効かない中、茶太郎とコロ左衛門が感じる気配を頼りに、さくらは真っ直ぐ走る。
「何かあればすぐに逃げよ、良いな!
――茶太郎、わらわ達を連れて行け!」
「わふ!」
茶太郎が一声吠えると、空間に桜色の波紋が浮かんだ。
現世と幽世を隔てる壁が揺らぎ、空間に黒い穴が空く。さくらは躊躇なくそこに飛び込んだ。
いつの間にか道路の崩壊は収まっていた。やはり幻覚であったのだ。
見送る6-1メンバーは迂闊に動いて霧の中に迷わぬよう、車内にとどまっている。
子供達はさくらの姿が桜色の光を放ち、そして空間に突然消えたのを見て、大いに驚いていた。
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