第四十一話
しばしの沈黙を破ったのは、クラスの男子リーダー格である理一だった。
「なあさくらちゃん。そのマヨイって怪物、怖がってると出てくるんだろ?」
「うむ…」
「じゃさ、俺達が怖がらなくなっちゃえばいいんじゃないかな」
全員の目が理一に向けられた。
予想通りといえば予想通りとばかり、渚が辛辣な言葉を返す。
「あなたテキトーな事言ってませんこと? そんな簡単に怖くなくなるなんて」
「言ってねーよ! だって、怖がってたら出てくるってんなら、逆に怖がんなかったら出てこないんだろ。
俺達が怖くなきゃ、花咲だって、少しは怖い気持ちも減らせるんじゃないか?」
理一の言葉の選び方は稚拙だ。それだけに、彼が彼なりに真剣に考えているのがわかる。
真っ先に賛同したのが、しばらく黙っていた真登、そして理一の相方の寿司だった。
「…一理、ある……怖くないのが、マヨイに伝われば…逃げていくかも…」
「仮に出たとしても、全力はふるえないかもしれませんしね」
「だろ?」
「だろって、私達はそのマヨイに会ったこともありませんのよ。
どれだけ恐ろしいか判りもしないのに、そんな憶測だけでモノ言って!
寧々子さんもホラ、何か言って差し上げて!」
希望的観測で発言する男子たちに対し、渚はあくまでも現実的に考えている。
しかし促された寧々子は初音とさくら、そして茶太郎とコロ左衛門を見て何やら考えている。
すぐには何も言わない寧々子に渚は顔をしかめ、初音は緊張する。
神職の娘である彼女の言葉が子供達に与える影響は、この場において決して小さくない。
神社の子が言っているのだからと、男子たちは考えを変えてしまうかもしれない。
寧々子、何より宮司がもし、この町に住まわぬよう花咲家に進言したら。
勿論、そうなれば学校に行くのをやめ、他の町に出る覚悟を初音は持っている。
だが本心では、初音は今の学校に、そしてこの町にいたいと考えている。
何よりさくらの傍にいたいと。
この町と違って神仏の力を宿した桜の樹が無い他の町に出て、そこで魔妖夷――そして長たる『スクナ』の手にかかるしかない。
さくらが付き添うとしても、他に花咲家を助ける者がなければ、護り切ることはできない。
「…寧々子さん」
「わふ…」
不安げな初音と茶太郎。その頭をさくらが優しく撫でる。
しばし熟考し、寧々子が口を開いた。
「初音ちゃんをまたあんな恐ろしい目に遭わせてほっとくなんて、あたしはできない。
お祖父ちゃん、そうだよね?」
「うむ。鬼煌院様だけではなく、友達のお前達も支えてあげないとね」
「……まー、そうですわよねぇ…」
「………!」
寧々子の言葉に、初音は喜びさくらの方を向く。ウムとうなずくさくら。
男子たちはそうだよなそうだよなと賛同し、渚は呆れて天を仰ぐ。
とはいえ、渚はあくまでも初音を支えることに反対しているのではなく、もっとよく考えてから決めてほしかっただけである。
「ありがとう、皆…」
「わふっ」
「よかったの、初音。皆良き子じゃな」
「うん!」
幸福そうな初音を見て、迷っていた保護者たちは何も言えなくなってしまった。
そして初音の隣にいるさくらもまた、落ち着いてこそいるが、初音の幸福を喜んでいる。
初音を泣かせてしまうとあっては、隣にいる鬼の美少女に何をされるか分からない…
それ以上に幼子の幸福そうな表情に、同年代の子供の親たる保護者達も、彼女の顔を曇らせてはならぬと思ってしまった。
反対していた寿司の母、慎重であろうとしていた渚、どちらも苦笑する。
普通の人間である自分達が何をできるものかなどと、誰も言う気配は無かった。
そこで寧々子が話を切り替える。
「で。初音ちゃんの方はいいとして、さくらちゃんは学校には来られない?」
初音の傍に常に控えていれば、魔妖夷が出現してもすぐ守れるだろうとの考えからの質問だ。
これにさくらは苦々しい顔で答えた。
「魔妖夷はいつどこに出るかわからぬからの、いつも初音のすぐそばに出るとは限らぬ。
いつどこに出ても良いよう、花咲の家で常に番を張っておくしかないのだ。
それに、鬼たるわらわに今の世の勉学を活かす機会もあるまい。
居眠りでもしては邪魔であろ?」
答えるさくらの目元に僅かに悲し気な色が差したのを、初音は見逃さなかった。
学校に来られない理由が他にあるのであろうか。
初音は訊こうとしたが、寧々子はナルホドと答えただけで、すぐに話題を切り替える。
課外授業のことだ。
「うーん…とすると、火曜日の課外授業も無理かなあ。
学校から離れちゃうから、その日はそばにいてあげた方がいいと思うんだけど…」
問題はそれであった。先述したとおり、さくらは博物館の場所を知らない。
最善なのはさくら、そして彼女の相棒のコロ左衛門、さらに幽世へと突入できる茶太郎の同行だ。
「先生、さくらちゃんについてきてもらうの無理?」
「そうねえ、見学の申し込みはもう済ませたし。
今から1人追加となると、あちらにスケジュールの調整をお願いしないと駄目ね…」
博物館側は千歳と6-1の人数分でスケジュールを調整している。
必要なスタッフの人数、1フロアでの見学の時間、などなど調整し直す必要が出るのだ。
学校内だけのことならともかく、外部の施設に迷惑をかけるわけにもいかない。
だがさくらが同行できないとなれば、1日だけでも初音とほぼ完全に離れてしまう。
魔妖夷に1日もの時間を与えてしまっては、間違いなく初音が殺される。
更に場合によっては子供達も巻き込まれる可能性さえあった。
理一が先刻のように言った傍から、子供達は不安にかられる。
が、千歳はしばし考えた後、意を決した。
「頼んでみましょう。それで駄目だったら、皆でどこか遠足にでもしましょうか」
「良いのか、先生どの? 確かにまあ、わらわが初音の傍にいた方が良かろうが…」
「もちろんよ。こういうのは大人に任せておきなさい。それと――」
さくらの疑問に鷹揚に請け負う千歳は、ふと茶太郎とコロ左衛門に視線を向けた。
もしや、と初音はその意図に気付く。
「その子達のことも頼んでみるわ。いざという時助けてくれるんでしょう?」
「あの…先生、博物館って動物連れてっちゃダメなんじゃ…」
「わふ?」
「フニ~」
美術館などの施設は、大概動物の立ち入りが禁止されている。
許可されるとすれば介助犬くらいで、他の利用者に触れず、また施設や展示物を汚損しないよう、徹底して注意した上での入場のみだ。
にもかかわらず、千歳は茶太郎達の入館も掛け合ってみるという。
いくら何でもそうとうな無茶ではあるまいか…
初音もさくらもさすがに止めようとしたが、初音の安全のためならと、断固として千歳はやめようとしない。
「私はあなたたちの担任の先生よ。授業の時間は貴方たちを護らなくてはいけないの。
安全に授業ができるように手筈を整えるのも、私の仕事」
「でも、それじゃ先生が…――うー……」
「わふ~」
千歳にかかる負担を考え、悩む初音と茶太郎。その肩に実と成子が手を置いた。
「初音、素直に先生のご好意を受け取りなさいな」
成子がそういって笑う。
「お母さん…」
「ちゃんと勉強して、いっぱい楽しんで、それから卒業なさい。
ここの学校に通って良かったって思えるように。ね」
「そうだぞ。それにさくらちゃんもいてくれる。怖いことは何も無いよ、初音。
――先生、どうかお願いします。必要でしたら、僕たちからも施設の方にお願いしますから」
「お父さん…」
花咲夫妻は優しく初音を諭す。
一度命を落としてしまった初音が、今では学校に通えるようになった。
それが2人は嬉しくてたまらないのだ。
初音自身も通学できることを喜んでいる…それを見抜いたうえでの発言である。
両親の後押しは、迷っていた初音が決断する決め手となった。
さくら、茶太郎と共に千歳に頭を下げる初音。
「それじゃ先生、お願いします」
「わらわからもお頼み申す」
「わふっ」
「任せて頂戴!」
快く請け負う千歳。子供達もある者は安堵し、ある者は喜び、ある者は苦笑しつつ何も言わない。
結果、瞬く間にさくらの課外授業の同行は決まってしまった。
初音に起こっている出来事、さくらの正体。
初音たちをこの町に受け入れるかどうか。課外授業へとさくらが同行できるか。
すべてが子供たちとその保護者に受け入れられた。
喜ぶ初音をさくらが笑顔で撫でてやる。茶太郎とコロ左衛門も大喜びだ。
保護者と千歳に頭を下げて感謝する実と成子、きのめ。
そして初音もまた、クラスの子供達に感謝していた。
「みんな、ありがとう…」
「だから言ったろ? ちゃんと聞くってよ」
「クラスの代表づらしないでくださいますこと?」
「この件に関して言えば、寧々子さんの方が発言権が大きいですからね」
誇らしげな理一に対し、渚と寿司が冗談交じりに突っ込みを入れると、なんだとコノヤロと怒り心頭の理一を真登がおもむろに宥める。
級友たちを尻目に、寧々子は初音とさくらの前に座った。
「よかったね、初音ちゃん。さくらちゃんも来てくれるし」
「うん!」
「何やら強引に解決されたような気がするのだが…
まあ、初音の傍におれるなら良いか」
「フニ~」
さくらは苦笑するが、それでも予想外だったことに困っているだけで、強引に同行が決まったことへの不満は無さそうだ。
そして初音も初音で、さくらの同行に喜びが隠せなかった。
魔妖夷から護ってもらうだけではなく、たまには一緒にどこかに行きたい…一緒に遊びたいという気持ちは、確かにあった。
課外授業の形とはいえ、使命をいったん置いておき、さくらと共に出かける。
と、その目の前にさくらの顔が現れる。
顔を覗き込まれていたと知り、初音は顔を赤くする。
「そんなに喜ばれると、こちらも嬉しくなるのう。
初音、良かったの。皆と楽しむが良いぞ」
さくらの手がやさしく初音の黒髪を撫でた。
「うっ…うん! あ、でも、さくらちゃんが来てくれるのも、嬉しいよ!」
「そ………そうか…」
素直な喜びの言葉を正面からぶつけられ、さくらの頬もまた赤くなった。
美少女2人が顔を赤くする光景に、茶太郎とコロ左衛門は首をかしげる。
「うむ…まあ、その、初音が良いのなら、うむ」
「う、うん……」
「わふ?」
「フニ~」
言葉少なにフイと目を逸らし合う2人。仲が悪いのではなく、互いに恥じらっている。
初音もさくらも互いの感情をまだ理解していない…初音は12歳。多感にして、まだ大人へと変わり始める最初の段階だ。
そしてさくらは長命種族たる鬼とはいえ、まだ子供である。自身を客観視できるほどに心は成長していない。
横で見ている寧々子も小学6年生、茶太郎は仔犬。コロ左衛門もやはりまだ子供である
初音とさくらの間にある心が何なのか。初音たち自身を含め、理解している者はいない。
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