第三話
幼女には毛玉を。
「わふっ」
開けてみようと誘うような一声だった。
その声に初音は決断する。そして、両親と祖母がまだ気づいていないことを確かめ、扉に触れた。
途端、お札がはらはらと散り、地面に落ちて消えた。
草の陰に隠れたのではない、本当に消滅してしまったのだ。
「あ…っ」
初音が僅かに上げた驚きの声に大人たちが気づく。
成子が初音の手を取り、止めようとした。
「何してるの、初音!」
「え…えっと……」
初音がお札の消滅を説明しようとする間、既に扉は軋みを上げ、ゆっくりと蔵の内側に開いた。
薄暗い内部が日の光に照らされ、はっきりと見えた。
木箱や何かの袋、古い人形、そして…
「……おふとん?」
中に敷かれた布団一式。初音が違和感を持ったのは、掛け布団が丸く盛り上がっていることだった。
誰かが布団の中にいる。祖母が見たことも無い蔵の中で、誰かが眠っていたのだ。
初音が踏み込むと、布団が蠢いた。そして中から小さな手が出て来て、布団をめくり上げる。
果たして布団の下から出てきたのは――1人の少女であった。
つややかな褐色の肌、淡い桜色の髪、眠たげな眼。身にまとっているのは薄い着物1枚。
襦袢といったかと、初音は思い出した。
桜の髪の少女は口元をもごもごさせ、起き上がると大きくあくびをした。
見た所、初音と同年代と見える。襦袢がちらりとはだけた肩が妙に色っぽい。
「んふわぁぁ~~~~~~……あぁ、よく寝たわい。
どうやら目覚めの時が来たようじゃの」
初音と同じ年ごろと思えぬ、武士のような古臭くいかつい言葉遣いだ。
彼女は何度か瞬きをすると、初音の方に顔を向けた。
目が合った。初音も思わず目を見開き、何度も瞬きをする。
先に口を開いたのは、桜の髪の少女の方だった。
「娘。誰じゃおぬしは」
こっちのセリフだと初音は思った。
思ったが、突然の遭遇に言葉が出ず、驚きの余り後退ってぺたりと座り込む。
言葉が出ず口はぱくぱくと開閉するのみだ。
両親もまた驚いていた。代わって尋ねたのは、一番落ち着いているきのめであった。
「………あの、どなた?」
桜の髪の少女はぱちくりと瞬きすると、蔵から顔を出して周囲を眺めた。
ずっと籠っていたのか、周囲の光景に明らかに驚いている。
が、しばらく眺めてふむふむとうなずき、答える代わりにきのめに尋ねる。
「ここは花咲の家かえ?」
「ええ、そうですけど…」
「ほおぉ…随分また、新しゅうなったものじゃのお…
わらわが前に目覚めた時から、どうやらだいぶ時が経っておるようじゃな。
これはこれは、だいぶ眠っておったようだわい」
少女はこの古い家を新しい、あるいは近代的と表現した。
初音や実どころか、きのめが暮らしていた時期でもだいぶ古い筈の家を。
何者なのだ、この少女は…そう初音が思っていたところで、布団がまたも蠢いた。
中にはまだ何かいたようだ。少女と比べてもだいぶ小さいが、恐らく生き物が。
布団から抜け出てきたその生き物は、茶太郎と同じくらいの体格の動物だった。
「フニ~」
見た目はふかふかの毛並みで黄色地に黒い縞模様。
虎に似た模様の、眠たげな顔の丸っこい猫だ。
見た目、鳴き声共々可愛らしい。ブロンソンみたいときのめが呟く。
少女はそんな仔猫を抱き上げ、撫でまわした。
「おぬしも目を覚ましたか。見よ、すっかり花咲の家が新しゅうなっておるぞ!」
「フニ~」
少女に言われて仔猫が家を見上げる。
少女と猫は、続けてすぐそばに立つ大きな桜の木を見上げた。
「おお…――うむ、ここは間違いなく花咲の家じゃ。
わらわ達が眠ってからだいぶ経ったが、それでもこの桜の木は変わらぬ」
「フニ~」
いつの間にやら思い出話に浸っている少女と猫。
どうやら本当にこの家に…というか、蔵に住み着いていたらしい。
唖然としていた初音だが、一番大事な問題を見過ごすまいと正気を取り戻し、少女に尋ねた。
「……あの。あなた、誰なんですか?」
初音が問うと、少女はやっと振り向いて答えた。
先ほどは無視されたが、今度は答えてくれる気のようだ。
「おう、よくぞ聞いてくれたな娘よ。
わらわは鬼煌院 さくら。
こやつはコロ左衛門、わらわの友じゃ。
わらわは鬼の子。――この地を守る、鬼の子じゃ!」
「フニ~」
と、少女…さくらは堂々と名乗った。
合わせてコロ左衛門もぴょこっと前足を上げ、自己主張する。
しかし気の抜けた猫(?)の声、それらしい角の無い頭部、何より初音と同年齢程度にしか見えない幼い容貌が、発言の説得力を全て粉々にしている。
そして極めつけに。
「わらわはこの蔵に住んでおる。何かあれば頼るが――」
良いぞ、と続けようとしたのだろう。
しかしさくらが蔵の壁に触れた途端、ピキリと音が聞こえた。
全員が動きを止め、音源の方向を中止する。さくらの手が触れた壁に、黒いひびが走っていた。
そのひびが瞬く間に伸び、壁を縦一直線に、更に左右へと広がる。
あっという間に蔵の壁全面にひびが入った。
「あ」
「あ」
初音とさくらがそろって間の抜けた声を上げた、正にその直後であった。
轟音を上げて突然蔵が崩壊し始めたのである。
「ぬおおっ!?」
爆破処理でもされたかの如く、蔵は粉微塵になり、瓦礫が堆積した。
幼い少女1人の腕力程度で粉砕できるほどに風化でもしていたのか。
それとも本当に、さくらが剛力を持つ鬼の子なのか。
いずれにしろ、この蔵は最早建っているのもやっとという状態だったらしい。
その場にいる全員が、呆然と瓦礫の山を見下ろしていた。
「あ~~~…その……」
さくらとコロ左衛門は座り込み、きのめに頭を下げる。
頼るがよいどころか、彼女自身が真っ先に他人に頼ることになったのである。
「済まぬ。しばし住まわせてはもらえぬか」
「フニ~」
それに対し、家主たるきのめは実に鷹揚に答えた。
「仕方ないわねえ」
「かたじけない…」
「フニ~」
苦笑してさくらの頼みを快諾するきのめ。
砕け散り瓦礫と化した蔵。状況が理解できず、呆然としている両親。
地に額をついて頭を下げる少女と猫。ただ1匹平然としている茶太郎。
そしてそれを見下ろす、大きな桜の木…
これが12歳の少女・花咲 初音と、鬼の子・鬼煌院 さくらの出会いであった。
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