第二十三話
夕食を終え、家族で揃ってくつろぐ。
食器洗いを終えて実と成子、きのめはほうじ茶を、さくらは玄米茶、初音と茶太郎とコロ左衛門は温かなミルクを飲んでいた。
初音はさくらと並んで座り、その隣に茶太郎がいる。
ミルクを飲み終えてマグカップを膝に置いた初音は、数か月ぶりにリラックスした影響か、急激に眠気を覚えた。
瞼が重くなり、うとうとし始めて何度か目をこする。
不意にがくりと体が揺れ、さくらに寄りかかった。
すぐに気づいて初音は頭を振り、目を覚まそうとする。
「ん…ごめん……」
「良い良い。今日は大変だったのじゃ、もう床に就け」
さくらは初音の頭を撫で、就寝するように促す。
まだ夜の8時。いつもなら1人で読書にふける時間だが、何しろ先刻のようなことがあった直後だ。
すっかり疲労した上にリラックスした状態とあっては、子供の初音が眠くならないわけはない。
そこで実が立ち上がり、さくらと反対方向に倒れ込みそうになった初音を支えつつ、彼はさくらに頼み込む。
「さくらちゃん、今日は初音と一緒に寝てやってくれるかい?
何かあった時のために、一応ね。あとで布団を持っていくから。
初音もそれでいいか?」
「ん~… … …うん…」
うつらうつらとしている初音の肩をゆすり、実が問う。
初音は少しだけ考え、さくらの方を一度だけ見ると、こくんとうなずいた。
了承を得たところでさくらは立ち上がり、初音を立たせて実と共に支え、洗面所に連れて行く。
初音はもう一度頭を振って目を覚まし、歯磨きを始めた。
予備の歯ブラシとコップ、子供向けのチューブ歯磨き粉を手渡され、磨き方を教わりつつさくらも歯磨きを始める。
途中でさくらが子供用歯磨き粉の甘さに驚愕し、実が飲み込まないように注意した。
就寝の準備が整ったところで、さくらは茶太郎を初音に抱えさせ、自身は初音の体を抱え上げる。
茶太郎も初音の胸の上でうつらうつらと眠そうだ。
実は1階の客室に布団を取りに行った。
「わふ…」
「お主も大変だったな。よく休むがよいぞ」
「フニ~」
コロ左衛門も茶太郎をモフモフ撫でた。
階段を上って部屋に辿り着き、さくらは初音と茶太郎をベッドに寝かせてやった。
茶太郎用の寝床は別にあるのだが、今だけは一緒にいさせてやった方が良かろうと、さくらは敢えてそのままにした。
横になった初音は胸に茶太郎を抱き寄せ、さくらを見上げる。
「さくらちゃん…」
初音は手を伸ばし、さくらの手を取った。
さくらは空いた方の手で初音の頭を撫でてやる。心地よさそうに目を閉じる初音。
「ありがとう、さくらちゃん。おかげで仲直りできたよ…」
もしも牛鬼の魔妖夷に食われでもしていたら、仲直りの機会さえ無く死んでいたのだ。
きっと死ぬ瞬間まで後悔しただろう。そう思う度、初音の胸の内にさくらへの感謝が溢れる。
そんな感謝に答え、さくらも優しく微笑む。
「わらわは背中を押してやっただけじゃが…うむ、甲斐はあったのう。良かったな、初音」
「うん…」
うなずいた初音は、温かくゆるやかな、数か月ぶりの幸福な眠りに落ちた。
目の前には自分を信じてくれたさくらがいる――初音は安心感の中、ぐっすり眠った。
初音と茶太郎が眠ったのを確かめ、さくらは握られた手をそっと離した。
コロ左衛門と共に机の前の椅子にすわると、さくらはため息を1つついた。
心の底から安らいだ初音に名を呼ばれた瞬間、さくらの胸の内に不可思議なぬくもりが生まれた。
目が覚めるたび、花咲の家の者達には何度も名を呼ばれた。
いつも崇めるように「さくら様」「鬼煌院様」と。しかし、時には子供扱いで「さくらちゃん」と。
初音の呼び方は後者のそれだ。だが、初音の呼び声はいつものそれと全く違っていた。
過去に目覚めた時、周りにいたのはいつも花咲家や神職の大人たちだった。
魔妖夷が現れれば、恐ろしい目に遭わぬようにと、幼子たちはいつもさくらから遠ざけられた。
鬼という守り神に縋る大人たち…故に誰もが、さくらを隔絶した存在として敬い、恐れすら抱いていた。
初音はそんなそぶりを見せない。
子供だからというのもあろうが、なによりもさくらを真っ直ぐに見つめる瞳。
「――初音」
思わず小声でその名を呼ぶさくら。
初音の前では隠していたが、対等な存在として初めて見られている事実に、自分がたじろいでいることに気付く。
しかし不安はない、むしろ心地よい感覚であった。
コロ左衛門は机に座り込み、そんなさくらの横顔を見ている。
そこへ小さなノックの音が聞こえた。さくらが立ち上がり、ドアを開ける。布団一式を持った実がいた。
「初音、もう寝た?」
実がベッドに横たわる初音を見て問う。
「うむ、すぐに眠ってしもうた」
「そっか」
さくらとコロ左衛門が答えると、実は安心したように小声でうなずいた。
2人で静かに床に布団を引き終えたところで、実はさくらと就寝の挨拶を交わした。
「じゃあお休み。さくらちゃんもコロ左衛門君も、ゆっくり休んで」
「うむ、おとう殿もな。お休み」
「フニ~」
実はドア横のスイッチを操作して、照明を暗めに落とした。
実が部屋を出てドアを閉めたところで、さくらはコロ左衛門と共に布団に潜り込む。
新しくはないが清潔に洗ってあり、パジャマ越しに触れる感触が心地よかった。
そしてさくら自身もまた、気づかぬうちにすっかり疲れ切っていたらしい。
布団にもぐって何度か寝返りしているうちに、瞬く間に瞼が重くなってきた。
コロ左衛門のぬくもりもそれを助長する。
もふっとコロ左衛門を抱え込み、さくらは目を閉じた。
(――初音のこと。いずれ、皆に話さねばのう…)
おぼろげにそう考えているうちに、意識が薄れていく。
やがてさくらもまた意識が途切れ、眠りに落ちて行ったのである。
翌朝、日曜日。初音は目を覚まし、ベッドの上で掲げた自分自身の手を見ていた。
握り、開き、自分の手がそこにあることを実感する。
夢ではない――自分はいま、ここにいるのだ。胸に再び溢れる充足感に、知らぬうちに頬がゆるむ。
(うん――私、ここにいる。ちゃんとわかる)
起き上がってふと床を見ると、敷かれた布団にさくらが眠っていた。
昨日出会った時…蔵の中で眠っている間にもそうしていたのか、胸にコロ左衛門を抱えて丸くうずくまっている。
子供らしい寝相であった。
どことなく大人びているさくらだが、本人が言った通りに鬼の『子』、つまり子供なのだ。
それでいて、寝間着の襟元から見える首筋や胸元、はだけた裾から覗く脚がどこか色っぽい。
一瞬だけ見とれるが、初音は自分の頬をぺちぺち叩き、むりやり意識を逸らす。
ベッドの上からさくらを見下ろしていると、横で茶太郎が起き上がった。
顔を上げた茶太郎と初音の視線が合う。初音は茶太郎の頭を撫でてやった。
「おはよ、茶太郎」
「わふっ」
初音と茶太郎はベッドから降り、座り込んでさくらの体をゆする。
茶太郎はコロ左衛門の後頭部をもふもふしていた。
「さくらちゃん、朝だよ。起きて」
「わふわふっ」
「むん…むぅ…なんじゃ、もう朝かえ…」
初音の声に反応し、さくらは何度か瞬きすると、コロ左衛門を抱えて体を起こした。
桜色の髪には何か所か寝ぐせが付き、ぴょいぴょいと可愛らしく跳ねている。
何度か瞬きし、さくらはコロ左衛門を膝に置いて大きくのびをする。
少しばかり体を動かすと、すぐに目が覚めたのか、初音の方を向いた。
潤んだ寝ぼけ眼に胸の高鳴りを感じつつ、初音はそれを押さえ込んで微笑む。
「おお、初音。おはよう」
「おはよう、さくらちゃん」
朝の挨拶を交わし、微笑み合う二人の少女。
一方、コロ左衛門は茶太郎を抱え込んでもう一度眠ろうと布団に潜り込んだ。
「フニ~」
「わふ~」
「これコロ左衛門。もう朝じゃぞ、起きるがよい」
「フニ~」
そんなコロ左衛門の首根っこをつまみ、さくらは布団から引きずり出す。
解放された茶太郎が初音の膝にすがりつく。
コロ左衛門は目元をくしくしこすり、やっと目を覚ました。
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