第二十二話
ずっと求めていた両親の温もり、そして両親の優しさと再び触れ合えたことに、初音は涙を押さえられず、泣いた。
「……っ…私…わたしっ……!」
両親の服を掴み、初音は父と母を見つめ返して訴える。
「私、つらかったんだよ…ずっとずっと、あのことを嘘だって言われて…
お父さんもお母さんも、お祖母ちゃんも、私の話、全然聞いてくれなくてっ…!」
左右から初音を抱きしめつつ、実と成子は愛娘の訴えにうなずいていた。
ぐすぐす泣き、涙を幾筋もこぼす初音。
だがその表情は、怒りや悲しみより、安堵に満ちていた。
「でも、でもっ………ずっと…私のこと、護っててくれたんだね…」
初音の小さな両手が実と成子の手を握る。
しばらくぶりに触れた両親の手の温かさを感じながら、初音は――
「ありがとう…お父さん…お母さん……!」
「初音…」
初音は、数か月ぶりに両親に感謝の言葉を伝えた。
初音の事実上の死に絶望せずに目を覚ますまで待ち続け、人としてできる限りのことをして護り続けてくれた両親に。
2人の愛情を一心に受け続けたことを知り、氷解した心から、自然に感謝の言葉が出ていた。
涙を流しながら抱き合う花咲の家族3人、そして茶太郎。
彼らは数か月ぶりに、家族のきずなを取り戻したのだった。
その光景を前に、さくらとコロ左衛門は満足げにほほ笑んでいた。
いつのまにか2人の隣にはきのめが座っていた。
「ありがとうね、さくらちゃんもコロちゃんも」
初音の祖母として、やはりきのめも初音を護るために協力せざるをえなかったのだ。
それでいて実と成子にはかえって難しい『初音の言葉の肯定』を担い、初音の心が荒れることを防いだ。
ぎりぎりで家族の崩壊を防ぐ役目、それをきのめが請け負ったのである。
「いやいや、おばあ殿も大変であったろう。
おかげで初音がここまで持ちこたえたのだ」
「フニ~」
きのめを含め、花咲の家族を労うさくらとコロ左衛門。
さくら自身、初音を護れたのはこの家族あってのことだと思っていた。
「おとう殿におかあ殿におばあ殿、それに茶太郎。初音は良き家族を持ったな」
「そうね…ええ、とても素敵な家族だと思うわ」
きのめは答えると、立ち上がって初音たちに声をかけた。
「さ、そろそろご飯にしましょう。実、成子さん、手伝って」
「そうだね。初音、今日の晩御飯は初音の好きなオムレツだぞ」
「うん…!」
好きな料理の名前に、初音の顔が明るくなる。
「デザートにゼリーも作ってあげるからね。茶太郎も今日はちょっといいご飯にしようね」
「うん、うん…!」
「わふ!」
料理の得意な両親と祖母の言葉に、初音も茶太郎も喜んで頷いた。
台所に向かう3人を見送ったところで、初音の隣にさくらとコロ左衛門が座る。
穏やかにほほ笑むさくらに、思わず初音の胸が高鳴る。
「良かったのう、初音」
「う、うん…ありがとう、さくらちゃん……」
大人びた笑顔が美しくも暖かく、泣きじゃくる姿を見られた初音は、目を合わせられずにちらちらと横を見る。
たまに目が合う茶太郎がキョトンと首をかしげた。
――が、さくらの表情に不意に陰りが差した。
その意味を、初音はおぼろげながら理解している…鬼が目を覚ましたということは、魔妖夷を討たねばならぬということ。
つまり、まだ魔妖夷は滅びていないのだ。
そして入浴中にも聞いた、『鬼桜の紋』のこと…素直に喜べない理由は、さくらには山ほどある。
初音の視線に気づき、さくらの表情に柔らかな笑顔が戻った。
「話さねばならぬことはある。が…今はお主が無事であればそれで良い」
「…うん」
「今は取り戻せた家族との愛を大事にせよ。全てを受け入れるに、まず心を癒さねばならぬ」
「………うんっ」
「わふっ」
初音の隣で答えた茶太郎の頭を撫でるさくら。
ふと、初音はそんなさくらを見て、先刻の牛鬼の魔妖夷を斃した時の言葉…
そして、美しくも哀し気に伏せられた目を思い出す。
永き時を生きる覚悟――さくらと同じ、鬼になることの覚悟。
さくらが言う『話さねばならぬこと』には、おそらく先ほど入浴中に聞いた『鬼桜の紋』も含まれている。
つまり、初音が鬼になる可能性を、実と成子に伝えなくてはならないということだ。
まだ実感はわかない。わかりやすい超常能力を手に入れたということも無い。
それでもさくらの話が真実であれば、いずれさくらの花嫁、すなわち鬼になるということで…
こうして家族間の愛情を取り戻した今、両親がそれを受け入れられるだろうか。
たった1日で激変した運命を、自分自身が理解できてもいないのに。
初音は不安にかられる。
だが、今はそれを考えるべきではない、今は幸福を享受せよ、とさくらが言う。
「時に初音。おむれつとは何じゃ?」
そのさくらが自ら話題を変えた。暗い雰囲気に引き戻さぬよう、初音もそれに乗ることにする。
「えっとね…西洋風の玉子焼き、みたいな感じ…かな」
「ほう。美味いのかえ?」
「美味しいよ。お父さんのオムレツ、すごくおいしいよ!」
「左様か。楽しみじゃの」
「うん!」
初音の笑顔にさくらも微笑んでいた。
初音自身は全く気付いた様子を見せないが、彼女の口調は子供らしいそれになっている。
無理に両親を拒んだ末の丁寧語は、とうに消え去っていた。
もう無理をする必要が無いと、初音は心から理解しているのだ。
しばし待つと実たちが夕食を運んできた。
炊きたての白米、油揚げと豆腐の味噌汁、野菜サラダ、コロッケにオムレツ。
デザートのゼリーは冷蔵庫に入れてあり、食後に持ってくると成子が言った。
茶太郎の前の皿には、いつもの物より高級なドッグフードを入れる。わふわふ喜ぶ茶太郎。
コロ左衛門の前には焼いた鮭の切り身の皿が置かれた。いつもより高い物らしい。
料理が食卓に並べられたところで全員が着席した。
「いただきます」
「わふっ」
食膳の挨拶の後、茶太郎とコロ左衛門を含む全員が食事を始めた。
箸でつまんだ白米を一口食べると、初音の目からまた涙が流れた。
慌てる花咲夫妻ときのめ。3人の前で初音がつぶやく。
「おいしい……」
感じ取った何もかもが上滑りするような日々の中、初音は料理の味すら忘れかけていた。
家族の愛情を取り戻した今、両親と祖母の料理の味を思い出したのだ。
おかずもいくつか食べた。ゆっくり噛みしめ、味わってから飲み込む。
「ごはん、おいしい…おいしい……」
「そっか…初音、いっぱい食べてね!」
「何だったら、もう1つ作っちゃうぞ!」
母に、父に優しく撫でられ、そこまでしなくてもいいと泣きながら初音は笑った。
食後にはデザートに母の手製のゼリーを食べた。
これもつるりとした食感とたっぷり入ったフルーツの甘味に、初音はまた嬉しくて泣いた。
数か月ぶりに幸福な時間を初音は過ごした。
振り向くと、さくらが優しく笑っている。
その温かな笑顔に初音は――胸に生まれた不思議な衝撃を感じた。
読んでいただきありがとうございます。
よろしければ評価、いいね、ブックマーク等お願いします。




