第十九話
肌色注意(文字だけど)
脱衣所で泥だらけの服を脱ぎ、洗濯籠にいれる。
あらかじめ、新品のパジャマと肌着が2人分置かれていた。
きのめは最初から2人を揃って入浴させるつもりだったようだ。
2人きりで一度話し合い、親睦を深めてほしいと思っていたのであろうか。
初音は服を脱ぐのをためらった。何しろ、隣にはさくら…絶世の美少女がいるのだ。
比べられることはどうとも思わないが、そんな少女と互いに肌をさらすことには恥じらいがある。
が、さくらはその恥じらいに気付かずさっさと服を脱ぎ、タオルを持って浴室に入ってしまった。
風呂の入り方…恐らくシャワーの使い方も判らぬであろうさくらを1人にするわけにもいかず、初音は意を決して服を脱ぎ、浴室に入る。
腰掛に座りつつ、さくらは昼前にきのめから習ったのを思い出そうとしているのか、蛇口をあちこちさわっている。
突然お湯が流れ出しては皮膚に跳ね、熱さに驚き飛び跳ねるさくら。
「あっづ、あっっづぁ! ――おお初音。
やはり今の世の風呂は勝手が判らぬ、教えておくれ」
「…ちゃんと憶えられる?」
「まあ、無理じゃろのお」
あっけらかんと言ってのけたさくらに、初音は呆れてため息をついた。
「洗ってあげるから、座ってて」
「うむ。かたじけない」
さくらは素直に腰掛に座り、初音がシャワーからお湯を出すのを待った。
その間に初音は我に帰り、さくらの背中をじっと見…ることもできず、顔を赤くして目を逸らしていた。
人知を超えた美少女の一糸まとわぬ姿が、目の前にある。
卑しい気分になるわけではない。あくまで美しすぎて直視できないというだけだ。
だけだが――
「……お、温度、ちょうどいい…かな…」
わざわざ口にしてシャワーの湯を手のひらに当て、温度を確かめる。
両親と祖母との関係の事が、このひとときだけは頭から消し飛ぶほど…
そしてわざわざそうやって目を逸らさねばならぬほど、さくらの背中は美しかった。
「お湯かけるね…目、閉じて」
「うむ」
適温にしたシャワーの湯をさくらの髪にかける。
髪を汚していた泥が一斉に流れ、排水溝に飲み込まれていく。
髪と髪の間に入り込んだ泥も落とすため、初音はさくらの髪の間に指を入れた。
恐ろしく滑らかな手触りで、絹糸かと錯覚するほどであった。
ゆっくり梳いていくと、髪の間に紛れ込んだ泥も落ちていく。
こそばゆいのかむず痒いのか、目を閉じたままさくらは頬を流れる泥を手で拭った。
一通り泥を流し終えると、初音はシャンプーを手に出し、泡立ててさくらの髪を洗い始めた。
桜色の髪が指の間をすり抜け、泡にまみれて手に纏いつく。
ごく自然な桜色の髪。改めて、この色が染めた物ではないことが分かった。
「うん…初音の手は心地よいのう」
「……べ、別に。洗ってるだけ、だし」
さくらのうっとりと心地よさそうな声に、初音はドキリとしてその胸の内をごまかそうとする。
大丈夫、茶太郎を洗っている時と同じだ…何がしかのいやらしい意味ではない…
と、自分に言い聞かせ、初音はさくらの髪を洗い続けた。
洗ううちにふと指先が額に触れ、先刻そこに1対の角が生えたのを思い出す。
今のさくらの額はつるりとなだらかで、肌もなめらかだ。
必殺の武具『鬼仁鋼』を振り回した時の、まさに鬼というべき姿からはかけ離れていた。
シャンプーで髪を洗い、流し、また泡立てては髪を洗う。
何度か繰り返して泥を洗い落とすと、初音はさくらの髪をタオルで拭いた。
さくらは目を開け、心地よさそうに髪をかき上げた。
「ふぅ、さっぱりだわい。昔はこんなに水も使えんかったし、ろくな石鹸も無かったのう」
さくらが前に活動していた時代…
明治の頃のことを初音は知らないが、その時には質のいいシャンプーが一般販売されていなかったのか、それともシャンプー自体が無かったのか。
水も使えなかったということから、いずれにしろ現代と比べて衛生的に不便であったようだ。
さくらは昔の時代に暮らしていたが、もしかすると現代の方が暮らし心地が良いのかもしれない。
濡れた髪を肩に流し、さくらは軽く振り向く。その視線はどこか大人びていた。
視線にドキリとしつつ、それをごまかすように初音は問う。
「…背中も、洗おうか?」
「良いのか? では頼もうかの」
初音の言葉を善意と受け取ったのかどうか、さくらは再び前を向いた。
初音は何度か深呼吸し、心を落ち着けてからスポンジを手に取り、ボディソープを垂らす。
スポンジを何度か握りこむと、クリームの如く泡立った。
少し力を入れてさくらの背中をスポンジで洗いつつ、初音はその細い背中に見入る。
先ほど触れた額もだが、魔妖夷を叩きのめした鬼とは到底思えぬ、少女らしい細く薄い背中だった。
が、初音の手を押し返す小さな力は、確かに強靭な筋肉のそれだ。
外側から見ただけではわからぬ、人知を超えた存在故の屈強さをその手に感じる。
日焼け跡が無いことから、肌の褐色も天然自然の色らしいのが判った。
と、初音の手が途中で止まった。
さくらも気づき、視線だけで振り向く。初音の視線はさくらの背中の右肩甲骨付近に向けられていた。
艶やかな褐色の肌の中で皮膚が僅かに変色し、引きつれたような小さなしわがある。
これは先刻の魔妖夷との戦闘で受けた傷で、電柱のボルトが刺さった痕である。
既に治癒はしていたが、完全に傷が消えたわけではなかったようだ。
「……怪我、痛かったよね」
己のために闘ってくれたさくらの傷に、初音は申し訳ない気持ちで触れた。
当のさくらは鷹揚に笑う。
「気にするでない。お主が助かったのだから、それで良いのじゃ。
それに『鬼力』を顕現させれば、だいたいの傷は治るからの」
「でもあんまり深かったり、何回も同じ場所に怪我をしたら、痕になるんじゃないの?」
「うむ…まあ仕方あるまい。鬼とはいえ、わらわも生き物じゃからの」
そうやって笑うさくらの腹の傷…魔妖夷の爪を刺された傷も、それこそ『鬼力』を顕現させた時点で治癒したらしいと初音は気づく。
気になるなら見せてやろうかとさくらは言うが、色々と見てはいけないものを見てしまうからと、初音は目を逸らしながら必死に断った。
そして先刻、さくらは無傷なまま魔妖夷と闘っていたのを思い出した初音。
そのさくらが初音の膝を指した。
「お主の傷ももう治っておろう。鬼力のおすそ分けじゃ」
見下ろすと、いつの間にか膝の傷が治っていたことに初音は気づいた。
さくらが膝に巻いてくれた布のおかげだ。
自らの感謝の気持ちにためらって目を逸らしつつ、初音はあらためて口にする。
「……ありがとう、助けてくれて」
誰かに対して、初音は数か月ぶりに感謝した。
背を向け直したさくらは振り向き、優しく笑う。しかし、その視線にはどこか困惑が漂っている。
「うむ。まあ、お主が助かって良かった…」
「…何か気になるの?」
背中越しに初音が問うと、少しな、とつぶやくようにさくらは答えた。
その様子が気になりつつ、初音はシャワーでさくらの背中を流し、スポンジを手渡した。
「えっと…ごめん、あとは自分で洗って…」
さすがにさくらの全身を洗うのは気が引けた…
同性であるとかどうとか以前に、人知を超えた美少女の素肌を見ることへの恥じらいである。
少女・花咲 初音は12歳。思春期は始まったばかりなのだ。
「……ふむ、そうじゃな。では礼として、初音の背中はわらわが」
「い、いい! 自分でできるから!」
当然、触れられる方も恥ずかしいことこの上ないのであった。
仕方がないのう、とさくらは笑いつつ、初音の背後で体を洗い始めた。
洗い場は小柄な少女2人程度なら充分に並んで座れる広さで、初音が腰掛に座って髪を洗い、さくらが直に座って体を洗っても余裕がある。
が、それだけに背後のさくらの挙動が気になる初音。
わざとシャワーのお湯を多く出し、音や温度で気を逸らしつつ、髪を洗った。
丁度初音が髪を洗い終えたところでさくらも体を洗い終え、洗面器に掬った湯船のお湯で泡を流していた。
「先に温まっておるぞ」
「うん…」
初音が返事をすると、小さな体が湯船に沈む、トプンという音が聞こえた。
初音は体を洗いつつ、横目でちらりとさくらを覗く。
湯船につかった彼女の褐色の肌は上気し、ほんのり赤みがかっていた。
髪をまとめたタオルの間から、何本か桜色の髪が垂れ、頬や首筋に張り付いている。
さくらは自らを鬼の子、つまり子供と呼んでいたが、到底子供とは思えぬ色気が漂う姿であった。
あるいは童女の姿であるが故に、仕草と合わさって生まれるのがこの艶か。
いずれにしろ、思春期が始まったばかりの初音にとって、あまりに刺激が強すぎる。
そんな姿から目を逸らしつつどうにか体を洗い終え、初音も湯船に浸かった。
さくらに視線を向けぬよう、体を横に向けて座る。
大人が足を延ばせる広さの湯舟だが、子供が2人まとめて入るにはさすがに少々手狭だ。
2人の間にはわずかな距離が空きつつ、少し踏み出せば肌と肌が触れ合ってしまいそうだった。
互いに肌をさらしたまま湯船に並ぶこととなったが、温かな湯で隠れているのが幸いであった。
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