第十八話
あらすじ:
恐るべき運命の只中に、初音は突然放り込まれた。
しかし彼女の両親が冷たい態度の真意を語り、親子は絆を取り戻した。
そして初音は新たな学校に通い始め、新しい友もできた。
だがそんな小さな幸福さえ砕くように、またも魔妖夷が現れる。
初音は己の名に籠められた願いを知り、運命に向き合う。
「初音。お主は――
――わらわと共に永き時を生きる覚悟、あるかえ?」
哀し気な眼差しと不可思議な問いに、初音はその意味を考える。
覚悟を問う言葉、それを望まぬかの如く哀し気な眼差し…
さくらが何を思ってこんなことを尋ねたのか、初音にはすぐにはわからない。
胸に抱いた茶太郎を見下ろしても、「わふ?」と首をかしげてやはり理解していないようだ。
言葉の意味を問い返そうと、初音は顔を上げた。
「さくらちゃん…それって、どういう…」
初音が訊いても、さくらはただ曖昧に、そして哀し気に微笑むだけだった。
訊いてはならぬことを訊いてしまったのか。初音は僅かに後悔する。
さくらが目を逸らすと、自分の後悔が的中したと初音は思い、茶太郎を抱いた腕がこわばった。
だがそれを謝ろうとした時、足音と粗い息遣いが聞こえた。
息の中に混じる声で、誰が来たのか初音にはすぐ判った――父、実だ。
「は、初音!」
慌ただしく駆けてくる父の必死の顔に、初音はどう反応して良いかわからず、硬直してしまう。
その間に実は初音の目の前に駆け寄った。
汗だくの切羽詰まった表情は演技でも誇張でもなく、初音への気遣いに溢れている。
「初音、無事だったんだな! 茶太郎も!」
かがみ込み、初音の肩に手を置いて真正面から目を合わせ、実は初音の顔を見つめる。
そこには娘の恐怖を子供の夢と笑う大人ではなく、真摯に娘の命の無事を喜ぶ父の顔があった。
だが――だが、初音はそんな実の顔を見るのが初めてで、答えられずに目を逸らしてしまう。
実もそれに気づき、申し訳なさそうにうつむいた。
かつて恐ろしい目に遭ったことを訴えても退けられ、初音は家族への信頼を失っている。
初音からそれを聞かされていたさくらは、それでも尚駆けつけてきた実に真意を問おうとする。
だがその前に、初音自身が実に尋ねた。
「………どうして、来たんですか…」
「わふ…」
口調は硬く、先ほどさくらと話していた時とは異なる…
いつもと同じ…両親や家族に対しての、いつもと同じ丁寧語だった。
茶太郎の哀し気な声を、初音は敢えて無視する。
「私のことなんて、別に…」
「初音…」
冷めた声とは裏腹に、初音の両腕は茶太郎を強く抱いてこわばっていた。
自分が娘にそんな顔をさせていることを知っている実は、言葉もなくうつむく…
このままでは親子が断絶したままになってしまう…助け舟とばかり、さくらとコロ左衛門が割り込んだ。
「おとう殿。初音に何が起こっておるのか、ここで何があったのか、知っておるのか?」
「フニ~」
「――うん。あの時と同じ雲が見えたから、コロ左衛門君に連れて来てもらったんだ…」
その答えに初音が驚愕し、実の顔を見る。
父の言葉の意味を、初音はすぐに理解した――
「……全部、知ってて」
「……」
「全部知ってて、私の…私のこと……!」
「初音」
怒りに震える初音の肩を、その時さくらが掴む。
振り向いた初音の目は怒りに吊り上がり、涙を湛えていた。
父親が自分を嘘つき呼ばわりして、しかも全てを知っていた…少女の怒りと悲しみは尋常ではない。
だがうなだれた実の表情が、愛娘を苦しめていたことの罪悪感に沈んでいる。
何かわけがある。それを二人は話し合わねばならない。
さくらは真正面から初音の目を見て諭した。
「初音。おとう殿は…お主の親御殿は、どうしてもそうせざるを得なかったのであろう」
「でも…っ…」
「お主はその訳を聞かねばならぬ。そして己の胸の内もぶつけねばならぬ。
初音、お主のためじゃ。お主たちがこれからも良き家族であるために。
――お主とて、本心から親御殿を憎んでいるわけではあるまい」
内心を言い当てられ、初音は吐き出そうとしていた怒りの言葉を飲み込んだ。
実も成子も、何より初音自身も、本心から互いを嫌っているわけでは無い。
だからこそ喧嘩にもならず罵詈雑言の一言も言わず、こうしてつらい顔になるのだ。
「っ…………」
「聞いてやれ。それで怒りが収まらねば、文句を全て言って縁を断ってやるがよい。
その後のことはわらわが何とかしてやる。だから初音、今は帰ろうぞ」
「フニ~」
さくらとコロ左衛門に諭され、初音は何も言い返せずにうつむく。
肩を実に軽く叩かれた。帰ろうと彼も言外に言っていた。
そのまま初音たちは連れ立って、夕暮れの住宅地を歩き出す。
道行く人々が泥だらけの初音と茶太郎、そしてさくらを見て首をかしげていた。
つい先刻、この場で鬼の少女と奇怪な怪物の闘いがあったなど、誰も知る由もない。
途中、実がさくらを見て感謝の言葉を口にした。
「初音を護ってくれたんだね、さくらちゃん。ありがとう…」
とても素直な感謝の言葉であった。
そしてその言葉は、初音に何が起こったかを、目にしなくとも知るが故のものだ。
だからこそ初音はうつむいたまま、今は父と話せずにいる。
自分の言葉を嘘と…はたまた悪い夢と言っておきながら、本当は全てを知っていたのだと。
しかし、決してただ嘘呼ばわりしていただけでもないと。初音は気づいていた。
「それがわらわの務めじゃ。
茶太郎にも言うてやるがよい、懸命に初音を護っていたぞ」
「そうか…茶太郎も。ありがとう」
「わふ!」
実の大きな手に撫でられ、茶太郎も一声鳴いて答えた。
やがてしばし歩き、花咲家に到着。家の前には成子ときのめも待っていた。
2人は初音たちの姿を認めると、駆け寄ってきてかがみ込み、初音を撫でたり抱き寄せたりする。
「初音、大丈夫!? 怪我は無いわね!? ああ、こんな泥だらけに…」
今の成子の姿は、愛娘の無事に心の底から安堵する良き母のそれだった。
初音は何も言えずにうつむく。今まで見たことの無い母の姿に、彼女はどう答えていいのかわからない。
その目の前で、実が成子の肩に手を置く。
「さくらちゃんと茶太郎が初音を護ってくれたよ。大丈夫、怪我も無い」
「良かったわ…さくらちゃん、茶太郎、ありがとう…」
「わふ!」
成子に撫でられ、茶太郎が少し自慢げに一声鳴く。
それでも初音の顔は晴れなかった。目が合い、成子も哀し気に目を伏せる。
自分達の行いのせいであると、夫婦共に自覚しているのだ。
何を言えばよいかわからず、誰もが黙っている。
そこで声を上げたのは祖母のきのめであった。
「初音ちゃん、さくらちゃん、お風呂を沸かしてあるから入っていらっしゃいな。
茶太郎ちゃんとコロちゃんは私が洗ってあげる。その後でご飯にしましょう」
その言葉の直後にきのめと目が合い、さくらは発言の意図を知った。
さくら自身、確かめねばならぬことがあるため、その意図を受けて答える。
「そうじゃな。初音、わらわはまだ今の風呂の入り方を知らぬ。教えてくれ」
「わふ」
さくらと茶太郎に促され、初音は目を泳がせる。
急に言われて戸惑ったものの、しかし今の精神状態では両親と話すのもままならない。
何しろあまりに強烈な事態…さくらと魔妖夷の闘いを目撃し、直後に両親と祖母が明らかにそれについて知っている様子だ。
頭の中を整理する時間、そして泥まみれの体を洗う時間が欲しかった。
「…お願いします」
そう言って、初音は茶太郎をきのめに預けた。きのめはコロ左衛門も抱き上げる。
茶太郎はきのめにも懐いており、抵抗することなくその腕に抱かれた。
きのめに促されて、初音とさくらは揃って浴室に向かう。
そしてきのめの後に続き、実と成子も家に上がった。
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