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見参!おにざくら  作者: eXciter
第一幕:桜の樹の下で
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第十五話


 『ぶふ、ぶふ、ぶふふふふ。人の子。ひとのこぉおぉ』


 魔妖夷の醜い声、汚らしい鼻息の音が聞こえた。

明らかに興奮している。どれだけ初音の肉を喰らいたかったのか。

茶太郎が石段の上に立ち、魔妖夷に向けて何度も吠える。

だがその効果は無いのだろう、足音が止む気配はなかった。


 「逃げろ、初音ぇっ!!」


 さくらの声が聞こえた。苦し気な、痛ましい声であった。

咄嗟に初音は本殿の方を振り向いた。

そこにこもれば魔妖夷は入ってこられない筈だと、さくらは言っていた。


 だが、今の初音にはそれができない。

さくらを放って自分と茶太郎だけが助かることなど、到底できなかった。

今さくらを放り出すということは、自分への信頼を裏切ること。

人としてやってはならぬことだと、初音は踏みとどまる。


 初音は化物相手に闘うことなどできない。

童話のような魔法も、アニメのヒーローのような必殺技も持ってなどいない。

心を閉ざしていただけの、12歳の子供である。

――それでも、さくらが生きのびて、魔妖夷を斃す機会につなげられるなら。

決断した初音は、恐怖に震える脚を無理やり動かし、石段を1歩降りた。

その隣に茶太郎が並ぶ。


 「わふっ!」

 「茶太郎――だめ、茶太郎はここにいて。お願いだから」


 初音はかがみ込み、茶太郎を抱き上げて引き止めようとしたが。


 「わふ! わふっ!」

 「………一緒に? 来てくれるの、茶太郎?」

 「わふ!」


 初音には茶太郎の覚悟が判った。初音が行くのならと、茶太郎も決意したのだ。

小さな体を抱きかかえたまま初音は逡巡する。茶太郎こそ残していくべきではないか。

だが、ここは幽世…現実が変化した化物の世界だ。そんなところに置いてはいけない。

さくらが魔妖夷を斃すとしても、他の怪物がどこから現れるとも知れない。


 「……行こうか、茶太郎」

 「わふっ…!」


 何度か深呼吸を繰り返し、初音は脚を動かし、石段をゆっくりと降りていった。

醜い喚き声。苦し気なさくらの叫び。

さくらは魔妖夷を止めるべく、必死に追いすがろうとしているのだろう。


 (約束をやぶってごめんなさい…でも…)


 恐怖を押し込めて足を早め、初音は石段を駆け下りた。

雨で濡れた石段は滑りやすい。何度か初音は足を滑らせたが、転落しないようにどうにか持ちこたえた。

そして何十段かを降りると、急速に上って来る魔妖夷の頭部がすぐに見えた。

顔面や足など、何か所かが焼けている。だが軽傷であることは、動きの速さからすぐに判った。

初音は脚を止め、魔妖夷を見下ろした――押し込めたはずの恐怖が再び湧き出し、足が震え、目から涙がこぼれる。


 「わ、っ…私、ここだよ…!」


 震える声でそう言った途端、魔妖夷が顔を上げた。

そしてその後ろに続くさくらが、驚愕に目を見開いている。


 「初音、何を、逃げろと…!」

 「こっち!!」

 「わふっ!」

 『ひとのこぉ――…』


 初音はさくらの言葉を聞かず、石段横の森の方に駆け出した。

傷付いた魔妖夷は茶太郎の咆哮に僅かにおののき、足を引っ込めかけたが、すぐに初音を追い始める。


 『ひとのこぉ!!』


 土や草を掘り起こし、木を盛大になぎ倒しながら、魔妖夷は初音と茶太郎を追いかける。

初音は叫びながら森を走り、時に斜面に足を取られて転倒しかけながら、何度も体勢を立て直して走り続ける。


 「初音…まさか、わらわを生かそうと考えているのか…魔妖夷から逃そうと…」


 さくらはすぐに初音の意図に気付いた。

か弱い少女が怪物相手に何をできるわけでもあるまいに、何故そこまで――

そう考えたところですぐに気づく。

初音にとって、さくらは最初に自分の恐怖に気付き、護ると約束してくれた相手だ。

そんな相手を喪ってはならぬと、自らを囮にしてさくらを逃がそうとしている。

振り返った初音と目が合った一瞬、その一瞬だけでさくらは全てを理解した。


 確かにさくらが居れば魔妖夷はいずれ斃せる。

だが今初音が行っていることは、自らの命を投げ出すことだ。

たかだか12歳の少女にそこまでさせたことの意味、初音にとっての自らの約束の意味を、さくらは改めて思い知らされる。

――小さな命が己の意思で身を投げ出し、自分を護ろうとしている…

なればこそと、歯を食いしばってさくらは立ち上がった。

抉られた腹を押さえ、血が流れるのも構わず自らも走り出す。


 「初音っ…初音っ……! わらわをそうまで思ってくれるのなら…!」


 一度上空を見上げた。コロ左衛門はまだ来ない…だが、今はそれどころではない。


 「ならばこそ、殺させるものか!! 初音ぇっ!!」


 踏み出した鉄の下駄は土にめり込み、さくらが走るのを阻む。

ならばとさくらはすぐに下駄を脱ぎ捨てて走り出した。

傷は痛む――だが、それよりも初音の命の方が大事だ。

それは彼女に課せられた義務から来る使命感であるが、それ以上に自ら命を投げ出した初音を護らねばと、自ら抱いた意志でもある。

さくらは使命だけに生きているのではない。小さな命を愛するからこそ、今ここで走るのだ。



 神社外周の森、いわゆる「鎮守の森(もしくは「鎮守の杜」とも)」とされる森林の中、初音を追って魔妖夷が、そしてさくらが走る。

だが初音の脚と体力では速さでも持久力でも、魔妖夷に劣る。

加えて恐怖心もあり、すぐに息が上がって足がもつれる。両腕に抱いた茶太郎の声で励まされ、再び足を動かす。

石段からはだいぶ離れた。だが豪雨により、地面は加速度的に水を吸い、土が柔らかくなっていた。

最早泥と言ってもいい程柔らかくなった地面、そして雨に濡れた草で、ついに初音は足を滑らせた。


 「あ……っ…!」


 茶太郎を押しつぶさぬ様に抱え込みながら、初音は泥の地面に転倒する。

背中から転がり、付近の樹に激突。痛みに体が硬直し、息が詰まる。

その隙を魔妖夷は見逃さなかった。神域を護る力に体表を焼かれながら、醜い巨躯が一層加速しながら迫る。

背中の痛みと疲労から立ち上がれず、初音は這いつくばって逃げようとした。


 「わふ! わふっ!!」

 『いぬぅ、いぬぅ、ごわぐなぁあい!!』


 茶太郎が咆える。だが一切意に介さず、魔妖夷は初音に飛び掛かった。

歪み腫れ上がった顔が焼けただれ、邪悪な笑みが一層深くなる。

巨体で周囲の木々がなぎ倒される中、初音は恐怖にすくみ上り、その場に座り込んだ。


 「あ、ああ… あぁぁぁ……!」

 『いだだぎまあぁぁぁぁぁぁず!!』


 醜く開いた口が初音と茶太郎に迫る。死の恐怖に初音は動けず、茶太郎が咆えるのみ。

このままでは追いつけぬと、さくらは全力を籠めて前方に跳躍した。

全身に力を入れたことで、抉れた腹に激痛が走る。それでもなお、さくらは跳び、手を伸ばした。

どう考えても届かぬ小さな手を、今こそ届けとばかりに伸ばした。


 「初音ぇぇぇぇっ!!」


 さくらの叫びに初音と茶太郎が振り向く。死の恐怖で全ての表情が失せた目に光が宿った。

最期に信じてくれたさくらへの感謝か。それとも、別れの涙か。

だが、さくらにはどちらも必要は無かった。どちらもあってはならぬと、助けるために手を伸ばした。


 「初音ぇっ! 死なせはせぬ、死なせはせぬぞ!!

  ――手を伸ばせ! 初音ぇぇぇぇっ!!」


 その叫びに、初音が目を見開いた。

唇が小さく動く。何かを伝えようとしているのか。


 「――ら――っ…」


 初音もさくらに向かって手を伸ばし、そして――叫んだ。



 「――さくらちゃん(・・・・・・)っ!!!」



 初めて己の言葉を信じてくれたさくらの名を、必死に叫ぶ初音。

間に合えと必死に祈りながら手を伸ばすさくら。

だが、無情にも魔妖夷は初音を喰らおうとする。その巨大な口が初音を飲み込みかけ、閉ざされようとする――


 その瞬間。神社に植えられた大きな桜の樹の花すべてが、一斉に輝いた。



読んでいただきありがとうございます。

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