第十三話
古い木造の拝殿に辿り着くと、賽銭箱の奥の扉を開けて乗り込む。
履物を手に持って敷かれた畳の上を駆け、祭壇に辿り着き、さくらはあるはずの鬼仁鋼とやらを手に取ろうとしたが――
「………莫迦な」
驚愕に動きを止め、さくらは呆然と祭壇とその周囲を見回した。
だが、そこにはさくらが求めているらしい物はないと、初音と茶太郎もすぐに気づいた。
そう。祀られているはずの『鬼仁鋼』なる物は、そこに存在しなかったのだ。
「眠る前にここに預けたはずじゃ。何故無うなっておるのだ…」
「他の所に移したのかもしれないよ。どんな見た目なの?」
「いわゆる金棒じゃ、よく地獄絵などで鬼が持っておるような。
太い鉄の棒に棘を生やした代物じゃ。表面には文字が書いてある。
よそに移さぬ様約束の手形を残し、鎖で封じたのに…いや、探そうぞ」
「わふ…」
茶太郎が初音の腕から抜け出て、祭壇に乗り込んで匂いを嗅ぎ始めた。
内心で神仏に謝罪しながら、初音は祭具などの間に転がっていないかと観察する。
だが、さくらの言う金棒はどこにもない。
さらに拝殿を出て社務所、参道や灯篭の中、賽銭箱、本殿…と探すが、やはりそれらしいものは無かった。
「そんな……わらわが目を覚ますまで絶対移すなとあれほど! 何故見当たらぬ!」
さくらは目当ての者が見つからぬ苛立ちから、周囲にある様々な物をひっくり返しては見つからないと叫んでいた。
その行動に初音も不安になる。もしさくらがあの化物を討てなければ、自分は――
不安から初音もさくらを手伝って探し始めた。茶太郎も周囲を見て回る。
が、やはりそれらしいものは全く出てこなかった。
このままでは初音が殺されてしまうと、さくらは引き続き探そうとしたが。
そこに、重い何かが激突するような音が聞こえた。初音が青ざめる。
「来おったか…!」
探していた社務所を飛び出し、さくらは石段の最上段から下方を見下ろした。
先ほど吹き飛ばした牛鬼の魔妖夷が、鳥居の前に伏せている。
体当たりで鳥居を砕こうとしたが、神域の入り口である鳥居に弾き飛ばされ、吹き飛んだようだ。
怒りの余りに醜い顔が更に歪み、石段の上まで悪臭漂う鼻息をまき散らしている。
鳥居の内側は神が住むとされる領域である。魔妖夷では立ち入ることができない――はずだ。
だが邪気に飲み込まれ、異常な膂力を身に着けた魔妖夷であれば、いつ破って来るかもわからない。
となれば、迎え撃つしか無い――
「初音!」
魔妖夷の唸り声にすくんでいた初音の肩を掴み、さくらは言い聞かせる。
「わらわが奴を叩きのめす。良いか、神社から出てはならぬぞ」
「でっ…でも、オニハガネ? それがないとダメって…」
「やれるだけはやってやる」
それだけ言ってさくらは駆け出す。武器になりそうなのは、今彼女が履いている下駄くらいだ。
いかに鬼とは言え、さくら自身が言うように武器無しで…それも確実に斃せる『鬼仁鋼』無しで魔妖夷を討つことはできないはずだ。
「………そんな」
「わふっ……」
まだコロ左衛門は来ない…コロ左衛門がまた別の武具を持ってくるのなら、それこそ下駄しか無い。
さくらの身体能力をもってしても、下駄程度であの巨大な魔妖夷相手に太刀打ちできるわけがない。
初音はそう言って止めようとするが、
「済まぬが他の場所も探しておくれ。それでも見つからねば、本殿に隠れておれ。
神社は神域、その最奥じゃ。ましてここは桜の樹がある。奴は入れまい」
「で、でも…」
「茶太郎、初音をしっかり守るのだぞ。良いな――
では行ってくる。鬼仁鋼を見つけたらすぐ呼べよ!」
カコンカコンとゲタの音を響かせ、さくらは石段を駆け下りていった。
豪雨の中、悄然として初音と茶太郎はさくらの背を見送る。
階段を何段も飛ばしているのだろう、足音は参道に甲高く響いた。
よく聞くと足音は金属的な響きを伴っている。
恐らく金属製の下駄で、普通の生き物相手には充分すぎるほどの武器になる。
だが初音にはわかっていた。
「あんなので、かなうわけ無い…」
さくらの一撃で吹っ飛ばされながら、あの魔妖夷は追ってきた。
川に叩き落してから時間も経っていない。行動の支障になるほどの痛みは無かったのだ。
例えさくらが人知を超えた剛力を持つとしても、彼女が言う『鬼仁鋼』が無ければ魔妖夷には太刀打ちできない…
合理的に考えれば、さくらが言った通りにここに隠れるのが最も安全だろう。
少なくとも初音と茶太郎の安全は保障される――はずだ。入れなければ魔妖夷も諦めて去るだろう。
ではさくらはどうなのか。立ち向かったさくらは、魔妖夷が去るまで生きのびていられるのか。
「ど…どうしよう…」
つい先刻まで、初音は自らの死に怯えていた。
だが、それがここでさくらの死の恐怖へと転じた。
つい先ほど知り合ったばかりの少女が、自分を助けてくれると約束し、自分のために死ぬ…あるいは、死より悍ましい目に遭う。
自分のために誰かが死ぬことの恐怖に初音は震え、力なく座り込む。
「あの子…あの子が、あんな化物に…」
「わふ!」
恐怖する初音に茶太郎が縋りつく。その声に勇気づけられ、震える脚で初音は無理やり立ち上がった。
「…探そう、もう一回。茶太郎も手伝って」
「わふ!」
初音は茶太郎のハーネスからリードを取り外し、まだ探していない手水舎の水の中から手を付ける。
茶太郎は周囲の森を歩き回り、それらしいものを探し始めた。
早く見つけ、さくらに手渡さねば――初音は焦る。焦る胸の内をどうにか落ち着け、さくらの武具を探す。
石段を駆け下りたさくらは、最後の踊り場から勢いをつけて飛び降り、牛鬼の魔妖夷に飛び掛かった。
鉄の下駄を履いた足で蹴りつけて吹き飛ばし、硬い音を立てて着地する。
立て続けに走り出し、前蹴りを魔妖夷の顔面に叩き込む。
『ぶふぅぅええああああ』
無様な悲鳴を上げ、魔妖夷は吹き飛び転がり、民家の塀に激突する。
幽世に変転したこの空間に被害があっても、魔妖夷を斃せば変転した世界は元に戻り、破壊の痕跡も消える。
いくら暴れても市民の暮らしに影響は無いのだ――ただし、魔妖夷を確実に斃せる場合に限る。
あるいはこの魔妖夷が初音の事を諦めて退散すれば、やはり何の影響もなく元の現世に戻る。
即ち、どちらも望み薄だ。
「わらわが相手をしてやる! かかってこい、下郎が!!」
己を鼓舞すべくさくらは叫び、魔妖夷に殴りかかる。
小さな拳は恐るべき膂力を発揮し、巨大な顔面にめり込んだ。
魔妖夷は再び吹き飛び、電柱を数本なぎ倒した。
千切れた電線がぶら下がるが、幽世に電気は通っていないため、火花は起こらない。
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