第十話
エビメタ・バンドとザ・リーサルウェポンズのコラボを10年くらい待ってます
みんなも待ってるよね?(圧)
ごぞり、ごぞり、と6本の足を砂利にめり込ませて、巨体がゆっくりと初音に歩み寄る。
巨大な影の輪郭のみで、初音にはその詳細な姿が見えない…
にもかかわらず、初音はその巨躯が自分を迎えに来たものだと信じた。
立ち上がり、両手を広げてゆっくり巨体に歩み寄る初音。
自分の全てを受け入れてくれるであろう姿を前に、両目は幸福で大きく見開かれ、口元はだらしなくゆるんで涎を垂れ流していた。
「きて、くれた、んだ、ね」
腑抜けた声で問いかける初音。背後から何か吠える声が聞こえたが、気にはならなかった。
『ひとのこ。ひとのこ』
意外なことに巨体が喋った。たどたどしいが、初音と同じ言葉で答えた。
ああ、と初音の口からため息が漏れた。やはり、来てくれたのだと。
『むかえに、きたよお。ひとのこ』
「あああああ……!!」
初音が足を早める。巨体に歩み寄り、弛緩した表情で抱き着こうとする。
踏み出す足は骸の花を踏みつぶし、醜い肉片を散らした。
「つれて、いって…もう、ここにいるのは――」
「――わふっっ!!」
そして初音が巨体に触れようとした、まさにその時。
背後にいた茶太郎が踏み出し、初音の脚にかぷっと噛みついた。
小さな牙は皮膚を傷つけるには至らず、多少ちくりと刺激が走る程度だった。
だがそのふくらはぎの刺激から、初音の体内に温かな風に似た何かが満ちた。
痛みに膝をつき、自分の周囲のつぶれた肉の花を見回す初音。
「え――これ――これ――…いやっ、気持ち悪い!」
「わふ! わふ!」
「ちゃ、茶太郎!? 私…何を…何で、こんなのを」
途端、初音は頭の中が急にクリアになるのを感じた。
何故か今の今まで、死骸の断片でできたような花を、美しいと本気で思っていたことに気付く。
その花を見た記憶も同時によみがえった。
それは昨年のある日――茶太郎と出会う前、赤い稲光を見た日のことだ。
悍ましい巨躯の虫…否、虫の6本脚を持つ巨大な獣が迫り、大きな口に飲み込まれそうになった瞬間。
胸が不穏な鼓動で高鳴る。
間違いなかった。目の前にいるのは、あの日遭遇した怪物だ。
気付いた初音は恐怖に腰が抜け、へたりこんだ。
がたがたと震える体はろくに動かず、逃げようという意志だけが頭の中をかき乱す。
『ああああああ、口惜しや…うふふふ……』
怪物が笑った。初音と同じ言葉で笑った。
稲光に照らされた顔が見えた…人間の顔に見えたが、明らかに異なる悍ましい顔だった。
巨大な腫瘍が顔の右半分近くを占め、幾筋も細く盛り上がった皮膚で他の顔の部位も引きつっていた。
右の目は腫瘍の下、左目はやけに顔の外側にある。
鼻は左目と同じく左側に寄り、口は逆に腫瘍の側に引っ張られて歪んでいた。
歪み切った巨大な顔が、6本足の獣の体に乗っている。
己が正気を疑う光景だった。
「は、はあ、あああは、ああ……!」
『惜しいなあ、惜しいなあ。もう少しでごちそうだったのになあ、ひとのこぉ』
歪んだ口からだらだらと垂れた涎が、河川敷の砂利の間にしみ込むと、石の間から新たな屍肉の花を生やした。
肉の花は花びらを、指を、歯を揺らして楽しそうに笑っていた。
「わふっ! わふっ!」
そんなおぞましい光景を前にして、しかし茶太郎だけは初音を守るべく、勇敢に吠えていた。
その小さな姿を前にして化物の顔がゆがむ。笑ったようにも、あるいは困ったようにも見える。
直感的に初音は理解した…この化物は犬が苦手なのだ。
恐らく、犬という種族そのものが苦手なのだろう。
「わふっ! わふっ!」
『うぅ…犬……犬めぇ、ああ、煩わしや…!』
だが、あまりにも体格差が違いすぎる。茶太郎はただのチャウチャウの仔犬に過ぎない。
仔犬一匹の咆哮だけで退けられるほど、この化物が惰弱な存在であるわけがないと、初音には判っていた。
素早く体を起こし、初音は茶太郎を抱え込んで逃げようとする。
だが同時に化物が姿勢を低くし、初音の顔を覗き込んだ。――目が合った。
「あ、ああ…っ……」
歪み、左右でずれた両目は、すさまじい憎悪に満ちていた。
誰に…あるいは何に対する憎悪なのか、その矛先が全く分からない。
憎まれる覚えもなく、しかし異常な憎悪に、せっかく起き上がったのにまた両脚から力が抜ける。
震える腕の中、茶太郎だけが咆えている。しかし化物はその咆哮ももう気にもならぬようだ。
座り込んだ初音に化物が迫る。
『あはぁ』
憎悪に満ちた目で化物が笑った。
あの日の恐怖に囚われた初音は、最早瞬きすらできない。
「わふ! わふ!」
茶太郎の幼い咆哮が、初音の耳に虚しく響いた。
――希薄な現実感の中で、初音は自分に向けられた憎悪の目、穢れた牙、醜い爪、目の前の化物と潰れた骸の花にだけ、現実感を覚えていた。
明確に自分に向けられる悪意。そして、迫る死。それらを受け入れてしまっている。
日々希薄な現実感の中で生きている初音にとって、目の前にある確かな現実…
自身の死だけが、今や確かなもの…ただそれだけが、確かに存在する事実となってしまった。
(しぬんだ)
初音は異常なほど、自らの死をすんなりと受け入れた。
だが、同時に相反する感情が生まれた。
胸に抱く茶太郎の温かさ。父や母、祖母との心のすれ違い。
何より、これからたくさんのことができるはずの未来…それらを捨てることへの未練が、初音の中に突然生まれた。
そして初音自身、胸に生まれた感情を素直に受け入れた。
(いやだ)
「……しにたくない」
動かなかった膝にわずかな力が入った。立て、立って走れと初音は自らに言い聞かせる。
だが膝の痛み…石によってできた傷の痛みがそれを阻んだ。初音が思ったよりも深い傷だった。
激痛で転倒し、茶太郎とまとめてうつ伏せに倒れ込む。
「わふっ!」
「は、はぁ…やだっ…いやだっ……」
痛みで立ち上がれず、初音は這って逃げようとする。だがその足首に何かが噛みついた。
『んんふふぅ。おいちい、おいちいなあ』
『おいちい! おいちい!!』
『おいちいいい!! おいちいいいいいいいい!!』
『ひとのこおいちい! ひとのこおいちい!!! んまぁあああああ!!』
牛鬼の化物、そして骸の花が、初音の脚にくらいつき、舐め回していた。
痛みはない。だがその悍ましい姿に、初音はついに叫びを上げた。
「いやあああああっ!」
「わふっ! わふっ!!」
茶太郎の咆哮にも最早怯むことなく、化物どもは楽し気に叫んでいた。
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