第一話
新シリーズ始めました。幼女百合と妖怪バトルアクションのお話です。
割と趣味に走っています。
3月末、桜のつぼみが今か今かと開くのを待つ季節――ある春の日、土曜日。
1台の自動車が古い住宅街を走っていた。
大柄な男性が運転し、助手席に女性。後部の座席には1人の少女と1匹の子犬が座っていた。
退屈そうに窓の外を眺める少女の膝に、仔犬がしがみついて共に外を眺める。
長時間の運転故か、男性の表情には若干の疲労が浮かんでいた。
その一方、犬は特に嫌がったり暴れたりはしなかった。
少女は膝に乗った犬を抱き寄せ、撫でてやる。犬は嬉しそうに少女の頬を舐めた。
窓の外を流れていく穏やかな景色を見ながら、しかし少女はどこか虚ろな目をしていた。
目を覚ましながら夢でも見ているかのように、少女はぼんやりと家々を眺めた。
「起きてるか? そろそろ着くからな」
男性が前方を見たまま、後部座席の少女に声をかける。
以前住んでいた家から4時間近く、道の駅や高速道路のサービスエリアなどで何度か休憩したが、長時間座って少女の体は疲弊していた。
何度かうつらうつらとしたが、結局一度として眠ることなく、少女は退屈な時間を過ごし続けた。
一方で仔犬は何度か眠った。自動車の震動や音ではすぐに目を覚まさなかった。
少女はずっと退屈な時間を過ごした――だが、特に不満はない。
少女の瞳には、ただただ空虚さだけが浮かんでいた。
「大丈夫…です」
「わふっ」
家族に対するものとは思えない、固い言葉遣いで少女は答えた。
その返答に助手席の女性が渋い顔をする。
「前にも訊いたけど、お部屋はあそこで良かった?
あなたなかなか嫌って言わないから…嫌だったらちゃんと言うのよ」
「……大丈夫です」
話題に困ったらしい女性の言葉にも、少女は硬い口調で答えるだけだった。拒絶すら感じさせる。
男性と女性、2人とも哀し気に眉を顰める。
3人と1匹は家族であった。男性と女性は少女の実の両親だ。
だが、親子とは思えない少女の口調に、夫妻はどう反応して良いのかわからない。
自動車はしばらく走り、古い一軒家の前で停止すると、バックで車庫に入った。
門扉の表札には『花咲 きのめ』と彫られている。
そこは元々年老いた女性が1人で暮らしていた家だが、彼女の息子の家族…
先刻会話していた3人と1匹が、この春からそこに住むことになったのだ。
公務員の父親の転勤である。
少し遅れて配送業者のトラックが家の前に停まる。
家族が自動車から降りると、住人である老女が出迎えた。
「いらっしゃい、実。成子さんも、今日からよろしくね」
「いえいえお義母様、こちらの方こそよろしくお願いいたします」
老女と妻が互いにあいさつを交わす。2人ともにこやかだが、妻の成子の方は少し緊張気味だ。
そこに家主のきのめの息子、実が声をかける。
「ごめん母さん、急に住ませてくれなんてお願いして」
「いいのよ、1人で寂しかったし。
それに初音ちゃんと茶太郎ちゃんも来てくれたんでしょう? 嬉しいわ」
きのめ、続いて実と成子が振り向くと、門扉には少女が寄りかかっていた。
温かな風に長い黒髪をなびかせ、無表情のままに足元を見つめる姿は、なかなかの美少女と言えた。
花咲夫妻の娘、初音。そしてその足元にいるのがペット、チャウチャウの仔犬の茶太郎だ。
初音は浮かない顔でたたずみ、足元の茶太郎をじっと見ている。
茶太郎も初音を見上げ、尻尾を振っていた。
引っ越しや祖母相手での緊張…という顔ではない。それさえも思わせない、一切の無表情だ。
茶太郎も心配そうに見上げている。
「わふ…」
初音を見つめる家族の目はどこか悲しげだ。
そこへ配送業者が車から降り、実に声をかける。
「それじゃ花咲さん、荷物運んでいいですか?」
「お願いします――初音。まずお前の分を運ぶから、業者さんを部屋に案内してあげなさい。
運び終わったらみんなで掃除をしよう。それまでは部屋で待っていておくれ」
最初に下ろすのは初音の分の荷物、ということで業者が彼女に軽く頭を下げる。
初音は軽く頭を下げ、茶太郎がわふっと一声あげて答えた。
トラックに積まれた段ボール箱の中から、『初音』と書かれたいくつかの箱を業者が下ろす。
花咲家は何度かこの家を訪れ、部屋割りなども既に決めており、初音と茶太郎が先頭に立って業者を案内した。
「……こっち、です」
「わふっ」
業者を連れて初音と茶太郎が家に上がると、業者が荷物を持って続いた。
何人か業者が残っていたため、こちらは続いて実とともに家具を居間に運び込む。
初音は自分に割り当てられた部屋のドアを開け、業者を招き入れ、荷物を置いてもらった。
殆どが衣類、文房具等の勉強道具、学校で使う教材、茶太郎用のベッドや皿などだ。
引っ越しの前に転校先の学校で話を聞いたところ、以前通っていた学校で使っていたタブレットなどは、この街の学校には一切無いらしい。
今どき手書き…とも思ったが、まだ全国の小学校にデジタル機器が普及したわけではないのだろう。
ましてここは小さな地方都市である。
2階の初音の部屋には大きな学習机が鎮座していた。
両親や祖母の話でしか聞いたことのない、昭和なる時代の物であろう。
透明なゴムマットの下に、古いアニメのキャラクターが描かれたシートが敷かれていた。
大型家具店で見た物と似ているが、汚れや材質の艶の無さからだいぶ古いのがわかる。
大きいくせに引き出しと本棚くらいしか備わっておらず、他には別売りの電気スタンドがある程度。
業者は段ボール箱を置くと、初音に軽く頭を下げて部屋を出て、1階へと降りていく。
初音も頭を下げ、彼らを見送った。
そして改めて部屋を見回すと、学習机に触れる。
「…こんなの、いらないのに」
小さなテーブルが1つあれば、初音には充分だった。
他には衣装ケース、窓際のベッド、鏡、掃除用具がいくつか。
そして机に備え付けられているのと別の本棚。
床は何年か前にリフォームして、畳からフローリングに替わっている。
引っ越す前も花咲家はここ、きのめの家に遊びに来たことがある。
その時に初音と茶太郎が寝泊まりしたのがこの部屋だ。
きのめが高齢になったこともあり、畳を変えずに済むように、両親ときのめはこの部屋を畳敷きからフローリングにリフォームした。
いらないと先ほど自分で言った学習机の横で、初音が座り込んだ。
その膝に茶太郎がしがみつくと、初音はふかふかの体を抱き上げる。
古く、しかしよく手入れされている机は、どこか温かい。
その一方、衣装ケースや電気スタンドは真新しい物で、ぴかぴかと輝いている。
古い机と新しい家具が同居し、それでいて違和感のない不思議な空間。
良い部屋だと、他人事のように初音は思った。
――自分だけが現実感を喪い、浮いてしまっている。
宛がわれた部屋も、外に見える古い住宅街も、まるで自分だけを切り離したように現実感が無い。
「わふっ」
茶太郎も初音の考えることに気付いており、心配そうに見つめていた。
初音は茶太郎を撫で、小さな体をもふりと抱きしめた。
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