98.訪問、懐かしのギルド
喧騒が耳を叩いた。
許される限り所狭しと並んだ大テーブルは、まだ食事には早い時間にも関わらず、ほとんどが客で埋まっている。突き当たりはバーカウンターのようなものが設けられているが、座っている客は木のジョッキを片手にエールを煽り、隣の客と顔を突き合わせてげらげらと笑っていた。お洒落なおとなの空間などどこにも存在しない。
ノイムとシャティアが部屋を取った宿の酒場ほど品がないわけではないが、それでも十分やかましい。
サルシャの町の冒険者ギルド、その一階に設けられた酒場である。
ここだけ見たらただの規模の大きい飲みどころだが、この施設の本分は、吹き抜になった二階だ。受付嬢が四人並んで座ったカウンターは、組合員たる冒険者の仕事を斡旋する大事な役目を担っている。冒険者は掲示板に張り出された依頼書からこれというものを選び、ギルドの受付嬢を相手に、依頼の受領から達成、報酬の支払いまでを手続きする。
ノイムは一階の酒場の左右壁面から伸びた階段をしみじみ眺めた。
この階段の手すりは、前世では、絶えず行き来する冒険者の手ですっかり擦り切れて、真っ黒い木目を晒しながら艶を放っていたものだが、今はまだそこまで手垢にまみれてはいない。ノイムの前世は今生きている時間の十年後なのだから、それも当然といえば当然である。
(私が初めてサルシャの町の冒険者ギルドに来たのは前世のことだけど、久しぶりに見たここの景色は、前世で見たのより十年も前のもので……)
言葉にすると混乱する。改めて、自分がいかにややこしい生きかたをしているのかを実感した。
「なんだシャティア、子守りは終わったんじゃなかったのか」
「これは正真正銘あたしの連れだよ。ずいぶん前に川で子供を拾ったって言ったろ」
「森じゃなくて?」
「そりゃつい最近まであたしが方々走り回って家に帰して回ってた子たちだよ。もっと前……まだ夏のうちだ」
ノイムがギルド内を眺め回しているうちに、シャティアが絡まれている。横合いのテーブルからさらに別の声が差し込まれた。
「ほら、あれだよ。シャティアが町に顔出さなくなってた時期あったでしょ、あのときよ」
「ああ、そんなこともあったなあ。闘技大会に出場する連中が、シャティアがいないって大喜びしてた」
「明日からの大会は出るの?」
「シャティアさまの天下に逆戻りだな。連中泣いて悔しがるぜ」
あちこちから会話に参加する声が飛んでくる。
シャティアは顔が広いとつくづく思う。彼女はサルシャの町に着いてからというもの、行く先々で当たり前のように気安く言葉を交わしていたものだから、今さら驚きはしなかったが、ノイムは感心してしまった。
シャティアは自分よりいくら年上の相手でも、ノイムのような幼子相手でも、まるで対等のように真っすぐな態度で接する。だから大勢に慕われる。中堅の老冒険者には娘か孫のように可愛がられ、同じ女冒険者には姉妹のように懐かれる。
村内よりもよほど伸び伸びとした、シャティアらしい人間関係がそこには築かれていた。
「ノイム、こっち。奢ってくれるってさ」
シャティアの人となりに思いをはせていたら、ごく自然に腕を引かれ、名も知らぬ冒険者たちと一緒のテーブルに座らされてしまった。ノイムが一言も発さないうちに、彼らとともに早めの夕食を取ることが決まっている。そんな予定でギルドに立ち寄ったわけではないのだが、いいのだろうか。
「腹は減ってるだろ?」
「空いてるけど……」
なにしろノイムにとっては久しぶりの外出で、さらに村を出てからほとんど歩きどおしだったのだ。とりわけ今日の移動には無駄が多かった。西へ行っては中央の闘技場へ戻り、東へ行っては闘技場へ戻りと往復ばかりしていたのである。これで腹が空かないわけがない。
テーブルにはすでに注文していたらしい料理が続々と運ばれてくる。
湯気を立てる挽き肉のパイや、ふかふかの白パンや、シチューや魔獣肉の丸焼きや、たっぷりと盛られたキャベツの炒めものなんかはおおいにノイムの食欲をそそった。隣のシャティアが手をつけるのを横目にたしかめると、ノイムもまた、テーブルに並べたてられた料理に小さな手を伸ばす。
ノイムの身長とテーブルの高さのつり合いが取れていないので、食事をするにも一苦労かと思ったが、そうはならなかった。シャティアの知り合いの、ノイムにとっては見ず知らずの冒険者たちがなにかと世話を焼いてくれたのである。
彼らは求める前から料理を取り分けて、ノイムの前に差し出してくれた。
「シャティアに拾われたとき、ずいぶん長いこと寝込んでたんだって? 小さい上に細っこいから、そうなるのも無理ないわね。むしろよく生き残ったものだわ」
切り分けた挽き肉のパイをノイムの口に押し込むのは、隣に座った若い女だ。おそらく魔導士だろう。頭の先から足まで、濃紺のローブですっぽり覆われている。
真面目くさった顔で説教してみせているが、ノイムがパイを頬張るなり「んふっ」と気味の悪い笑みを漏らした。
「まあるいほっぺがさらにまあるく……はぁ可愛い」
どうやら子供が好きらしい。咀嚼したパイを飲みこむなりかき抱かれて頬ずりされてしまった。
魔導士の女に絡まれたまま、ノイムはパンに手を伸ばす。すかさず横手から誰かの腕が伸びてきて、大きな白パンをそのままノイムに押しつけてくる。
「そんな体じゃ、サルシャの町では大通りを歩いてるだけで潰されちまうだろう。もっと食って大きくなれ」
「今のうちにたくさん栄養を取らないとね。シャティアの村じゃろくなもんも食わせてもらえないだろ? 成長期にそれじゃだめだ」
「失敬だね、あたしはちゃんと食わせてるよ。味は……保証できないけど、少なくとも腹いっぱいにするくらいは」
シャティアがパンを横取りして四つに割ってから、うちのひとつをノイムに戻した。
村で食べていた黒パンと違って、ノイムがつつくと簡単にへこむほどふわふわでやわらかい。
ひと口ふた口食んだあたりで喉の渇きを覚えて、用意されたコップを覗けば、バターミルクが注がれている。あからさまな子供扱いだが、皆と同じようにエールやビールを出されるのは困るので文句はなかった。
テーブルの上ではひっきりなしに皿やら料理やら飲み物が行き来している。同様、食事が進み、酒が入るにつれ、交わされる会話もますます賑やかになった。
ノイムにはわからない話がほとんどだったし、食べるのに集中していたので――なにしろ肉を腹いっぱい食べられるのは今世ではほとんどこれが初めてだった――ずっと口いっぱいにものを頬張って黙っていたが、疎外感というのはなかった。
同じテーブルの皆はそれぞれ談笑しながらも、ノイムが手を伸ばせばごく自然な動作で目的の料理を引き寄せたり取り分けたりしてくれる。隣の女魔導士の手元は相変わらず、ノイムにものを食べさせるので忙しくしている。その手からよく炒められてしっとりとしたキャベツを詰め込まれたときである。
「そういえばシャティア、掲示板を見たんだが、赤毛の子供を捜してるらしいじゃないか」
「また子供か。託児所でも始める気か? おまえ自身だってまだ子供のうちだろうに」
この冗談は周りにはそれほど受けなかった。茶化した男はひとしきりひとりで笑ったあとに周りの白けた顔に気づき、「すまん、続けてくれ」と口をつぐむ。
「そんな依頼あった? 人捜しの依頼はいくつか貼りだされてたけれど」
「依頼じゃない。情報求むの張り紙だ」
「ああ、先月からあるやつ。あれ、シャティアが貼ったの?」
「水臭いな。直接言ってくれれば協力したのに」
香草の効いた魔物肉を噛み切っていたシャティアが肩をすくめた。「ここいらじゃ絶対に見つからないのがわかってるからさ」……間違いなくシンシアの話だ。駄目もとでも、シャティアはきちんと手を打っておいてくれたのである。
ノイムに一言もなかったのは、やはり、サルシャの町で張り紙をしたところで見つかるわけがないと思っていたからか。
ノイムも、シャティアが行動を起こしてくれたことに喜びこそすれ、「これでシンシア捜しが前進する」という思いはなかった。
シンシアを乗せた奴隷商デビーの馬車は、今ごろとっくに隣国へと渡っている。シンシア自身はすでに売り払われてしまったあとかもしれないとは、ノイムもついさっき、宿を取った際に考えたばかりだ。
ところが、である。
「それが、ダンの奴が見たっていうんだ」
ノイムは思わず立ち上がりかけた。
隣の席の魔導士にキャベツの炒めものを突っこまれている最中でなかったら、実際、椅子を蹴飛ばしていただろう。
しかしシャティアはノイムよりもずっと冷静だった。
肉から口を離さないまま、片眉を持ち上げるだけで先を促す。
「ダンが、ここらじゃ見ない派手な赤毛の子供を見たって話してたんだよ。昨日のことだ」
「この町でってこと?」
たまらず、キャベツを口いっぱいに頬張ったままで、ノイムは声を上げた。行儀が悪いと言わんばかりに、シャティアに後ろ頭を叩かれた。
「なんだ、ちびちゃんの知り合いか?」
「この子の姉ちゃんなんだよ、捜してる子供ってのは」
肉を飲み下したシャティアがようやく口を開く。
「姉? 女か。それじゃ違うな。違う……よなあ」
話を始めた男は、酒場をぐるりと見渡した。目的の人物を見つけたようで、おおいと手を振る。向こうもこちらに気づいたようで、のっしのっしとテーブルに近寄ってきた。
見覚えのある顔だ。
(私が初めて冒険者ギルドに来たとき、酔っぱらって絡んできた人じゃん……)
「おまえが勇者に相応しいものだと、この俺に示してみせろ!」などと意気込んで、ノイムの前に立ちふさがった男だ。ノイムに渡された勇者の剣の、常軌を逸した重量に悲鳴を上げ、すごすごと引き下がっていたのを覚えている。あのときは鬱陶しくて仕方なかったのだが、こうして時を越えて目の前にしてみると、懐かしい気すら湧いてきた。
酔っぱらった彼に絡まれたいと思うことは一生ないだろうが。
とにかく、ノイムたちのテーブルに呼びつけられたダンは、促されてそのときの話を繰り返した。
「真っ赤な髪をこう、刈り上げてな。ひょろっとした体にはちとでかすぎる吊りズボンを穿いていた」
「……男の子?」
「おう。もっとも、それ以上は詳しく覚えてないぞ。なにしろ俺がその子供を見つけたのは……」
やけにもったいぶって声を落としたダンに、テーブルが静まり返る。ノイムはほとんど椅子の上に膝立ちになって、身を乗り出していた。
「えらいべっぴんが連れてたからなんだ。背の高いものすんごい美人だった。酒浸りになった頭がはっと醒めるくらいのな」
ノイムは椅子に座り直した。一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。真剣に聞いたも阿呆らしい。皿を突き出してシチューを盛ってもらいながら、心のなかで盛大なため息をつく。
その肩をやわらかく叩かれた。
シャティアだった。彼女は結局、最後まで凪いだ顔でダンの話を聞いていた。こうなることがわかっていたようである。
「気持ちはわかるけど、いちいち期待してたら身が保たないよ」
もしかしたら、すでにこの手の外れ情報を何度も聞かされていたのかもしれない。
(ラヴィーさんを空見したり、お姉ちゃんもどきの情報に踊らされたり……)
今日はずいぶん振り回される日だ。




