95.曖昧、前世の思い出
宿屋を三軒梯子する羽目になった。
どれもシャティアが何度か利用したことのある宿のようだったが、闘技大会の直前で、ほとんど部屋が埋まっている。三軒目に入ってようやく、宿の女将から「ひと部屋空いている」という言葉をもらって、ノイムとシャティアは胸を撫でおろした。
「運がよかったね、シャティアちゃん。そっちのおちびちゃんも一緒かい? 妹さん?」
「似てないだろ。預かりモンだよ」
笑い返したシャティアは、肩にかけていた麻のナップサックから手のひら大の袋を取り出した。なかから聞こえたのは、硬貨が擦れ合う高い音である。
「とりあえず五日ぶんの宿代。長引くようなら追加で払うよ」
「はいよ、たしかに。奥から二番目ね。ひとり部屋だからベッドが狭いけど、大丈夫かしら?」
「大丈夫でしょ、こっちはちびだし」
部屋の鍵を受け取ったシャティアが、傍らに立つノイムの頭を叩いた。
事実ではあるのだが、そう何度もちび、ちびと言わないでほしい。抗議の気持ちを込めて、ノイムはシャティアの手を払った。
「部屋の確認がてら、ちょっと休憩していこうか。歩き回って疲れただろ」
すげなくされても気にした様子はなく、シャティアは奥の酒場に入っていく。むっとした顔のままあとに続いたノイムは、しかし、次いであふれてきたけたたましい笑い声にたたらを踏んだ。
「シャティアじゃねえか! 見ないと思ったら、ガキこさえてたのか」
「にしては成長が早ぇなっ」
ひとつのテーブルを囲んだ男たちが、空のジョッキを振り回してシャティアに絡む。彼らもまた、シャティアの顔見知りのようだ。鍛えられた体や荷物を見るに、シャティアと同じように闘技大会のために集まってきた者だろうか。
「うるっさいな、昼間っから呑んだくれてんじゃないよ。酔っぱらいどもが」
「子守りで体が鈍ったんじゃねえか?」
「子連れで闘技大会に出る気か?」
ぎゃはははは、とこれまたやかましい合唱が響く。なにがそれほど可笑しいのかわからないが、あまり上品とはいえない盛り上がりかたである。ノイムには慣れない乗りだ。思わずそろそろと足を引いて、酒場の入り口に留まった。
「ノイム、なにやってんの。早く行くよ」
腕をむんずと掴まれた。
二階の客室に上がるには、酒場の壁際に備えつけられた階段を上がるのだ。乱痴気騒ぎを避けて通ることはできないのである。
「似てねえチビだなあ。ほんとにシャティアの娘かあ?」
「生意気な顔してら」
シャティアに引きずられながら酒場を突っ切れば、不躾な視線がぐさぐさと刺さった。答える間もなく階段を駆け上がり、階下の喧騒が遠いものになる。
「馬鹿がうつるかと思ったわ」
宿泊する部屋のドアを押し開けたシャティアは、精魂尽き果てたという顔をしていた。荷物を放りだすと、さっそくベッドの上にひっくり返る。
ノイムなどは傍で会話を聞いているだけで疲れてしまったので、相手をしたシャティアはその比ではないのだろう。
「シャティアの友達? ずいぶん気安い態度だったけど」
「冗談じゃない。ただの大会の踏み台。あたしに勝てたことがないから、ああやって雑な絡みかたしてくんの」
酷い言われようである。
ただ、あの酔っぱらい連中を友人と呼びたくない気持ちはノイムにもよく理解できた。
床に転がったシャティアのナップサックを拾って、窓際に設置された机の上に置き直した。がたんと音を立て、机が傾く。どうも足の長さが違っているらしい。椅子を引いて座ると、これもまたかたかたと音を鳴らしながら揺れた。
掃除が行き届いているので不潔な感はないが、年季の入った宿である。
「それにしても、シャティア」
「うん?」
「ずいぶん用意がいいみたいだけど」
ノイムはナップサックをつついた。ここまでほとんど気にしていなかったのだが、シャティアはこれを、勇者の森にいたときからずっと持っていた。ただ森に入るだけならこんな荷物は必要ない。村を出たときにはもう、サルシャの町へ行くつもりだったということだ。
「昨日からこうするつもりで準備してたんだ。だからアマンダにだけは、しばらく村を空けるって伝えてある。失踪したことにはならないから、安心しな」
「安心……していいのかな……?」
村長には無断で出てきたということだ。村に戻ったときのことを考えると頭が重い。
「気にしてたら息抜きにならないよ」
うんと伸びをしたシャティアを見て、ノイムは考えるのをやめた。たしかにここで考えても詮無いことだ。あとで面倒が待っているからといって、今すぐ村に飛んで帰るつもりもない。
窓から見えるのは、ノイムにとってはトパの街以来の景色だ。
もちろんその規模は比べるべくもないが、それでもぴたりと軒を連ねた建物群や、絶えず道を行く人々の姿は、今朝までいた村よりよほど、トパの街を想起させた。
(シシーは大丈夫かなあ……)
別れてからもう二か月も経ってしまった。
じりじりと照りつけて姉妹の肌を焼いていた夏の日差しは、冬に向けて冷える空気をあたためるやわらかい陽光に変わった。季節がふたつも移ろうとしている。ノイムがどれほど足掻いてデビーを見つけ出したとて、時すでに遅く、そこにシンシアの姿はないかもしれない。
(やっぱりこのままじゃ駄目だよね)
シンシアの両親に顔向けできないから、一度帰ってしまったら身動きが取れなくなるからと、トパの街へ帰ることを渋っていた。しかし今となっては、村にいるほうが自由がないといえる。
闘技大会が終わったら、村には戻らずにトパの街へ送り届けてもらおうか――などと考えていると、横からシャティアが顔を突っこんできた。
「なに見てんの?」
彼女には、ノイムが窓の外を熱心に観察しているように見えたらしい。
先ほど「息抜きにならない」と突っ込まれた手前、思案に暮れていたことを口にするのは憚られた。代わりにノイムは、町に入って最初に出くわした騒動を思い返す。
「……詰所の前の騒ぎ、もう収まったのかなって思って」
「ここからじゃ見えないだろうよ。ほら、あの四角いのが騎士団の詰所」
シャティアが指さしたのは、かなり右にずれたあたりだ。
細い路地を一本挟んだ向こうに、目抜き通りが横たわっている。手前に並ぶ建物に覆い隠され、広々とした通りはその道幅の半分も見えなかった。騎士団の詰所は、その目抜き通りに被っている手前側の建物群のひとつである。たしかにこれでは、入り口の前で起こっていた喧嘩の顛末なんて確認のしようがない。
「ノイムって、意外と野次馬根性あるよね」
「意外かなあ」
「いかにもな面倒ごととか、嫌いそうじゃない」
「騎士団と自警団の小競り合いは、私に関係ないから……」
「安心して野次馬できるって?」
心ここに在らずのまま、ノイムは頷いた。
これが勇者の剣に関連する諍いだったら、ノイムは率先して逃げだした。傍観者でいられるから、好奇心のままに顛末を見届けたいと思う。
果たしてそうだろうか。
言葉にしてみたら、違う気がした。
(サルシャの町……トラブル……事件……闘技大会……うーん?)
なにかが引っかかる。そう、ずっと引っかかっていた。だから目にした騒動がこんなにも気にかかるのだ。
この時期この場所で、なにか事件のようなものが起こったような。
輪郭を持たない薄ぼけた記憶が、ノイムの背中をつついている。
(前世で聞いた話だよね……でも、サルシャの町に寄ったのなんて)
勇者の剣を携えて村を旅立った直後だ。以降はラヴィアスに殺されるまで、二度と訪れなかった。
その際に話を聞いたのだ。『十年前のサルシャの町で起こった事件』についての話だった。過去の出来事として耳にしたことは覚えている。
しかし、思いだせるのはそこまでだ。
(うーん……?)
肝心の部分にモザイクがかかっている。話を聞いたことは覚えているのに、どんな話だったかがわからない。シャティアが語ってくれたことに間違いはないのだが……いや、それも違うように思えてきた。
具体的なかたちを掴もうと思考を巡らせると、ますます不明瞭になる。
(そんな簡単に忘れちゃうような、しょうもない出来事だったのかなあ)
違う。ノイムの記憶力が怪しくなってきている。以前よりも明らかに思いだせなくなっていた。二度も転生したからだろうか。ノイムの脳のキャパシティが限界を迎えて、古い記憶の欠片を捨てにかかっているのかもしれない。
(そういえば、高校のこと……もうあんまり覚えてないな)
思いだした校舎の景色が正しく高校のものかも自信がない。小学校の校舎かもしれないし、中学かもしれない。自分のクラスの場所となるともっと厳しい。そもそも高二のノイムは、二年何組だったのだか。
(あれ……)
いつも一緒に行動していた友人の名前は、なんだったっけ。
ぞっとした。
もう二度と戻れない場所だ。できる限り覚えておきたいのに、覚えておきたい部分の記憶が削げ落ちている。
(お父さんとお母さんのことは思いだせる……声は、ちょっと曖昧だけど)
聴覚は最も記憶が薄れやすい感覚だという。高校生だったノイムが転生してから、単純計算ですでに十年が経っている。両親の声が鮮明に思いだせないのは、これは自然の範疇だろう。
――本当にそうだろうか。
「ちょっと、さっきからぼうっとしすぎじゃない? 人酔いでもした? 宿探しにずいぶん連れ回しちゃったから」
肩を揺すられて我に返った。
「ノイム? あたしが闘技場に行ってる間、部屋で待ってるほうがいい?」
「ううん、一緒に行くよ」
「ちょっと顔が青いよ」
「平気。変な考えごとしちゃっただけだから」
「変な考えごと?」
いくら思いを馳せたところで、忘れてしまったものは取り戻せない。やめにしよう。際限なく落ち込むだけだ。
「ま、大丈夫ならいいけど……」
まだ心配そうなシャティアの視線を振り切って、ノイムは椅子から腰を持ち上げた。
「もう出る? 私はいつでも――」
顔を上げる。
視界が窓の外を撫でる。
往来の多い目抜き通りに、ノイムはあり得ないものを見た。
「――え」
道行く人から頭ひとつ抜きんでた長身。颯爽とひるがえり、日の光を反射する銀の髪。ほんの一瞬だったが、ノイムの目には、たしかに見えた。
ノイムは椅子を蹴飛ばした。
「ちょ、ちょっとノイム!?」
シャティアの制止を置き去りに、ドアに飛びついて廊下へ飛びだす。階段を駆け下りる。馬鹿騒ぎを続ける酒場を抜けて、弾丸のように宿の入り口を出た。
(見間違いかも――)
その可能性のほうがずっと高い。なにしろ遠目に一瞬見えただけだ。それでもノイムは走らずにはいられなかった。
だって、もし、本当に。
(ラヴィーさんがいたのなら――)
追いかけないと、後悔する。




