91.怖れ、復讐心の裏に
シャティアの母の首は、彼女が瓦礫に圧し潰されたあとに、力任せに引きちぎられたようだった。父の首にあったようなぐちゃぐちゃの断面からおびただしい量の血を流し、首なし死体は埋まっている。
「あたしが外を見たときには、もう全部終わってたんだ。隠れていたのはそんなに長い時間じゃなかったはずなんだけど、集落はびっくりするくらい様変わりしてた」
家々は余すところなく突き崩され、あちこちから火の手が上がっている。立ち昇る煙が乾いた風に煽られてたなびき、焦げ臭い空気がじりじりと照る日差しに圧されて重くのしかかった。なによりシャティアの胸を詰まらせたのは、息を止めても侵入してくる血臭である。
集落の中央。
交流の場であった広場には、老若男女問わず、あらゆる首が並べてあった。
『君だけになっちゃったね』
すぐうしろから声がした。
飛び退くように振り返ったシャティアは、足をもつれさせて積み重なる瓦礫の上に倒れた。慌てて身を起こそうとしたが、隙間に上手くはまってしまったようで、立ち上がることができない。
幼いシャティアは、その体勢のまま、ゆっくりと顔を持ち上げた。
魔族の男が立っている。
その左手には母の首が、右手には父の首が。
あまりの光景に、シャティアは動けなくなった。
全身が激しく震えだす。歯の根が合わない。体じゅうの血が一斉に逃げてしまって、指先がひどく冷たい。これほどの恐怖に駆られても気絶できない。顔を逸らすこともできない。なればまぶたを下ろしてしまえと思ったのに、それもできなかった。
ただ、見開いた目から次々と涙があふれてくる。
シャティアは彫像のように固まったまま、魔族の男を見上げた。
『これ、君のお父さんとお母さんだよね? 顔がよく似てる。似てるといえば、向こうでもうひとり男の子がいたな。この男の人にそっくりだった。君のお兄さんかな? しくったなあ』
男は心の底から残念そうに、あれも持ってくればよかったや、と苦笑した。
『今から持ってこようか。うん、それがいい。家族四人の首を並べたら、イイ感じになると思わない?』
人の首を揃いの置き物かなにかのように語る。
その台詞が耳から入って、じわじわと脳まで浸透し、意味を理解できたところで、ようやくシャティアの体はまともに機能し始めた。冷えた肉体に熱が戻り、シャティアは爪が食い込むほどきつく拳を握る。
『人殺しッ。悪魔! よくもあたしの家族を――集落を!! 殺してやるッ!!』
腹の底から湧き上がった激情に任せて怒鳴った。シャティア自身が驚くほど真っ赤に染まった声だった。
『そんなに怒らないでよ。せっかく可愛い顔なのに、それじゃあ首を取ってもちっとも良くならない。さっきまではとても良かったのに……残念だな』
瓦礫の隙間から抜けたシャティアは、素手で男に飛びかかった。正確には、その両手に収まった両親の首に向かって。取り返そうとしたのである。
しかしあっさり避けられて、シャティアはふたたび瓦礫の上に転がることになった。
『――あ、いいこと思いついた』
男が楽しげな声を上げるのと、シャティアが起き上がって睨みつけるのは、同時だった。
『ずいぶん気が強いみたいだから、君、そのうち僕に復讐しにくるだろ?』
そこを叩き潰してあげよう、と魔族の男は笑った。
『ただ僕を殺すことだけを考えて、鍛えて鍛えて鍛え抜いて、それでも敵わなかった――そうしたら、君は絶望するに違いない。死に際の君はきっと、静かでいい表情をするよね。うん、そのほうがいいや。今は見逃してあげる』
明確な殺意のこもったシャティアの視線にもまったく動揺せず、男は身を翻した。両手にはシャティアの両親の首を持ったまま。彼は背中の翼を羽ばたかせ、ふわりと浮いた。
『いつもは、取った首はしばらく眺めてから捨てちゃうんだけど……君の家族の首はぜんぶ取っておく。そうなったらお兄さんの首も急いで保存しないと。鳥に突かれでもしたら大変だ』
父の首を小脇に抱え、空いた手を額にかざして、方角をたしかめるようにあたりを見回す。そして最後に、足元のシャティアを振り返った。
『いつかまた会おう。そのときを楽しみにしているよ』
覚えておいで、僕の名前。僕は――。
「トワン。あたしの故郷をめちゃくちゃにした魔族。あいつはまだ、あたしの家族の首を持ってる」
「わかるの?」
「あいつがいなくなったあと、あたしは一番近い集落に助けを求めに行った。交流があったからね、何度か行ったことがあったんだ。事情を説明して、人数を揃えて、集落に戻った。あちこちに転がってた遺体と、広場に並べられてた首とを一緒にして、ひとつ残らず埋葬したんだけど……」
シャティアの母親の首だけがなかった。同じように、出先で見つかった男衆の遺体のなかでも、シャティアの父親と兄の首だけがなかったのである。
「これはあとから聞いたんだけど、あのトワンとかいう魔族、『首狩りトワン』とか呼ばれて、ランベルクでは結構有名だったみたい。殺した人間の首を何十個って並べて眺めるのを好む変態だよ。だから人里まるごと潰す事件をたびたび起こしてる」
たびたびといっても、二十年か三十年に一度の話だ。人の身からすれば周期は長い。だからランベルク出身の冒険者などは、トワンによって潰された集落の話を聞くと「ヤツに目をつけられるとは、気の毒なことだ」という顔をするという。
「だけどねえ、あたしンときはおんなじ時期に、また別の集落がひとつかふたつやられてるらしくってさ」
勇者失踪の噂を耳にして、トワンもいくらか調子に乗っていたらしい。いつもより活発だったのだ。あまりに被害が多くなりすぎたので、中央から正式な討伐軍が派遣された。
「それから奴は姿をくらました。軍を相手にするのは面倒だとでも考えたのかね」
そのころ、シャティアはすでにひとりであちこち放浪していた。交流のあった集落が面倒を見てくれるというのを突っぱねて、ひたすらトワンを追いながら戦う術を身に着けていたのである。
いくつかのオアシスを渡りながら、中央都市にも赴いた。
そしてトワンがランベルク共和国から出たらしいと知ると、シャティアは初めて、その足を国の外へと向けた。
「もともと神出鬼没だったんだ。どうして奴がもうランベルクにいないってわかるのか、おおいに疑問ではあったんだけど……いや、普通なら疑問に思うところだったんだろうけど、あたしは迷わず国を飛びだした」
恥ずかしい話だけど、とシャティアは声を潜める。
「結局、あたしは怖かったんだ」
いつか殺すと宣言された。いつかはわからない。明日にでも、トワンはシャティアの前に現れるかもしれない。シャティアが強くなるまでなど、待っていないかもしれない。
「強くなったあたしを叩きのめして殺すより、強くなる隙も与えずに殺したほうが、手っ取り早くて奴にとって得なはずなんだ。あたしはずっと怯えてた。トワンの影に怯えて一歩も動けなくなりそうで、そうならないように、奴には憎しみしか抱いていないんだ、怒りしか湧いてこないんだって思い込んで自分を奮い立たせてた。もう奴がランベルクにはいないだろうって聞いて、だからあたしは、国を出るときはほとんど逃げる気持ちだったんだ」
一歩外に出てしまえば、もう抑えがきかなかった。ランベルクから、トワンがいた場所から、滅ぼされた故郷から、できるだけ遠く、遠く。トワンがもうシャティアを見つけられないように。彼が本当にランベルクを出ていたとしたら、それはむしろ悪手なのだが、恐怖に駆られたシャティアに、それもまだほんの子供のシャティアに、そこまでの冷静さはなかった。
そうしてはるばる、大陸の反対側の、サニア国までやってきたわけである。
「女で、それもまだほんの子供でひとり旅なんて、ずいぶん無謀なことしたと思うよ。五体満足で生きていられるのが不思議なくらい。奴隷商に捕まったとこで、ようやく我に返った」
「捕まったことあるの?」
「ある。売りに出される直前で摘発されて、解放された。運がよかったよ。それでちょっと、反省したというか……疲れちゃってね」
シャティアのその幼さでほんの数年鍛えた程度では、トワンから逃げ切る術を身に着けたり、ましてや敵を討てるほど、世界は甘くないということを……今のままではトワンに殺されるよりも先に、ほかの出来事が要因で命を落とす可能性のほうがはるかに高いことを、シャティアはじゅうぶんに思い知った。
「冷静になると、逃げるように国を出たのも情けなくて悔しくてさ……それだけまともな思考ができるようになったってことでもあるんだけど。とにかく、サルシャの町には闘技場がある。いろんな国の強い奴と戦うにはうってつけの場所だ。強くなるってことに、もう少し真面目に取り組んでみようと思った」
復讐のためかと問われると、少々違うとシャティアは答えるだろう。彼女の怒りと復讐心は、トワンに対する恐怖を覆い隠すための虚構だった。
「今ならもう少しマシな気持ちで奴と対峙できるのかもしれないけど……実際、トワンに向き合ったときのあたしは、指先ひとつで殺されちまうような弱っちい少女だった。あんときの怖い気持ちは、そうそうなくならない」
でも、両親の首は、兄の首は――シャティアの大事な家族の首は、トワンが持っている。
「それだけは絶対、なにがあっても、取り返さなきゃって思った。だから今は、そのために鍛えてる。結局、トワンを殺さなきゃいけないことは……同じなんだけど」
心持ちはずいぶん違うだろう。
家族の首を取り戻すという目的は、少なくとも、復讐を誓うよりもずっと、固い覚悟をシャティアに決めさせたのだ。




