90.寝物語、荒々しく
その日のシャティアは出かけなかった。
ノイムをひとり村に残すのはよろしくないと判断したのかもしれない。引きずってでも国王陛下の御前に放りだしてやると顔を真っ赤にしていたあの村長なら、ノイムを簀巻きにして荷物のように王都へ運ぶくらいはしそうだった。ノイムがデビーに攫われたときのように。純粋な力では敵わないし、なにより脇腹の傷のせいで本調子ではないノイムに、抵抗することは難しいだろう。
だとすると、狙ってくるのはノイムの庇護者たるシャティアがいないときである。
「でも、よかったの? 余所の子供たちの……」
ここ一週間シャティアが忙しくしていたのも、一昨日、ノイムがピンチのときに頼ることができなかったのも、ひとえにそのためだ。勇者の剣に魔力を注ぐため、各地から攫われてきた子供たち。彼らをどうにか親元に帰してあげようと立ち働いていたからなのである。
「もうほとんど全員帰したよ。といっても、遠方から攫われたらしい子は、知り合いに預けて送り届けてもらえるように頼んだだけだけど。あたしがしょっちゅう家を空けたのは、どっちかというとそのための資金繰りだね」
シャティアが子供を託したのが商人か冒険者かはわからない。誰だったとしても、親切心でほいほい引き受けてもらえることではなかった。彼らが子供を連れて旅をする間、そのぶんの食い扶持が増えるのだ。また、もともとの旅程が大幅にずれてしまったかもしれない。ただで頼んでも断られるだけだ。
人に頼むにはそれ相応の礼が必要で、シャティアはその謝礼を用意するのに苦心したのだという。
「手っ取り早いのは金だ。あいつらがほしがってた商品だとか武器だとか魔石だとかを用意してやる暇はなかったからね。サルシャの町の闘技場でひと稼ぎしてきた」
飛び入りで参加できる闘技には、勝てばかけ金の一部が報酬となり負ければ逆に損失額を払わされるという、一種博打のようなものがある。
「大会なら負けたときのペナルティもないし、優勝すれば結構でかい額の賞金が手に入るんだけど」
予選から始まる闘技大会は参加人数も馬鹿にならないので、終わるまでにどうしても二日、三日と日数がかかってしまう。そもそも定期的に開かれる大会は季節の変わり目に一度きりで、あとは貴族のモノ好きが投資した特別なものだけだ。秋の定期大会は終わったばかりだった。それでは参加のしようがない。
「だからちまちま稼いできたわけよ。もちろん謝礼として全部ばら撒いちゃったから、あたしの手元にはびた銭一枚も残ってないけどね」
にやりと笑ったシャティアにつられて、ノイムも笑みをこぼした。
狭い家のなかでこうしてふたり向き合っていると、シャティアと最後に会ったのが何週間も前だったように思えてくる。実際はほんの三日だ。シャティアがいない間に、大変なことが起こりすぎたのである。つくづくノイムは運が悪い。
夕飯の手伝いは断られた。だから今夜のスープには、ノイムのひと口には大きすぎるサイズに切られた野菜がごろごろと入っていて咀嚼するのに苦労した。
これまたノイムの口には大きすぎたのだが、珍しく肉のかたまりなども入っていた。何気なくなんの肉なのか尋ねてみたら、「熊肉だ」と返事をされて、危うく吐き出すところだったのはご愛嬌である。冗談なのか本当なのか本気で考えてしまったが、魔力酔いを起こした熊の肉など毒になる。
入っているわけがなかった。からかわれたのだ。
腹がくちくなるとすることもない。自然と就寝の流れになった。
シャティアの命令で、ノイムは根が生えたように寝床に留まっていたので、今さら寝ると言われても睡魔がやってこない。それ以前に、怪我をしてからまる一日眠り込んでいたせいもあるかもしれない。
ただ、そのどれもが言い訳に思えるくらいには、「おやすみ」を言ってしまうのがもったいないと思った。だから、隣の寝床に横たわったシャティアになんのかんのと話しかけて、引き伸ばす。シャティアは文句も言わずに付き合ってくれた。
しかし、ノイムが繰り出すくだらない話題も無限ではない。話の種が底を尽いた。夜の静けさがふたりの間に差し込む。
いよいよ寝なければならないかと息を吐いたところで、おもむろにシャティアが口を開いた。
「あたしの故郷はさ、サニアとは反対で、大陸の西にあったんだ」
やや唐突とも思えるその語り始め。
それは寝物語だった。
その国は、最西端というほど端にあったわけではない。ただ、荒んで治安の悪いサニア国とはまた別の意味で生きにくい場所だった。
砂漠の共和国、ランベルク。
国土の大半を熱い砂に覆われている。都市と呼べるものは国の代表者が集っている中央のみで、緑豊かな自然もそのあたりでしか拝むことができない。人口は万を超えているが、それもまた中央都市唯一である。
あとの人里はといえば、砂漠に点在するオアシスに人が集って、集落が形成されているばかりだった。
シャティアの生まれは、その、オアシスを頼みとする集落のひとつである。
「でも、水源の水かさが……年々、減っていたみたいでね。移り住む場所を探していた最中だったらしいの」
詳しくはシャティアも知らないという。
なにしろ当時、シャティアは現在のノイムよりいくつか年上なだけのほんの子供だった。それもかなりお転婆だった。冒険心に突き動かされて集落を飛びだし、砂漠で迷子になる――そういう事態を避けるために、集落の子供でも特にシャティアは、外出を固く禁じられていたらしい。
「実際、親の目を盗んでちょっと出かけたら、帰れなくなって、そのまま砂漠で夜を迎える羽目になりかけたことがあってね」
明かりのない家のなか、表情のほとんど見えない暗闇で、シャティアがふと笑ったのがわかった。こっぴどく叱られてそれからしばらくは家の外にも出してもらえなかったと話す彼女の声音は柔らかい。
懐かしんでいるのだろう。
決まりを破って叱られた経験など苦い記憶にしかならぬはずだが、シャティアにとっては、それもまた慈しむべきあたたかい思い出のひとつなのだった。
「とにかく、そのころは父さんや兄さんがよく家を空けてさ」
人が移住できる空いたオアシスはないか、あったとして、それは集落全員が暮らしていける規模なのか。今いる場所から遠すぎるのも駄目だ。旅路があまり長すぎると、年寄りなどは途中で力尽きてしまう。
「誰も焦ってはいなかった。たぶん、移住の目途は立ってたんだ。元気な男衆が先立って、もう準備を進めてたのかな。あたしが覚えてる父さんたちの外出は、それだったのかもしれないね」
すべてシャティアの予想である。二度と真偽のたしかめられない予想だ。
集落の移住は叶わなかった。六年前――ちょうど、勇者失踪の噂が大陸じゅうを駆け巡っていたころだ。
悲劇は起きた。
「ある日ね、その、外に出てた連中が――」
よく晴れた日だった。
砂嵐などもなく、視界は明瞭。景色は遠くまで見通せる。ひとつの人影が、シャティアの集落に向かって歩いてくるのが見えた。見知らぬ男である。
初め、シャティアたちは旅人かなにかが道に迷って助けを求めてきたのだと思った。このあたりでは珍しくないことだ。集落の者たちは気軽に手を振って、その旅人らしき男を招き入れた。外から来た人間の旅の話を聞くのが好きだったシャティアも、興味津々で家から走り出る。
「でも、その男は、片手に――首を」
悲鳴が上がった。
やってきた男は、旅人などではなかった。片手に、出かけていたはずの男衆の首を握っていたのだ。首はもぎ取られたように哀れな断面を晒し、真新しい血の雫をぽたぽたと落としていた。
「父さんの――首だった」
集落は殺気立った。
移住先探しの外出には加わっていなかった男衆が、武器を手に手に男に迫る。
『ずいぶんな挨拶じゃないか。まだ僕は名乗ってもいないのにさ』
数多の刃が向けられているのにも関わらず、男は朗らかに笑った。
その背から真っ黒い翼が伸びる。二度、三度と羽ばたくたびに羽が舞い、片手にしたシャティアの父の首に降りかかる。
「あたしがこの目で見たのはそこまでだ。母さんに家に引っ張り込まれて、衣装箱に放り入れられたからね」
母親は衣装箱の蓋を閉めながら、今まで聞いたことがないほど優しい声で言った。
『母さんがいいと言うまで出てきちゃ駄目よ。いい子ね、そこでじっと隠れていらっしゃい』
光が閉ざされ、なにも見えなくなる。嗅ぎなれた家族の香りがシャティアを包んでいる。
手を動かすと、特別な日に着る母のドレスが手に触れた。綺麗だから自分も着てみたいとねだったことがある。当たり前だが今のシャティアでは襟元ががばがばで、裾もだいぶん引きずってしまう。おとなになったら貸してもらう約束をしていた。
足に絡んだのは、父が若いころに気に入っていた派手な服だ。父の体型ではもう入らない。だから父は兄に着せたがっていたのだが、兄は派手好きの父のセンスが理解できないようで、頑なに拒んでいた。
兄は――兄もまた、父のように首をもがれて死んでしまったのだろうか。
冷たいものがシャティアの背をすべり落ちる。固く目をつぶると、虚ろな表情をした父の生首がまざまざとまぶたの裏に浮かんだ。人が、自らの肉親が殺された。ようやく実感を得る。そして、母が――母が、シャティアに「出てきておいで、もう大丈夫」と言う場面が、永遠に訪れないことも。
『母さん!! 母さんも一緒に隠れてよ! ねえっ、ねえってばッ』
叫んだはずのシャティアの声は、外から響いてくる阿鼻叫喚と破壊音にかき消されて、彼女自身の耳にすらろくに届かなかった。破壊の手はやがてシャティアの家にも及んだらしく、母の甲高い悲鳴と、壁が砕け、屋根が崩れて降りかかってくる衝撃が空気を震わせる。
シャティアの入った衣装箱はひっくり返った。蓋が開いて光が差す。目の前に瓦礫が落ちてくる。じっと隠れているなんてとてもできない。手足に絡みついた家族の服で芋虫のようになりながら、シャティアは箱から抜けだした。
体の自由を取り戻してどうにか立ち上がる。
頭上に広がるのは青空だ。シャティアの家は崩れ落ちていた。ぴくりとも動かぬ母の体が、瓦礫の下敷きになっている。助ける気にはなれなかった。手遅れだ。
なにしろ、母の体には首がついていなかったのである。




