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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
五章 代理勇者の助太刀
89/128

88.予後、確認する

 脇腹に刻まれた傷は言い逃れも許さない。

 魔力酔いを起こして狂暴化した熊と、勇者の森で戦ったなによりの証拠である。己の手足のごとく自在に扱える長剣の、握りの感触を覚えている。ノイムは勇者の剣を振るって熊を刺殺したのだ。


 勇者の剣を抜いてしまった。そしてあろうことか、使ってしまった。

 前世よりも状況はなお悪い。しかし改めてそれを実感したというのに、衝撃は少なかった。


 諦念が大さじ一杯、やるせなさが小さじ一杯、ショックと悲しみと絶望が少々。そんなところである。それらは深いため息となって、ノイムの口からこぼれ落ちた。


「ノイムちゃん……起きたのね?」


 すぐ傍で聞こえた声に、息を吐いたまま喉を詰まらせる。

 シャティアの寝床とは反対の隣から、むくりと起き上がった人影があった。乱れた髪を手櫛で整え、目元を擦った影――アマンダは、膝を揃えてノイムの枕元に座る。


「あ、アマンダ?」

「どこか悪いところはないかしら。頭が痛いとか、吐き気がするとか。怪我は痛む?」

「ない、ないよ、ぜんぜん平気」


 跳ね散らかす心臓を押さえながら、ノイムはどうにかこうにか答えた。

 言葉に嘘はない。実際、脇腹の傷が引きつれる感じがするだけで、体調はすこぶる良い。


 むしろ具合が悪そうなのは、アマンダのほうである。

 ほっとしたように息を吐いた彼女の顔は心なしか青白い。目の下がうっすら黒ずんでいる。


「あの……アマンダこそ、顔色悪いけど」

「このくらい、なんともないわ」


 とてもそうは思えない。ノイムが目覚めるまでは隣に身を横たえていたようだが、半分落ちたまぶたと、あくびを嚙み殺しているところから察するに、睡眠はまだ足りていない。だとすると、それは――ほかならぬ、ノイムが原因なのだろう。


「私、そんなに危ない状態だったの?」


 先ほど確認したとおり、傷はすでに塞がっている。

 傷の治療といって真っ先に思い浮かぶのはやはりアマンダである。彼女が治癒魔法をかけてくれたのだろう。聞けば実際、誰よりも長い時間ノイムに添っていたのはアマンダのようだった。僅かな休憩を挟みながら、ノイムの傷をここまで塞ぎ、二度の夜を明かしてくれたのである。


「シャティアは?」

「帰ってきているわ。今は……たぶん、村長のところに」


 アマンダの顔がわずかに曇った。首を傾げたノイムから逃げるように、彼女は腰を上げる。


「みんなに知らせてくるわね。ソルノくんやハーレくんは特に、あなたのこと心配してたのよ。ここにも何度も来ていたの」

「ハーレはともかく、ソルノ?」


 ノイムははっきりと眉をひそめた。

 アマンダが口元を緩める。その頬にはもう、馴染みの柔らかい笑顔が戻っていた。一瞬だけ陰ったように見えたのは気のせいだったのだろうか。


「そうよ。あの子、自分が看病するって言って聞かなくて。ソルノくんには荷が勝ちすぎるから断ったのよ。ゆっくり休んで、ノイムちゃんが起きたときに元気な顔を見せて安心させてあげてって言ったら、納得して引き下がってくれたわ」


 ソルノの元気な顔を見てノイムが安心するかは疑問である。むしろ憎々しく思うかもしれない。勇者の剣を抜く羽目になったのは、なにを隠そう、彼のせいなのである。


 ノイムは複雑な表情のまま、アマンダを見送った。

 細い背中が見えなくなると、ゆっくりと体を起こして伸びをする。脇腹が引きつって冷やりとしたが、気分はすこぶる良い。


(なんか、起きても大丈夫そうだな、これ)


 脇腹にさえ気を配れば、ほとんど普段どおりに過ごせそうだった。

 ひとまず喉が乾いた。お腹も空いた。寝床を抜け出して、炉にかかった鍋を覗く。スープが残っている。シャティアの朝食だろう。まだほんのり温かかったので、そのまま食べることにした。


「きゃーっ! なにやってるの!!」


 突如響いた悲鳴に、ノイムは手にした匙と椀を落とす。椀は床に転がったが、匙のほうはぽちゃんと音を立ててスープのなかに沈んだ。


「なんで起きてんだよおまえ」

「駄目だよノイムちゃん、安静にしてないと!」

「こわいものしらず……」

「き、傷が開いちゃうよ……お腹空いたなら、私がやるから……」

「んだよ、元気じゃねえか。おまえら大げさなんだよ」


 どやどやと入ってきたのは村の子供たちである。ノイムはあっという間に捕まって、アダンとメリィ、ハーレの手で寝床に押し込まれてしまった。


「大丈夫だってのに……傷はもうほとんど治ってるんだよ」


 かけ布を被せられながらうめくと、呆れた笑顔を浮かべたハーレが傍らに腰を下ろした。


「あんまり大勢で押しかけるのも悪いかと思ったけど、来て正解だったね」


 それが呼び水となって、ほかの子供たちも次々とノイムの周りに座る。ソルノだけが戸口に立ったまま、しかめ面をしている。


 賑やかになった。

 エイミーがよそってくれたスープをすすりながら、ノイムは怪我の具合を話した。メリィとハナが興味を持ったので、襟元を引っ張って見せてやる。一緒になって覗き見たエイミーは卒倒しそうな顔になった。


「これ痛くないんだ? ピンク色で……もちもちしてそう」

「みみずみたいでかわいくない」


 失礼だぞ、とアダンがハナの丸い頬をつつく。

 細くてピンク色でぷっくりと盛り上がっている。たしかにみみずである。感想としてはハナにまるきり同意だった。


「でもこれはみみずじゃないから、あんなうねうね動かないぶんまだ可愛いと思うんだけど」

「可愛い怪我ってなんだよ」


 今度はノイムが呆れられる番だった。


「みみず……可愛くないの?」


 おずおずと口を挟んだエイミーによって、一瞬、皆が押し黙る。ずず、とノイムがスープを飲む音だけが響く。


 そしてこの話はなかったことにされた。


 話題が移ろう。自然、皆の興味は勇者の剣に向けられた。ノイムが抜いたのである。気になるのも当然だった。


「まだ森に放置されてるんだ」


 ハーレが教えてくれた。

 彼の剣は一昨日の晩のまま、熊を倒した場所に転がっている。ノイムが気絶してしまったので、勇者の剣を持って帰れる人がいなくなってしまったのである。


「元気になったら取りに行くんだよな? 俺にも触らせてくれるか?」


 アダンのきらきらした瞳が向けられたが、ノイムは曖昧に笑って流した。


 前世のノイムは無知だった。

 だから、勇者の素質を持っているのにそれを隠して知らぬふりをするのはよくないと聞いた彼女は、そういうものと無理矢理呑み込んで国王のもとまで参じたのだ。きちんと彼のもとまで赴いて意思を示せば問題ないと踏んで、「勇者の剣を抜いたが、できれば失踪した前代勇者を見つけて、彼にすべてを任せたい」と馬鹿正直に奏上した。


 結果は見てのとおりだ。ノイムは魔王に殺されて転生し、今ここに立っている。


 サニアの国王は「一刻も早く魔王を斃してくれ」とそればかりで、戦いを知らない十七歳の少女の心を理解しなかった。

 どころか、役目を果たせぬならこの場で打ち首とまで言い切った。ノイムが死ねば、勇者の剣はふたたび誰のものでもなくなり、次の勇者が現れる可能性が生まれるからである。剣を振ったこともない小娘よりも、次の誰かに賭けたほうがいいと判断されたのだ。


(逆らえるわけがないんだよなあ……)


 しかし、今世のノイムは知識を持っている。

 少なくとも、勇者が魔王を斃す旅に出発し、失敗して死ぬまでの、数年ぶんの知識は。


 勇者の剣を抜いてしまったことは、転生したノイムの覚悟を粉々に打ち砕いた。

 勇者の剣を振るって獣を倒してしまったことは、前世のノイムの意地をぐちゃぐちゃに踏み荒らした。


 それでもここは辺境の村で、王都にある城の謁見の間などではない。

 ノイムが勇者だと決まって、退路がなくなったわけではない。

 取り返しはつくはずだ。


 勇者の剣を抜いても、勇者にはならぬと言い張ることが、今のノイムにはできる。

 道は断たれていない。


 諦念が大さじ一杯、やるせなさが小さじ一杯、ショックと悲しみと絶望が少々。それでもショックはあまりないと言えるのは、それよりも大きなたったひとつの感情を持っているからだ。


 バケツ一杯の意志だった。


「剣は森に挿し直してくる。持って帰ってはこないよ」

「でも……だって、ノイムちゃん、勇者の剣を抜いたんだよ?」

「私、勇者にはならないもん」


 ブーイングの嵐である。それぞれがそれぞれに文句を言っているので、渦中にあるノイムには誰がなにを言っているのかほとんど聞き取れなかった。


「抜いといてなんだよそれ!!」


 ただ、ソルノのこの怒鳴り声だけはよく届いた。誰よりも遠くに立っているのにも関わらず、誰よりも声がでかかった。


「誰のせいだと思ってんの馬鹿ッ」


 だからノイムも、負けじと大音声で言い返す。

 ソルノは口を開いたまま固まってしまった。口々に抗議の声を上げていたほかの者もたちまち黙った。


 その沈黙に、ざくざくと地面を踏みしめる音が挟まる。

 タイミングのいいことに新たな来客が訪れた。


「ものすごい声が聞こえたけど、なんの騒ぎ?」


 より正確に言えば、家主が帰ってきたのである。

 シャティアだった。

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