80.正体、確信を抱く
肖像画のなかの少年が、ラヴィアスに似すぎている。
この少年だけじゃない。
座って微笑んでいる壮年の男は銀の長髪で癖毛で、こちらは今の、おとなのラヴィアスによく似ている。彼の隣に座す壮年の女のほうはどうだ。髪こそ黒いが、厚い睫毛に覆われて甘く垂れた目元などは、ラヴィアスそのままではないか。
違う。
このふたりがラヴィアスに似ているのではなく、ラヴィアスがこの壮年の男女に似ているのだ。
ノイムの視線は、ゆっくりと、女の膝の上に抱えられた幼い少年に向いた。今のノイムと同じくらいの年だ。無邪気な笑顔。己の腰に巻きついた女の――母親の腕を、ぎゅっと握っている。
『目の前であんな顔をされてはね』
いつかのラヴィアスの声がこだまする。
『身内を思いだしたんですよ、あなたを見て』
アリサに抱えられ、孤児院に戻っていったノイムの表情が。
『弟もあなたと同じくらいの年でした』
弟に、似ていたのだと。
『おとなの小脇に抱えられて、同じように恐怖でこわばった顔で、私に助けを求めながら死んでいった』
死んだ弟に、似ていたのだと。
体がすうっと冷えていく感覚がした。
ソファーとテーブルを回りこんで、ノイムは肖像画に手を伸ばす。慎重にずらして、額縁に留められたキャンバスの裏を見た。気のせいであってほしかった。そうではないという証拠がほしい。
布地の隅に画家のサインがあった。二百年近く前の暦も記されている。それともうひとつ。
『レタール家』
後悔した。見なきゃよかった。
ノイムは額縁を元どおり暖炉に立てかけた。半ば無理矢理、肖像画から目を剥がす。泳いだ視線は、寂れた部屋に向けられる。色褪せ剥がれた壁紙。虫食いだらけで床に落ちたカーテン。割れて吹きさらしになった窓。痛んだ床板。脚のないソファー。腐ったテーブル。
枯れた花束。
亡き家族に花を手向けるラヴィアスの姿が、見えた気がした。
耳鳴りがする。頭が痛い。
ここにあるのは子供のころのラヴィアスと、その家族の絵だ。
ここは、ラヴィアスの育った家なのだ。
このあたり一帯は、ラヴィアスが育った街のなれの果てだった。
ノイムは逃げるように部屋を出た。
玄関ホールを駆け抜けて屋敷を飛びだす。草むらを蹴散らし、壊れた門扉を踏み越えた。西日が顔を叩く。眩しさに目を細めながら、ノイムは走りだした。不審者などもうどうでもいい。出会ったら問答無用で斬り捨ててやる。今は一刻も早く、ここから離れたい。
走るノイムの視界に、先ほどまでは見えなかった景色が映り込む。
道に横たわる瓦礫は、誰かに切られたかのように綺麗な断面を晒している。
ノイムは行きと同じく、廃屋の石壁の隙間に体を押し込んだ。
内壁が黒く煤けていることに気づいた。足元に散らばるのは灰だ。ぼろぼろの家財道具は、燃え残りだった。
ふたたび外に出た。道の脇に生えた雑草のなかに、錆びた長剣が倒れている。向こうの家の倒れた戸口には、矢じりが刺さっていた。
見上げれば、焼け落ちた屋根が。隣も、その隣も、向かいも、ずっと奥も。傾いた日の艶やかな光に照らされて、ノイムの目に焼きついた。どの家にも、炎に舐められた真っ黒な焦げ跡がある。
どっどっどっどっ。心臓の鼓動がどんどん早くなる。大きくなる。
そこかしこに残る戦いの跡。火事で燃えた家々。
街が殺された理由は、明白だった。
どうして死ぬことになったのかも。
(魔族の)
魔族の街だったからだ。
(いや、ちがう。魔族の街じゃなくて)
ノイムの目の奥で光が弾けた。ある種のひらめきだ。最悪のひらめきでもあった。
(たとえば――たとえば、この街が、ラヴィーさんの一家を……魔族の一家を匿っていたとしたら?)
街はそれを糾弾された。魔族に与するものとして滅ぼされた。ラヴィアスの家族は――おそらく、ラヴィアスひとりを残して皆殺しに遭ったのだろう。
そして罪を裁かれた街の人間は、全員が死んだわけではなかった。もしかすると、ラヴィアスたちが魔族だったと知らない者もいたのかもしれない。魔族を敵視して、その存在を国に明かした者がいたのかもしれない。彼らは命を奪われるまでには至らなかった。ただ追放された。
魔族とともに暮らしていた街の人間など、どの土地でも受け入れられない。
そして、そして――。
(村が)
ノイムが滞在している村は、この街の生き残りの村なのではないだろうか。昔の人はそれを知っていた。だから周囲はあの村を迫害する。村人は自分たちを窮地に追いやった余所者を――魔族を嫌っている。
世代を追うごとに原因となった出来事は忘れ去られ、ただ迫害すること、余所者を嫌うことだけが残った。そして現在に至るのではないだろうか。
まさか、あり得ない。でも、手持ちの情報は綺麗に一直線に繋がってしまった。ノイムの心臓は早鐘を打っている。
(なに考えてんだ、わたし)
ノイムの足元に長く伸びていた影が、別の人影と重なった。
しまったと思ったのは、口を塞がれてからである。背後から伸びてきた男の手が、ノイムの顔の下半分を覆っていた。
「むー!」
握っていた短剣を振り上げたが、そこで手首を掴まれた。ねじり上げられてしまえば、小さな子供はひとたまりもない。ノイムは短剣を取り落とした。切っ先が石畳を叩いて、硬い音を立てる。
武器を失ったノイムはただの子供だ。なす術もなく抱え上げられた。背中越しに男の生ぬるい体温が背中に伝わってきて気持ち悪い。
「こんなところをひとりでうろつくのが悪いんだぜ、嬢ちゃん」
耳元でねっとりとした声が響く。男が吐いた息の臭気が、ノイムの口を塞いだ手を越えて漂ってくる。いや、息ではなくてこの手の臭いかもしれない。ともかく、ノイムは直感した。ラヴィアスの屋敷の向かいで、ノイムを見つめていた気色悪いにやけ顔の男だ。
(油断した……!)
なにが出会ったら問答無用で斬り捨ててやる、だ。往来のど真ん中で接近を許して、切り捨ててやる前に捕まっているじゃないか。しかも、往来とは言ったが、この道で人が行き来していたのは百年以上前である。最悪だ。ノイムはいったい、何回攫われれば気が済むんだろう。といっても、まだ二回目だが。
めちゃくちゃに暴れても、しょせんは六歳女児の力である。
男はびくともせず、たしかな足取りで歩き始めた。村とは反対の方向だ。
「主からのご命令でね。嬢ちゃんにはあの剣の役に立ってもらわなきゃならねぇんだ。子供を連れていけば連れていくほど報酬が上がるからな」
あの――剣? ノイムの脳裏に、勇者の剣が浮かんだ。この男まさか、勇者の剣に魔力を注ぐなんて馬鹿げた真似を計画した者の一味なのか。
(主ってことは、命令した人がいる……)
しかも、子供をあの森に寄越すほど報酬が上がるときた。金をばら撒いてそこらのごろつきを雇っているのだろう。かなりの大物だ。大店の商人か、あるいは貴族か。となると、計画も生半可な規模ではない。ノイムは前世で見た光景を思いだす。
折り重なる子供の骸。十人や二十人じゃ済まない――。
ノイムは暴れるのをやめた。踵で男の体を探る。狙いを定める。
(……思いどおりになってたまるかっ)
「ぎ――ッ」
男が声を詰まらせた。
ノイムのうしろ蹴りは、見事に男の急所を捉えたらしい。拘束する力が緩んだ。口を押さえていた手に思いきり歯を突き立て、体をよじって脱出する。
「クソガキャ……!」
涙目でへたり込む男に睨まれたが、舌を突きだして返してやった。ノイムは全速力で道を駆け戻って短剣を拾う。ふらふらと立ち上がる男を見、村に続く道を見、どうすべきか迷った。走れば逃げ切れるだろうが、しかし。
「ノイムー! いるなら返事しなさーい!」
シャティアの声がした。渡りに船だ。
ノイムは「ここー!!」と返事をして、短剣を構えたまま突っ込んだ。もちろん男のもとにである。
男は急所を片手で押さえたまま、ノイムの歯形がついた手はぶらぶらと振りながら、情けない内股の格好で立っていた。
「んだよ、いっちょ前に武器なんざ持――」
小さな体をさらに低くしたノイムが、無防備な男の足元に滑りこむ。
「ぎゃーッ!! あ、あ、脚! 脚がっ、やめ――ッ」
やめるわけがない。ノイムは男のふくらはぎを斬りつけた。もちろん両足である。無様に転がった男の手の甲に短剣を叩きつけた。
肉を貫く感触に顔をしかめつつも、躊躇いはなかった。
相手が魔物だろうが人間だろうが、敵対した場合は一瞬の躊躇が命取りになる。代理勇者時代にはそんな出来事ばかりだったから、感情と行動を切り離す術も、ある程度は身についてしまった。あまり喜べないことである。
とにかく、無力化に成功した。四つん這いで、己の手のひらからだくだくと流れる血を見て泣き叫ぶ男を見下ろして、ノイムは頷いた。
振り返るとちょうど、シャティアが曲がり角――ではなく、建物の影からひょっこり顔を出したところだった。道のあちこちが瓦礫や倒壊した建物で塞がれた迷路のような街だから、変なところから出てくるのも頷ける。
シャティアは、ほころんだような笑顔を見せた。ノイムの顔を見て安心したらしい。
「いた! ノイム、こんな――」
そしてノイムの足元に視線を落とし、一度言葉を切った。笑顔もかき消える。
「――こんなところで、なにやってんの? 誰そいつ」
「人攫い」
シャティアの顔が険しくなった。




