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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
四章 代理勇者の束縛
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79.散策、始まりの地

 川を越えただけで、あたりの様子は一変する。

 森やら畑やらでごちゃごちゃしている村の周辺とはまるで違った。視界を遮るものがない。


(あー、頭がすっとする)


 勇者の剣の探知圏外になったのか、ここにきてようやく、頭の端に居座っていた頭痛が消えた。目前に広がる景色も相成って、これが本当の自由だという気分になる。ただ頭痛がなくなっただけでは得られない解放感だった。


 どうやらノイムは、自分で思うよりも、勇者の剣の傍にいることに参っていたようである。


 風になぶられた雑草が足首を撫でる。わさわさと草を揺らしながら行く先を横切ったのは、ネズミかなにかだろう。地面の下で虫が鳴いている。ぽつぽつと生えた木々からは鳥の歌声だ。ときおり枝が揺れ、空へと飛び立つ影が見えた。生き物の気配がそこかしこに潜んでいる。

 ノイムの前に広がる平原は、あちこちに禿げた地面を晒しながら、どこまでも続く――わけではなく、地平線にたどり着く前に途切れていた。


 その向こうに崩れた建物がある。

 ひとつやふたつではない。あたりに生えた草木よりもはるかに広い範囲に、群をつくって存在していた。


 かつて大きな街だった廃墟である。

 そして、女子高生のノイムが転生して最初に目覚めた場所でもあった。


 近づくにつれ、打ち捨てられた街の痛々しい姿がはっきりと視認できるようになる。風雨に晒されて落ちた屋根に、蔦に覆われた壁。窓という窓は軒並み割れて、吹き抜けになっている。


 ノイムは死んだ街に入った。

 人の気配はなさそうだ。盗賊団のねぐらにされがちな廃墟だが、現在は空き家らしい。


 地面に空いた穴を跳び越え、瓦礫が横たわる道を迂回し、玄関扉が崩れ去った家に入る。ぼろぼろの家財道具を横目に部屋を横切り、壁の割れ目に体を押し込んで反対側に抜けた。ノイムが目指している場所はもうすぐである。


「……ここだ」


 ひときわ大きな屋敷だった。

 枯れかけた蔦が石の壁を覆い尽くしている。屋根はない。腐り落ちたのだろう。広々とした庭は雑草に覆われていた。花壇があったらしい場所にだけ、わずかに花が咲いている。屋敷を守るように囲む塀は、ほとんど仕事をしていなかった。ノイムの膝の高さまでしか残っていない。錆びた門扉は外れて、庭と道路を跨ぐように横たわっている。


 ノイムは塀を跨ぎ、草の根をかき分けて、庭の真ん中に寝転がった。


 抜けるような青空が視界いっぱいに広がる。

 コバルトブルーの絵の具をそのまま塗りつけたような単調な空――とはいかなかった。小さな雲の断片があちこちに浮いている。


 それでも、前世で目覚めたあの瞬間を思いだすには十分だった。

 ノイムの第二の人生は、ここから始まったのだ。


 赤子として転生する前――六年。代理勇者としてラヴィアス(魔王)に殺される前――おそらく、四年ほど。単純計算で十年前のことだった。


「ずいぶん遠いところにきちゃったよなあ」


 吐き出したため息は、秋の風にさらわれてかき消える。


 ノイムの人生も、もう三周目だ。信じられなかった。こうしてぼうっと空を見上げていると、すべて夢だったのではないかとさえ思う。

 ノイムは今まさに、この瞬間、二十一世紀の日本から転生してきた。そしてこれから異世界で冒険を繰り広げるのだ。そうだったらいい。これが初めての転生なら、ノイムはまだ、こちらの世界ではなにも失っていない。


 ノイムは大空に向かって手を伸ばした。

 子供らしい小さな手が視界に映る。


「……ま、そうだよね」


 日本から転生したノイムは、代理勇者になった。仲間だと思っていた人(ラヴィアス)に殺され、今度は赤子として転生した。


 これが現実だ。

 ノイムが生きる今である。


 二度目のため息が漏れた。今度は風も沈黙していた。吐き出したばかりの息を吸い直す。


「よし、帰ろう」


 あまり長居をすると、ノイムは自分の身に起こった不幸について指折り数え始めかねない。勇者のこと、ラヴィアスのこと、カデルのこと、シンシアのこと。モニカを殺したツィリルのこと。ノイムには悩みが多すぎる。そう考えると、村に戻って勇者の剣の気配にびくびくしているほうがいくらかマシだった。

 服に貼りついた草のくずを払いながら立ち上がる。来たときと同じように雑草を蹴散らし、崩れた塀を乗り越えようとしたときだった。


 男が立っていた。

 向かいの家の窓からノイムを見ている。


 目が合った。男が口角を持ち上げる。にやり、と音が聞こえてきそうだった。


 考えるよりも先に、ノイムは踵を返して駆けだした。

 庭を突っ切って、廃屋の傾いだ扉に突進する。派手な音を立てて両開きの扉が倒れた。壁際にぴたりと張りついて腰を落とす。心臓が忙しく働いていた。どっどっどっ、と鳴る鼓動が頭にまで響いてくる。

 震える手で腰の短剣を抜きながら、ノイムは浅い呼吸を繰り返した。


(びっくりしたびっくりしたびっくりした! なにアレ、こわ。こっわ!!)


 不審者の顔は、まぶたの裏にくっきり残っている。

 ノイムが世話になっている村の人間ではなかった。どころか、このあたりに住んでいる者ですらない可能性が高い。ナイフかなにかで雑に切ったような髪。傍目にわかる無精ひげ。破れた服を繕いもせずに着ていた。どう考えても流れの無頼漢である。


 窓枠の下まで這っていって、ちらりと外を見る。

 男はもう、向かいの家にはいなかった。例の窓は空っぽだ。


 どこに行ったのだろう。ノイムはかえって落ち着かない気持ちになった。

 目が合ったときのあのいやな笑み。このままなにもせずにノイムを見逃すとは思えない。屋敷の庭を注意深く見渡す。この生い茂る雑草をかき分けてくるにはどうしても音を立てずにはいられないはずだが、怪しい物音はしなかった。


 次いで、屋敷のなかに目を向ける。ノイムがいるのは玄関ホールだ。正面に階段があるものの、肝心の二階の床が腐り落ちているので上れない。下りてくることもできない。こちらは放念して大丈夫だろう。


(冷静に考えると、ここに飛び込むのもなかなかギャンブルだったな……)


 今さらではあるが、向かいの家に不審者がいたのだから、この屋敷にも同じように不審者がいる可能性はあったのである。ノイムは汗で濡れた手のひらをスカートで拭って、短剣を構え直した。


 中腰になって、壁沿いに屋敷の奥へと進む。

 床がきしむ上に瓦礫が散乱している。どんなに気をつけてもぴしぱし音が鳴ってしまう。幼いノイムでさえこれなら、侵入者があればすぐに気づくはずだ。もう少し、体の力を抜いても大丈夫そうだった。

 玄関ホールの左右には廊下が伸びている。壁を伝って左の廊下に入ると、すぐ手前に部屋があった。


 どきりとした。


 部屋の扉が外れているのはいい。

 いいのだが、その扉が、廊下の壁に丁寧に立てかけてあるのが問題だった。ノイムはぴったりと壁に張りついたまま、部屋のなかを窺う。人はいない。


 居間か応接間のようだった。

 脚が壊れて座面が床に沈んだソファーと、触れたら崩れそうなテーブルがある。


 ノイムはまたどきりとした。


 テーブルの上に、枯れた花束が置いてあった。窓から吹き込んできたそこらの雑草ではない。リボンでまとめられた、れっきとした花束である。もう間違いない。誰かがこの屋敷を訪れている。


(お供えもの……?)


 ノイムはテーブルの向こうに目をやる。


 壁際に設置された暖炉だ。炉を塞ぐように、絵画が立てかけてあった。

 扉に引き続き、壁から落ちたにしては不自然な位置である。おまけに状態が良い。もう驚かなかった。誰かが意図して置いたのだろう。


 描かれているのは複数の人だ。おそらくだが、家族の肖像画。そのなかに、銀髪の――。


(……ラヴィーさん?)


 ノイムは三度、どきりとした。


 いやいや、まさか。中途半端に遠くから眺めるから空見するのだ。ノイムはそろそろと部屋に踏み入り、ソファーのうしろに立った。


 肖像画に描かれているのは四人。いずれも耳が長い。長命種だ。壮年の男女がふたり。女の膝の上には幼い少年がひとり。


 その隣には、十代半ばくらいの少年が立っている。


 ノイムの息はほとんど止まっていた。

 心臓の音がうるさい。視界が狭まり、廃屋の景色が消し飛んだ。ノイムの瞳に映るのは、ただ、絵画のなかで幸せそうに微笑んでいる年上の少年だけだった。


 癖のある銀髪が顎の横でひとつ結びにされている。

 柳のような眉の下の、優しげに垂れた目尻、厚い睫毛。

 まぶたの奥にある、黒みを帯びたガーネットの瞳。筋の通った高い鼻。

 薄い唇は弧を描き、隙間からは白い歯が覗く。幸せそうな笑顔だった。

 それらすべてのパーツは、白磁の肌の完璧な位置に乗っている。


 顔だけなら女と見紛うほどの、美しい少年は――。


 少年は、ラヴィアスにそっくりだった。

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