78.日常、堪能する
まあ、謝りたいという気持ちは尊重しよう。たしかにノイムが気にしなくても、ソルノが気にしているのであれば、そこはソルノに寄り添ってあげるべきだ。
――と思っていられたのは、ものの数分だけだった。
「なに見てんだよ。おれらがうらやましいのか? 一緒に行きたいって言ってもむだだからなっ」
「夕飯にでも誘ってやったらどう? それならゆっくり話す時間が取れるだろ」と言うシャティアのあとについて、とことこと広場に出ていったところ、最初の台詞がこれである。
ソルノに対する優しい気持ちは一発で吹き飛んだ。
集まっていた子供たちが三者三様にため息をつく。「ソルノ、そういう言いかたは良くないよ……」と咎めるハーレの声には覇気がない。アダン以下ほかの子たちも、やれやれといった様子で、すっかり諦めてしまっている。おそらく引率の、村の男衆も何人かその場にいたが、彼らは生ぬるい苦笑を浮かべていた。
ただひとり、シャティアだけが面白そうに笑みを浮かべた。
「おまえに話したいことなんてもうないんだからな! 聞きたいって言ってもむだだからな!」
一旦落ち着こう。ソルノはちょっと意地になっているだけだ。ここはノイムがおとなになるべきところである。こちらから話を聞きたがるくらいの譲歩は必要だろう。
(そんなこと言わないで、聞かせてよ)
「聞きたくないからいいよ」
間違えた。口に出す台詞と、心で唱える台詞が逆である。
ソルノが先ほどとそっくり、絶望的な表情になった。見守っていたシャティアの顔も苦笑に変わる。逆に、村の子供と男衆は小さく噴き出した。
ノイムは諦めた。諦めて、シャティアを見上げる。
「散歩してきてもいい?」
物見遊山などに興味はないが、子供たちもいない、シャティアも不在となると、ノイムは家でぼうっと待っているだけになってしまう。五分で飽きる。もっとも、この場にそこまで細かい時間を計る術などはないので、すべては感覚的なものなのだが。
「あんた、まさかひとりで姉ちゃん捜しに――」
「行かないよ。本当にちょっとそこまで」
遊びに行くだけだから、とノイムは畑のほうを指さした。目的などはないが、同じぼうっとするなら、引きこもっているよりも外に出たほうがまだマシだ。
ついでに言えば、少しだけ森から離れたかった。
勇者の剣は、微妙な頭痛を起こさせることでもって、ノイムに己の存在を主張しているのである。わざわざ言及するほどの痛みでないことがまたいやらしい。だからこそノイムは普段、無視することで答えとしているのだが、寝ても起きてもというのはやはり厄介だ。
たまにはすっとした気分を味わいたい。
という主張を馬鹿正直に伝えるわけにもいかず、ノイムはただシャティアの返答を待つ。
シャティアは渋い顔をしている。おとなしく家にいるのがいやならついてこいと言われるかとも思ったが、幸い、シャティアは頷いてくれた。
「でもあんまり遠くに行くんじゃないよ。護身にあたしがあげた短剣持ってね。できれば抜いてほしくないけど。なにかあったらまず逃げる。おとなに相談する。ひとりでなんとかできると思わないこと」
内容は物騒だが、口調はまるで遠足前の教師である。それも小学校の。ノイムは精いっぱいしかつめらしい顔で頷いて、手を挙げて返事までした。「返事はいいんだけどなあ」と頬を撫でるシャティアは、どうやらノイムのことをまったく信用していないらしい。昨日のトロールの一件が尾を引いている。あれだけ動ける姿を見てしまっては、いざというときにノイムがおとなしくしていると思えないのもわかる。
実際、ノイムはシャティアに忠告を受けながら、
(近くっていっても畑しか見るところないもんなあ……ちょっと川の向こうまで行ってみようかな)
などと考え始めていた。
なので、シャティアが「やっぱり……」などと言いださないうちにとっとと逃げ出した。
しかし飛び込んだ先はシャティアの家である。
食事の途中なのだ。そもそもはソルノとお話ししようと思って出てきたのである。そちらは見事な無駄足となったわけだが、とにかく、遊びに行く前に食べかけのパン粥を片づけなければならない。せめて皿に残っているぶんは平らげるべきだ。
自分の皿に残っているぶんと、ついでにソルノの食べ残しも綺麗に平らげたノイムは、シャティアに譲ってもらった短剣を腰帯に挟み、今度こそ家を出た。
シャティアたちはとっくに出発したらしい。誰もいない広場に背を向ける。
村の眼前に広がる耕作地では、ちらほらと種を蒔いている姿が見られた。手前の畑ではちょうど、老齢に差しかかった女が腰を伸ばして叩いているところだった。
目が合った。
「おンや、嬢ちゃん」
声をかけられる。軽く挨拶をして立ち去ろうとしたのだが――。
「あんたたしか、エイミーを助けるために森にかけられた呪いを解いて、勇者サマの剣を見つけたとか」
「なんて?」
さすがに足が止まった。
「エイミーを助けるために森にかけられた」
「待って、ちがう、聞こえなかったわけじゃないの。なあにそのトンチキ英雄譚」
一夜明けただけで、話に尾ひれや背びれがついてめちゃくちゃである。
しつこいようだが、エイミーを助けたのはノイムではない。実際に森に入ったシャティアだ。ノイムはエイミーが行方不明になった原因を予想しただけで、その予想がたまたま――というにしては少々確信を抱きすぎだったかもしれないが、とにかくたまたま予想が当たっただけだ。森の呪いというのは、勇者の剣を覆う魔法結界のことだろう。しかしノイムは解いていない。ただ結界を通る方法を知っているだけである。
つまり今の話は、ギリギリひとつも合っていない。
「ふうん、ほうかい」
ということを丁寧に説明したのだが、村の女にはいまいち響かなかったらしい。
「ところで嬢ちゃん、あんた名前なんて言ったっけね」
「ノイムです……」
しかも軽く流されてしまった。解せぬ。
「ノイムちゃん。暇ならちょいと手伝ってくれないかい。どうも腰を痛めちまったみたいでね。腰は一度やるとぶり返すからねえ。すぐ痛むようになっちまっていけねえ」
「はあ」
嫌ですと言って逃げるわけにもいかず、ノイムは招かれるままに畑に足を踏み入れた。
手伝うことそのものに異存はない。ただ、ノイムをなんだかすごい英雄のように語る噂話と、通りがかった人なら誰でもよかったと言わんばかりの村の女の口ぶりの落差に戸惑っただけである。
女はまったく遠慮せずに、持っていた種の山をそっくりノイムに押しつけた。
ここで、腰に差した短剣が役に立った。
握りやすい剣の最初の仕事は、スコップである。ノイムは剣先で土にぐりぐりと穴を空けて、種を二、三粒放りこんだ。穴を埋めるのも短剣の仕事である。
一列、二列と蒔き終えて、手のなかが空っぽになったところで、頭上から苛立たしげな声が降ってきた。
「ただ飯食らいがようやく働く気になったか、余所者」
この言いぐさでわかると思うが、ルーダである。
ノイムは土にまみれた手を払いながら立ち上がった。
「小さい子に向かってそんなこと言うの、恥ずかしくないの?」
「小さかろうが大きかろうが余所者は余所者だ。いつまで居座るつもりだ? シャティアが許すからといってあまり調子に乗るなよ。とっとと家に帰ったらどうだ」
もうどこから突っ込めばいいのかわからない。いちいち言い返すのも面倒だった。
ノイムは「ルー坊は相変わらずさね」と笑っている村の女に声をかけ、畑から上がった。次を頼まれなかったので、手伝いはもうじゅうぶんなのだろう。あるいはルーダに絡まれたので解放してくれたのかもしれない。
「おい、どこへ行く?」
「あんたの望みどおりに出ていってあげるの。喜んでいいよ」
「なんだと!」
ルーダの顔は真っ赤に染まった。馬鹿にしているのか! と怒鳴られたので、ノイムはたったか逃げる。あの男、煽り耐性がなさすぎる。六歳児の言葉にあっさり逆上して、恥ずかしくないのだろうか。
ルーダは追いかけてこなかった。
ちらりと振り返れば、なにやら悪態をついて村に戻っていく姿が見えた。彼の背中に舌を突き出し、さらに村から離れるべく耕作地を抜けた。
ノイムの耳は川のせせらぎを捉えた。
耕作地の前に横たわる川は、底が浅く幅が広い。大のおとながどうにか歩いて渡れるくらいに流れも穏やかだった。とはいえ気を抜いたら足を取られて転んでしまうし、幼い子供なんかは一発で流されるので、きちんと橋が渡されている。
太陽が中天から降り始めている。
日差しを遮る雲はなかった。心地よい光はノイムの頭を照らし、足元に影を落とした。
ノイムの影はまっすぐ橋に向かって動いた。先ほどまではシャティアの言いつけを守ろうという気もないではなかったのだが、ルーダのおかげで今は綺麗に霧散している。
いっちょ廃墟のほうまで行ってみるか、と軽快な足取りで橋げたを踏んだ。とことこと乾いた足音がなかなかに間抜けで面白くて、一気に駆け抜ける。
「ノイムちゃん!」
橋を渡り切ったところで、つんのめった。
振り返れば、今しがた置き去りにしてきた対岸で誰かが手を振っている。
アマンダだった。彼女の隣でちょこんとお辞儀をしたのは、布の山をこんもりと抱えて両手の塞がったエイミーである。姉妹で仲良く洗濯をしていたようだ。
「妹を助けてくれて本当にありがとう! お礼を言うのが遅くなってごめんなさいね」
アマンダの朗らかな笑顔が対岸にいてもわかる。昨日、エイミーがいなくなってしまったのだと語っていたときの消沈ぶりとは大違いだ。この陽だまりのような姿が彼女の本質なのか。
アマンダの隣で、エイミーもなにやら口を動かしていたが、いかんせん川の向こうとこちらである。少女の小さい声はノイムの耳には届かなかった。
ただ、内容は推測できた。
「助けたのはシャティアだよー! でも、どういたしまして!」
たぶん主旨は間違っていない。
ノイムは姉妹に手を振ると、広々とした草原に繰り出した。どこへ行くのかと問うアマンダの声が聞こえたような気がしないでもなかったが、答えたら止められそうだ。
ここは聞こえないふりである。




