77.喧嘩、終わらず
翌日、ノイムが遅い目覚めを迎えたとき、シャティアの姿はすでになかった。
炉から下ろした鍋のなかに昨晩のスープが残っていたので、火にかけて温め直す。起き抜けから重労働である。
黒パンを切ろうと思ったのだが、これはずいぶん前に焼いたものらしい。硬すぎて非力なノイムには不可能だった。スープに浸せばやわらかくなるのだろうが、まさか丸ごと鍋に入れるわけにもいかない。食べきれなくなるのは目に見えていた。
スープだけでいいか、と皿を用意したところで、来客があった。
来客とはいうが、小さな村の粗末な家だ。玄関扉もないので、こちらを目指して歩いてくる姿は丸見えである。ノイムが顔をあげると、あまり見たくない顔とちょうど目が合ってしまった。
やってきたのはソルノだった。
「……なんの用?」
ついうっかり硬い声を出してしまったノイムだが、ソルノも自分が場違いだということは承知の上らしい。いかにも不本意そうな仏頂面である。
彼は入り口で立ち止まった。外から差し込む昼の日差しがソルノの背を叩いて、屋内に影を作る。圧を感じて落ち着かなかったので、ノイムは小さい声で「入れば?」と促した。
それでようやく、ソルノは家のなかに歩を進め、炉を挟んでノイムの向かいに腰を下ろした。視線はノイムに固定されたままだった。
「なあに、人を腫れものみたいに見つめて」
「……昨日、エイミーが帰ってきたんだ」
「知ってるけど」
「おまえのおかげだって、ティア姉言ってた」
ノイムは思わず眉をひそめ、ソルノを上から下まで眺める。つい先日、散々な憎まれ口を叩いていたのと同じ口から出た台詞とは思えなかった。
聞き間違いかもしれない。だってソルノは、嫌そうに顔をしかめている。
「見つけたのはシャティアでしょ。私はなにもしてないよ」
「でも、エイミーがいなくなった仕掛けを解いて、行けって言ったのはおまえだろ。だから、エイミーを助けたのはノイムだよ」
聞き間違いではなかった。ものすごく嫌々ではあるものの、ソルノはたしかにノイムを認めたのだ。はっきりいって気味が悪い。
「私を褒めるために来たの? 褒めてもなにも出ないけど」
「ちがうけど、ちがわない」
「どっち」
煮え切らない回答に、ノイムは盛大なため息をつきたくなった。
一度諦めた黒パンのかたまりを持ってきて、くつくつと煮える鍋に投げ入れる。ついでに匙と皿をもう一セット用意して、ソルノに押しつけた。パンを入れてしまうとひとりには多すぎる量だが、ふたりで食べれば綺麗になくなる。
「おれ、飯は食ってきたんだけど」
「昨日の残りなの。食べちゃわないと」
スープが染みてふやけてきたパンを突き崩しながら、ノイムはきっぱりと言い切った。ソルノに否やは言わせない。代わりに、ノイムに話があるならそれを吐かせる。
「言いたいことがあるならはっきり言いなよ。うじうじしてる男の子なんて、エイミーに嫌われるよ」
普段のソルノ少年はエイミーの気を引きたくてことさら男らしさを意識しているのである。もっとも、当のエイミーが始終もじもじしているタイプなので、押しが強く堂々とした態度よりも、やや引っ込み思案なほうが受け入れやすいだろう。実際、エイミーは現在のソルノに苦手意識を持っている。
そんなこととは露知らず、この一言はソルノには効果てきめんだった。
「い、言う! 言うから! こ――」
言いかけて、ソルノは一度言葉を呑みこんだ。
喉にものが詰まったような表情である。
ノイムは彼の手から皿を取り上げて、たっぷりのスープ――パンを入れたので今やパン粥と化している――をよそい、ふたたびその手に押しつけた。ソルノは黙ってパン粥を頬張った。ごはんは食べたと言うわりにはいい食べっぷりである。ノイムも彼の様子を横目に、ふやけたパンが山と乗った匙を口に突っ込んだ。
黙々と食事を続けることしばし。
皿のパン粥が半分なくなったところで、ソルノがようやく口を開いた。
「こ……」
「こ?」
「――こ、このあと! このあと、ティア姉に勇者の剣のとこまで連れてってもらうんだ。エイミーは嫌がったけど、アダンもリンもメリィも、ハーレも来る。ノイムも来るか?」
「行かないけど」
即答である。当たり前だ。
ソルノが一瞬、眉間のシワを解いてわずかにうろたえた。まさか断られるとは思わなかった、と顔にでかでか書いてある。
「なんで? 勇者になれるかもしれないのに」
なってしまっては困るから行かないのである。
うっかり勇者の剣に触れようものなら、間違いなくノイムが勇者だ。
「行きたくない、興味ない」
ノイムはばっさり切り捨てた。
ソルノが絶望的な表情を浮かべる。まるでこの世の終わりだった。彼の意中の相手であるエイミーならまだしも、喧嘩相手のノイムに誘いを断られて、ここまでショックを受けるなんてあり得ない。なにかほかに狙いがあったのかもしれないが、ノイムには関係なかった。
「本当に行かないの? ハーレも来るんだぞ?」
「行かない。なんでハーレ?」
「メリィとハナは、ハーレの名前を出したら行くって言ったから……」
ハーレは村の子供のなかでは一番のイケメンだ。ついでに女の子に優しい。好かれるのも当然である。相手が村の少女たちならばの話だが。
「いや、私、ハーレのことたいして知らないし……釣られないよ。ほかの男の子で釣ろうとするなんて情けなくないの?」
これにはソルノもちょっとムッとしたようだが、なおも食い下がる。
「本当に本当に?」
「行かない。昨日シャティアにも誘われたけど、行かないって答えたよ」
この一言で、ソルノはようやく諦めた。シャティアが断られたなら、自分では無理だと察したのだろう。
うなだれたソルノは、ぽつりとこぼした。
「……可愛くねぇヤツ」
「喧嘩なら買うけど?」
「うるさい、ブス!」
「はぁ!?」
「エイミーがいなくなったのもおまえのせいなんだろ! ルーダが言ってたぞ! こんなとこに来たおれが間違いだったッ」
「言いたかったのはそれか!」
ノイムは即座に掴みかかろうとしたが、パン粥と匙で両手が塞がっているのでできなかった。両方置いて膝を立てたが、ソルノに一歩及ばない。ノイムが身を乗り出したとき、彼はすでに食べかけの皿を置いて立ち上がっていた。
ソルノは「ばーかばーか!」と叫びながら一目散に駆け去った。
普段より攻撃力の低い、やたらとガキっぽい罵倒だった。
(いや、ガキだけどさ……)
家のなかに残されたのは、ソルノの服を掴み損ねて、両手を突き出したまま固まるノイムだけである。入り口を睨みつけても、もうソルノの姿はなかった。
代わりに、お団子頭が見え隠れしている。
「シャティア! 盗み聞きしてたね」
「ちがうちがう、ソルノが見えないから捜しにきたんだ」
壁の向こうからふらりと出てきたシャティアは、腹を押さえて震えていた。入り口の木枠に寄りかかる。顔を上げた彼女の目尻から、涙の雫がはみ出しているのが見えた。
めちゃくちゃに笑っている。
「ひー……ソルノも可愛いとこあるよね」
「どこが!」
「あれ、あんたに謝りにきたんだよ。ひどいことたくさん言ったからって」
「……エイミーが見つかったから?」
「そう。それに、あんたがひと役買ったしね。『大好きなエイミーを助けてくれてありがとう。ひどいことたくさん言ってごめんね』って言いたかったんだろうさ」
「あれで? ていうか、最後はけっきょく私のせいにしてたけど……」
「本心じゃないよ。あいつはエイミーのことをよく見てる。だから、エイミーがあんたの世話を焼いてたのも……まあ、あんたたちが仲良かったのを知ってるからね」
ルーダの真似をして余所者を嫌っているソルノも、今度ばかりは、ルーダの戯れ言は正しく戯れ言なのだと認識しているという。にわかには信じがたかった。
「だってソルノ、こーんな顔してたよ」
ノイムはソルノの仏頂面の真似をした。謝罪どころか礼も言われていないし、壊滅的な表情のせいで「ノイムのおかげでエイミーが見つかった」というのも、誰かに強制されたお世辞にしか聞こえなかった。
とはいえきちんと説明を聞くと、彼の不可解な言動には納得がいく。
「嫌そうだったのはそういうことか……」
自分が悪いのはわかっているのだが、散々やり合った相手に素直に謝るのはプライドが許さない。そういう葛藤が表に出ていたのだろう。
「シャティアは知ってたんだ?」
「ま、ノイムの助言のおかげでエイミーを見つけたんだって、あいつに説明したのはあたしだからね。まさかあんたに会いに行くとは思わなかったけど」
目尻に浮いた笑いの名残を拭うシャティアに、ノイムはじとっとした視線を送った。
「ま、折を見てまた挑戦しにくるだろうから、今度は優しくしてやって。きちんと『今までごめんなさい』が言えるまで待ってやるといいよ」
「あっちのほうが年上なのに、私が気を遣うの」
「あんたのほうが達観してる」
ぐうの音も出なかった。実際、心はソルノ少年よりひと回り以上おとなである。
「……べつにもともと気にしてないし、謝ったりしなくていいのに」
「あんたが気にしなくても、ソルノが気にするだろうね」
ノイムは今度こそ盛大にため息をついた。




