76.迷い、勇者の所在
勇者の剣については、ひとまず国に届け出ることになる。
シャティアは面倒くさそうに言った。
「規制だのなんだのしなきゃいけないだろ? 悪だくみするヤツがいたせいで、子供たちがあんなに……って、ノイムに言ってもわからないか」
「わかるよ。魔力を注いだら勇者の剣が抜けるみたいな話でしょ。そのために子供たちが集められてたんじゃない?」
「よく知ってるね。それだよ。前の勇者のときにも問題になったらしいし、今回もその手のヤツに違いない。見つけた余所の子供みんな、人より魔力量が多かったみたいだから」
同じような事例を防ぐためにも、勇者の剣は国の管理下に置くのが一番いい。そうすれば、たとえ近隣の住民でもおいそれと剣に近づくことはできなくなるから、よからぬ企みをする輩も排除できるはずだ。
それは喜ばしいことである。
喜ばしいことだが、ノイムは複雑な気分だった。
「ただねえ、国に届け出るって言ってもなあ」
間延びしたシャティアの声は、いかにも気乗りしないふうだった。まさかノイムに同調したわけではないはずだ。どうしてだろうと思考を巡らせて、はたと気づく。
「……そっか、前に出した嘆願書」
シャティアが頷いた。
「こんな末端の村が出す手紙なんて、国王に届きっこない。だからもちろん、最初は領主を経由するわけだ。問題はこれが、きちんと届くかなんだな」
シャティアは以前、領主に何度か接触を試みている。この村を領主の庇護下に置いてほしいという嘆願書である。しかしそれらがきちんと届いたことは一度もない。
この村はどういうわけか、周囲から、領主から疎まれている。
だから今度の勇者の剣についての報告書でも、同じことになるのではないかと、シャティアは懸念しているのである。
「届かないだけならまだいいけど、領主がそれを読んだ上ででたらめだと思った場合がね」
「村が嘘つきにされちゃう」
「しかも勇者の剣があるとかいう最悪の嘘ね。本当のことだけど」
真偽のほどは、領主の使いがはるばるこの地に足を運んでたしかめてくれれば判明するわけだが、今までの話を聞いた限りでは、そこまで丁寧な対応は望めないだろう。おそらく、『村の近くで勇者の剣が見つかった』という文面だけを見て、嘘だと決めつける。
「サニアの国王サマって、勇者絡みの話に敏感でしょ? いやーなことになる予感しかしないんだよ」
「たしかに……」
トパの街の、教会の前に立てられていた看板を思いだす。
文面はよく覚えている。『勇者を見つけた者に褒賞を与える』『勇者の存在を秘匿した者は斬首の刑に処す』……忘れようがない。この過激ぶりを見るに、勇者の存在を騙る、あるいは勇者が見つかったと嘘をついた場合などにも重刑が科されるとみて間違いないだろう。
「まったく、気が重いったら」
「それもシャティアの役目なの?」
「あたしが一番、村の外に出る機会が多くて、世間を知ってるから……とかなんとか言われたけど。村長のあの口ぶりだと、不敬罪かなんかで罰されても平気な人間選んだんだろうなって思うね」
周囲からの村の扱いについては、村長も承知している。もし今回の報告書が退けられた場合、シャティアひとりに責任を負わせようとでも考えているのかもしれない。なかなか最低の扱いである。
「やっぱ、この村にとってあたしはまだ余所者なんだな」
「それは、なんというか……いい気はしないね」
「まあね」
しかしやらなければシャティアは、それこそ村から爪弾き者にされるのだろう。
「はい!」
ノイムは寝床に転がったまま、勢いよく挙手した。
「いっそなにも言わないのはどうでしょう。村の人には報告したよって言っちゃえばいい。きっと誰もわからないでしょ?」
「勇者の剣があるのに? なかったことにするわけ? それもリスキーだろうよ」
「今まで手紙が届いたことがないから、今回もどうせ無駄だと思って黙ってたって言えば、国――国でいいのかな? そっちに対する言い訳は立つよ。報告したら嘘つきだってことで罪になって、黙ってたらそれはそれで罪になる。結果が変わらないんなら、わざわざ自分から飛び込む必要なくない?」
勇者の剣が国の管理になれば、その存在を広く明かすはずだ。国が主体になって勇者捜しを行う。まさかあちこちを巡るわけにはいかないから、数多の勇者候補は、皆ここに集まってくる。あるいは国に声をかけられて召集される。
(それでも勇者は絶対に見つからない。だからきっと、そのうち――)
シンデレラのガラスの靴よろしく、誰でもいいから試してみろという話になるはずだ。そうなれば、この村の住民は真っ先に勇者の剣を握らされることになる。そのときノイムがまだここにいれば、逃れることはできない。
ノイムが触れれば剣は間違いなく抜ける。最悪である。
勇者の剣が発見されるのはいい。ただし、公表されるのはよくない。それはノイムの破滅への道を切り開いてしまう。許されるならここで話を止めておきたい。打算である。
「一理あるといえば、一理あるか……」
考えすぎて頭痛くなってきたとシャティアが眉間を押さえた。装備もそのままに、ノイムの横に寝ころぶ。
「ま、この際あと回しでいいかな。子供たちのほうを優先しちゃお」
「それがいいよ。私にもできることがあったら手伝う」
ノイムは頭を撫でられた。髪がくしゃくしゃになって、視界が半分隠れる。
「こんなしっかり者がうちにいてくれて嬉しいよ。ありがたくこき使わせてもらおうか」
「な、なにをさせる気なの……」
「なんだと思う?」
シャティアがにやりと笑う。ノイムは横たわったまま、わざとらしく体を引いた。シャティアの両手が伸びてきて、ノイムの脇腹をくすぐる。
藁葺き屋根の下は、きゃあきゃあと騒がしくなった。
ひとしきりじゃれ合ったあと、シャティアは勢いをつけて体を起こした。寝る準備を始めるらしい。胸当てを始めとした武装を順繰りに解いていく。
「実はさ、ちょっと試してみたいんだよね」
「試す?」
「そ、あたしが勇者かどうか」
ノイムはなんともいえない気持ちでシャティアを見やった。シャティアの耳がほんのりと赤く染まる。彼女は口を尖らせ、照れを隠すように装備品を放った。
「だって、触ってみたいじゃん? 勇者の剣」
「……そういうもの?」
「勇者になりたいかどうかはともかく、勇者の剣だよ? 憧れない?」
「まったく」
「なんだい、そんな苦々しい顔しちゃって。なにが気に入らないの?」
「……だって、ここに勇者の剣があるってことは、前の勇者は」
「まあ、お役御免ってことになるのかね。失踪してからもう五年以上経つけど、なんの音沙汰もない。勇者の故郷の国も、捜索を打ち切ったって聞いたよ」
ノイムは知っている。
向こう十年、勇者が見つかることはない。
「でも、魔王も魔族も魔物も、こっちの都合なんてお構いなしなんだ。勇者がいない今の状況は、奴らからしたらむしろ喜ばしいことこの上ないだろ? だったら、五年捜しても見つからない、生きてるかどうかもわからない勇者にすがるよりも、次の勇者を見つけたほうがずっと早い」
だろ、とノイムを見たシャティアからは、あらゆる表情が抜け落ちていた。先ほどまでの浮かれた様子は気配もない。
「あたしの故郷ね、魔族に滅ぼされたんだ。ちょうど勇者が失踪したころだね」
どれだけ人間をいたぶっても、勇者は来ない。魔族や魔物を脅かす勇者の剣もない。シャティアの故郷の里に現れた魔族は、それはそれは嬉しそうに虐殺を始めたそうである。
親兄弟も友人も、シャティアを除いたすべての人間が殺された。
「あたしだけは生き延びて、逃げて逃げてこんなところまで来たけど、今でもときどき思うんだ」
勇者が存在してさえいれば、シャティアは今でも故郷の里で、家族や友人たちと穏やかに暮らしていたかもしれない。
「あたしみたいに、勇者がいなくなったのがきっかけで大変な目に遭った人は多いと思う。人間にだって、正義の象徴みたいな存在がいなくなったことで調子に乗った悪人はいるでしょうし」
ノイムはどきりとした。覚えがある。
以前の孤児院では、奴隷商のデビーが堂々と出入りするようになった。あの寂れた町で配達屋をやっていた青年は仕事がまともにできなくなって、辞めてしまったのではなかったか。
「だからあたしは、とっとと次の勇者に名乗りを上げてほしいんだよ。これ以上空白の時間を作っちゃいけない。可能性がほんの少しでもあるなら、あたしだって挑戦してみたい。勇者の剣が、あたしに抜けるかどうかね」
ノイムの心臓が、ぎしりときしんだ。
次の勇者はシャティアの目の前にいる。
「なんてね。そういえば、ルーダには寝かせてやれって言ったけど、ずいぶん話し込んぢまった。眠いだろ、悪かったね」
「いや、ルーダのおかげで目は覚めたから……」
「そりゃ困ったね、こんな時間に」
ノイムは曖昧に笑った。
シャティアの話でさらに目が冴えてしまったことは言わなかった。
シャティアの故郷の話は、前世で一度聞いたことがある。
だからシャティアが今してくれた話が、まだほんの表面を撫でただけの浅いものだということも知っていた。彼女は復讐のために拳闘士になり、闘技場で腕を磨いている。彼女の魔族に対する憎悪は深い。ノイムに向けたおどけた笑顔からは想像もつかないほどに。
「ま、大真面目に語ったけど、結局のところ半分くらいは好奇心なんだ。村のガキンチョも行きたがるだろうから、明日一緒に連れていこうと思うんだけど、ノイムは?」
「行かない」
即答である。
ぎしぎしと鳴り続ける心はきっぱり無視した。
ノイムは勇者の剣の前には出ていかない。森にも近づかない。なにがあっても、絶対に。




