74.誘導、捜索に向け
シャティアの家に入って腰を落ち着けると、アマンダはぽつぽつと語り始めた。
森には獣や魔物が出る。それらに襲われて近隣の人里で誰それが死んだという話は、枚挙にいとまがない。それでも人々が森の傍で生きるのは、森がもたらす恵みがあるからである。
ノイムがいるこの村でも、裏手の森では木の実を拾ったり、薪を集めたり、狩りをしたりと、日常的に踏み入ることが多い。木の実拾いなどは、子供たちが手伝いだか遊びだかと称して行っている節もある。もちろん子供だけで入らせることはしない。必ずおとながひとりふたりついて、一緒に森に行くことになっている。
今日も例外ではなかった。エイミーとメリィとハナ、いわば村の子供の女子組である。彼女たちは、おとなの付き添いのもと、木の実を入れる籠を手にして森へ繰り出した。引率はアマンダともうひとり、村の男である。
「目は離さなかったわ。あの子たちにはひとかたまりになって行動するように言いつけて、私はそれをずっと見ていた」
むろん、主旨は森の恵みを採取することだから、おてて繋いで横並びというわけにもいかない。それでもつかず離れず、少女三人は、アマンダの視界に収まる範囲で探索していたという。
「突然だったわ」
アマンダの顔がいっそう血の色を失くした。
間違いなく少女たちのことは見ていた。視線を外したことはない。それなのに、なんの前触れもなく、エイミーの姿が消えたのだという。
「消えたあ?」
「そうなの。消えてしまったのよ。最初は転んだのかと思ったのだけど、駆け寄ってみても、なにもないの。声をかけても返事がなくて」
アマンダは慌ててメリィとハナを捕まえ、しばらくあたりを捜しまわった。しかしエイミーの影もかたちも見つからない。妹は忽然と姿を消してしまったのである。
アマンダたちは大急ぎで村に戻り、ことの次第を皆に伝えた。
監督不行き届きと言われてしまえばそれまでだが、今回ばかりは事情が違う。一緒にいた村の男も、メリィとハナも、目の前で突然エイミーがいなくなったと言っている。
村総出で捜索することになったところに、シャティアたちが戻ってきた。そして今に至るわけである。
「魔物か獣がエイミーを巣に引っ張り込んだか……でも、それじゃあ突然消えたって認識にはならないわね」
アマンダの話によれば、予備動作などはなにもなかった。倒れたり屈んだり、立ち止まったりもなかった。歩いていった立ち姿そのままで、瞬きをするわずかな隙に見えなくなったのだという。
「ちょっと行ってくるわ。見たほうが早い。アマンダ、そのエイミーがいなくなったって場所、案内してくれる?」
アマンダは小刻みに何度も頷いた。よろめきながら立ち上がったが、先ほどよりはよっぽどしっかりした足取りである。シャティアが落ち着いているから引きずられたのか、妹を捜しに行くのだと決めたのでいくらか力が戻ったか。
やや不安げな目でそれを見守りながら、シャティアがノイムに声をかけた。
「ノイム、あんたは――連れて行ってまたぞろいなくなったら目も当てられないし……うん、家から出ないこと。日が暮れる前には戻るよ」
ノイムは精いっぱい殊勝な顔で頷いた。
正直ほっとしていた。一緒に来いなどと言われたら全力で断っていたところである。どんな理由であれ、あの森に入ることは避けたかった。でなければ今後の人生がおじゃんだ。
しかし自分の都合ばかりにかまけていていい状況でないのもたしかである。
ノイムは、シャティアに続いて戸口をくぐったアマンダを呼びとめた。
「――あの」
確認したいことがあった。
アマンダは丁寧にも、ノイムの前で腰を折って目線を合わせてくれた。こうして正面から見ると、エイミーとアマンダの姉妹は本当に姉妹らしい顔立ちをしている。
「アマンダさんは魔法が使えるって聞いた」
「ええ、簡単な治癒魔法なら。それがどうかしたの」
「エイミーも使えるの?」
ノイムの質問の意図が読めなかったのだろう。青白い頬にわずかな不審の念を浮かべたアマンダは、それでも答えてくれた。
「ちょっとした疲れを取るくらいならできるようになったわ。あの子、私の真似をして練習していたみたいね。あなたも聞いていたかしら」
やはり、というべきか。
ノイムは息の詰まる思いがした。
エイミーは魔法を使えるだけの魔力を有している。とすると、ノイムのなかでむくむくと頭をもたげている予感は、十中八九当たりだろう。嫌な予感ではあるが、それはノイムにとっての嫌な予感であり、エイミーを見つけるという点ではいい予感と呼べる。
しかしそれは、シャティアやアマンダが自主的に気づけるものでも――なさそうだ。
「……お姉さんみたいな治癒士になりたいって言ってた」
言ってからノイムは心のなかで悪態をついた。そんなことが言いたかったわけではない。
アマンダの顔に、寂しげな微笑が浮いた。
「エイミーは見つかるよ」
駄目だ。ノイムは別に、アマンダを励ましたいわけではない。しかしどうしても、言うべきことが舌の上まで出てきてくれなかった。人の命が関わっている。尻込みしている余裕はない。それでも、強烈な抵抗感がノイムの喉を絞めつけて、言葉を握り潰してしまう。
勇気が、ない。
「ありがとう。行ってくるわ」
「気をつけてね」
ひどい疲労感とともに、アマンダを見送る。先に出ていたシャティアに連れられて、足音も聞こえなくなったところで、ノイムは小さな体を引きずって寝床に横になった。心臓がすごい勢いで鼓動を打っていた。
(なにやってんだ私……)
ノイムの予感――エイミーの失踪が勇者の剣にまつわる一連の事件に関わっているのなら、ノイムがそれに言及すれば、一発解決だ。シャティアとアマンダが戻ってきたとき、その横にエイミーの姿もあったに違いない。それこそ日が暮れる前に終わらせることができた。
しかしノイムは口を閉ざした。馬鹿である。
(だって、それって、勇者の剣がみんなに見つかるってこと……)
そうなれば、ノイムのもとにかの剣がまた一歩、近づいてくる。トパの街を出てからというもの、流れは着実に、ノイムが勇者の剣を抜く方向へと進んでいる。抵抗があるのも当然だった。
つまり保身。本当に救いようのない愚か者である。
ノイムは己の髪をめちゃめちゃにかき回した。
勇者の剣は、勇者という存在の最もわかりやすい象徴だ。
勇者とは英雄の代名詞だった。だから純粋か不純かは問わずに、焦がれる者は多い。そして不純な心で英雄の名を求める者のなかには、象徴さえ手に入れれば富と名声がいちどきに手に入るはずだと考える、欲深い人間が多分に含まれている。
英雄になりたいがために偽の剣を用意し、「我こそは」と勇者を騙る者だって、前世にはたくさんいた。偽勇者を本物だと称し、本物のノイムを偽物だといって排除しようとした国もあった。
思いだすだけで忌々しい。
勇者という立場が――あくまで代理だが――心底いやになったエピソードならいくらでも挙げられる。
そのなかでも特にノイムが唾棄しているのは、富や名声のために勇者になりたがる利己的な者たちが流した荒唐無稽な噂だった。
主のいない勇者の剣には、抜く方法がふたつある。
ひとつ、勇者となる者がその手に握ること。
ひとつ、魔力を勇者の剣に流し込むこと。
一部の者はこの馬鹿馬鹿しい話を真に受けて、魔力さえ与えれば誰でも勇者の剣の持ち主になれると信じている節がある。ノイムが知る限り、成功した事例はない。各地に残された文献にもそんな記述はなかった。
勇者の剣を抜く方法はただひとつ。勇者の適性がある者が自らその手に握ることだけだ。
これは誰の目に見ても明らかである。
それなのに、『魔力を注ぐ』なんて荒唐無稽な方法に希望を見出す野心家はあとを絶たない。彼らは成功例がないことを、まだ成功していないだけと捉えるのである。
そして皆一様に、自分こそが唯一の成功例になるのだと信じている。今まで挑戦した人は、注ぐ魔力の量が足りなかっただけだ。もっと大量の、膨大な量の魔力を注げばきっと、勇者の剣だって抜けるはず。ひとりの魔力では駄目だ。もっと大勢の人間を集め、絶えず魔力を送り続ければ、いつかは――。
そして悲劇は起きた。
ノイムは、臥せっていた間に繰り返し見た悪夢を思いだす。
――ノイムは森を歩いている。シャティアが住む村の半分を覆う森のなかである。立て続けに行方がわからなくなった子供を捜している。魔法で張られた結界によって巧妙に隠された木立のなか、微かに残された焚き火の跡を見つける。空気に含まれたむせ返るような魔力。漂ってくる腐臭。倒れている子供たち。村から失踪していた子もいれば、町や遠い地域から連れてこられたらしい子も、奴隷として扱われていたらしい子もいた。生死を確認するまでもない。腐った体、白骨化した体、干からびた体、獣に食い荒らされた体。
幼い骸に囲まれ、燦然と輝きながら突き立つ勇者の剣――。
ノイムが勇者の剣を抜いて、代理勇者になったあくる日の出来事である。
あの日見つけた子供たちは、生前、勇者の剣に魔力を注ぐことを強制されていた。
逃げることは許されない。手を止めることも許されない。彼らは文字どおり力尽きるまで、ただひたすらに魔力を放出し、勇者の剣を抜きたい誰かのために働いていた。
ただ、そのためだけに集められた存在だった。
相次ぐ子供の失踪。
子供奴隷を扱う奴隷商。
子供を売るために運営された孤児院。
サニア国内に蔓延るすべての問題は、勇者の剣のもとに集束していたのである。
現在、すでに大勢の子供が勇者の剣のために集められているとは思わない。ただ、エイミーの消えかたからすると、なにか仕掛けがあるのは間違いない。
勇者の剣の周りには、外からでは決して見つからないように結界が張られていた。入った者は外から見えなくなる。また、結界のなかからも外の様子はわからなくなる。たとえ結界の内と外で向き合っていたとしても、両者の視界に映るのは延々と続く木々の群れ。互いの姿を視認することはかなわない。
だから、そこにあると思って踏み入らなければ突破できない。そういう類の結界である。
(エイミーが結界のなかに迷いこんだ――あるいは、誘い入れられたのだとしたら)
それを見つけられるのは、結界があると知っているノイムだけだ。
(私、だけ……)
目を閉じた。
こめかみのあたりが鈍く痛んでいる。村に来てからずっと頭の隅に居座っている頭痛だ。勇者の剣がノイムを呼んでいる証である。
最初から、選択肢なんてものは与えられていなかった。そういうことだろう。




