73.予感、背後に迫る
シャティアからしたら、ノイムが脈絡なく泣きだしたように見えたろう。彼女はおおいに戸惑っているようだった。
ノイムは慌てて弁明する。
「ご、ごめ……なんでもない、なんでもないの」
しかし次々と雫を落とす目元を拭いながらでは説得力がない。
「なんでもないわけがないでしょうに!」
抱き寄せられた。相変わらず乱暴な動作なものだから、ノイムは額を打った。シャティアの胸当ては金属製だ。痛い。
「ごめん、あたしが無神経だった。ほんとは怖かったんだろ。普通はそうだよ。魔物は怖いもんだ。ノイムみたいなちっちゃいのだったらなおさら――あたしだって、あんたくらいの年のときは、魔物が怖くて仕方なかった。自分で武器を取って立ち向かうなんてとてもできなかったよ」
それなのにあたしったら、とシャティアはノイムを抱いた腕に力を込める。
「得意げに語ったりしちゃって、悪かったよ」
ノイムが泣いている理由はそこにはない。シャティアはなにも悪くない。そう思えど、しっかり抱きすくめられているせいで、ノイムは首を横に振ることもできなかった。代わりに声に出そうとしたが、口から出たのは肯定とも否定とも取れないか細い声だけだ。しゃくり上げてしまってろくにしゃべれない。どころか、シャティアの心からの気遣いは、傷ついたノイムの心をさらにぐずぐずにしてしまった。
だからノイムはそのまま、シャティアに甘えた。
シャティアの胸当ては、火照ったノイムの顔の熱を吸収してすっかりぬるくなっている。ついでに濡れていた。重たい光を放つ金属には、涙がいくつも落ちている。
「頑張って戦ってくれてありがとうね。あたし、鍛え直すわ。ひとりであのうすのろを殺せていれば、あんたが怖い思いしてまで出張らなきゃいけなくなることはなかったんだもんね」
ノイムは鼻をすすった。これには黙っているわけにはいかなかった。ずびずびと鼻を鳴らしながら、こもった声で反論する。
「が――がんばらなきゃいけないのは――あっちだよ」
視界が不明瞭なまま、だいたい前方を指し示した。先に立って歩いている村の男衆である。そもそもノイムが加勢に入ったのは、彼らがあまりにも頼りなかったからだ。むしろシャティアの足を引っ張っていた。そもそもトロールを刺激したのが彼らじゃないか。極端なことを言えば、彼らはシャティアを危険にさらしたのである。
「シャティアがひとりで張り切る必要なんてない。村のことなら、村の人たちみんなで対処できなきゃいけないんじゃないの」
「ハッ、違いないね。ほらあんたたち、こんなちっちゃい子に言われてるよ」
男衆の唸り声が次々と上がる。自分たちが悪い自覚はあるらしい。
「また今日みたいに魔物に出くわしたとき、シャティアがあの人たちに背中を預けなきゃいけないと思うとぞっとする」
これは本音である。いつの間にか涙は引っこんでいた。シャティアの胸当てから額を引き剥がして、少女拳闘士の顔を見上げる。
「私が頑張る! シャティアと一緒に戦いたい。こんなちびじゃ頼りないかもしれないけど」
「んなこと言ったって、無理してない?」
「してないよ」
これも本当のことである。ノイムは前世の自分が死んだ事実に今さら打ちのめされていただけで、別にトロールとの戦闘に怯えて泣いたわけではないのだ。
そしてこの涙が、ノイムになにかを与えてくれることはない。ただ傷を広げるだけだ。めそめそし続けた先にあるのは底なしの闇である。先がないのなら――たとえばラヴィアスに殺されたあの魔王城での戦いのように、終わりが目の前に見えているのなら、絶望に沈んでしまうのもいいかもしれないが、ノイムはすでに新しい人生を歩んでいる。
シャティアには誤解させてしまった。必要以上に困らせ、いらぬ罪悪感まで植えつけた。
自覚すると、ノイムの精神は急激に回復していった。解決しなければならない問題は、目の前に山積みだ。うしろを向いている暇があったら、やれることをやらなければ。
そう、たとえば、シャティアに相棒として認められるとか。
それは前世で築いた関係を取り戻すための一歩になる。
「……ま、たしかに、村の連中をどうにかするより、あんたのがよっぽど伸びしろがありそうだわな」
好感触である。そもそも最初からシャティアは、六歳のちびだということを抜きにして、トロールとの戦闘でのノイムの腕を認めてくれていた。ノイムはここぞとばかりに手を挙げて飛び跳ねる。
「でしょ。将来有望だよ。鍛え甲斐もあるよ」
「すごい売り込むじゃないか。あんた、自分がほんの子供だってわかってる?」
「わかってるわかってる。だからいざというときはシャティアが護ってよ」
堂々と言ってみせれば、シャティアが声を立てて笑い出した。
「あんたと話してると、わからなくなってくるな」
「なにが」
「自分が相手にしてるのか、子供なのかそうじゃないのか。あんた、ところどころでちぐはぐだから」
「子供だよ……だいたい、シャティアの訊きかたがもう私を子供だと思ってないでしょ。なあに、自分が子供だとわかってるなんて」
「らしくないんだよ。やっぱり、経験してきたことがそうさせるのかな」
ふ、とひと息ついたシャティアは、一転、やけに凪いだ瞳でノイムを見つめた。その口から、あたしも周りからは――なんて呟きがこぼれた気がしたが、傍らを流れる川の音に流されて、最後まで聞き取ることはできなかった。
▽ ▼ ▽
山間を抜けると川の流れは落ち着いた。日の光をきらきらと反射しながら下る水を追いかけていけば、つい先日刈り取りが終わった畑に、秋の種まきを待つ畑、そしてなにを待つでもなく空っぽの畑――村の耕作地が見えてくる。
「なんだかやけに騒がしいね」
シャティアが眉をひそめた。
戻ってみれば、村全体に落ち着きがない。ひっきりなしに人が行き来している。声をかけ損ねた出張狩り組は、ただ突っ立ってその様子を眺めた。
「なにかあったのかな」
「らしいね。森に人が集まってる……なんだありゃ、まるで人捜しにでも行くみたい」
まだ日が高いのにも関わらず、村の最奥――森の際にわだかまった村人たちは、火を点ける前の松明を抱えている。腰には各々、得物を携えている。剣やら斧やら、とにかく物騒である。
シャティアが広場を横切った女を呼びとめた。
「アマンダ、アマンダ!」
「ああ、シャティア……!」
駆け寄ってきたのは、とろりと垂れた目をした女である。取り乱した様子だ。
「どうしましょう」
ひとつに結んで肩から前に垂らしたロングの淡い茶髪。ほっそりとした体は、くるぶしまで覆う裾の長いワンピースに覆われている。十代にも三十代にも見える不思議な美人で、なんだか幸が薄そうな雰囲気を持っていた。どうしてそう見えるかといえば、明らかに青ざめた顔だ。アマンダと呼ばれた彼女は、傍目にわかるほど血の気が失せた表情をしていた。
ノイムが初めて見る人物だが、その面影には見覚えがある。ノイムはつい口を挟んだ。
「エイミーのお姉さん?」
治癒士の姉に憧れて、床に臥したノイムの世話を熱心にしてくれていた村の少女、エイミー。気弱で口数も少ないが優しく、子供たちのなかではダントツまともな性根の持ち主である。アマンダは、エイミーに似ていた。
「あなた、ノイムちゃんね? 妹から聞いているわ」
妹から、ともう一度繰り返して、アマンダは頬を歪めた。倒れるように膝をつく。
シャティアが慌ててアマンダを支えた。彼女の目には、今日はなんだかこんなことばかりだと困惑する色が浮いていた。
「ちょっと、どうしたのさ」
「エイミーが――」
エイミーがいなくなった。
アマンダの声はか細い。とてもこの場の皆が聞き取れるほどの音量ではなかったが、その一言は、しっかりと全員の耳に届いた。わかりやすすぎるほどに場が凍りつく。
「いなくなったって、なに? 説明してちょうだい」
シャティアはアマンダを立たせながら、首を巡らせた。
狩りに出ていた男衆に指示を飛ばす。怪我人は村長の家に運んで手当てをする。命に関わる重傷の者はいないから、村の治癒士に頼るのはあとだ。この状況でアマンダを治療に回すのは酷である。
男衆は重々しく頷くと、村でひときわ大きな屋敷に足を向けた。あれが村長の家なのだろう。
彼らの背を見送ると、シャティアはやや迷った様子を見せた末に、アマンダを連れて自分の家に向かった。たぶん、目の前にあったからだ。彼女の家は村の最も外側に位置しているから、外出から戻ってきたときは楽なのである。
ノイムもふたりのあとに続いた。ふらふらと心もとないアマンダの足取りを見つめながら、腹の底から出てくる予感に脂汗をにじませる。
(失踪した、エイミー……子供)
悪夢のような光景が脳裏によぎった。
折り重なる小さな骸と、その中心で燦然と輝く勇者の剣。あれに向けて、歯車が動き出したのだろうか。判断するには情報が少なすぎる。そもそも、詳しい事情もまだ聞いていない。
しかし――。
(ひらめいちゃった時点でなあ)
しかし、無関係ではないはずだ。こういうときの悪い予感はどうしたって当たる。




