72.喪失、実感する
トロールの生態には特筆すべき点がいくつかある。
今ここで重要なのは、彼らが巣穴に財宝を貯める習性を持っていることだ。金銀宝石のみならず、武器、楽器、果てには家具など、内容は多岐にわたる。
ノイムとシャティアが倒したトロールの巣穴には、武器が多く積まれていた。
「サルシャの町に人が集まるからだわ」
シャティアの村を囲う森を、抜けた先にある町である。
大きな円形闘技場があり、定期的に闘技大会が開かれている。その大会に参加するため、血気盛んな戦士が各地から集まるのだった。
この森のトロールは、サルシャの町に向かう戦士を襲っていたのだろう。
なにしろ頑丈さにかけてはぴか一の魔物である。トロールが欲しがりそうなものを捨ててとっとと逃げるほうが、討伐するよりもはるかに早く済む。これから参加する闘技のためにコンディションを最高に保っておきたい者たちなどは、戦闘を避けたはずだ。無論、単純にトロールにやられて武器や防具や一切合切を奪われた者もいないわけではないだろうが。
ノイムは洞窟のなかに積み重なっている武器をかき分ける。
目ぼしいものがないかと思ったのだが、今のノイムに扱えそうな武器はなかなか見つからない。どれもこれも、刀身の長い剣ばかりである。ノイムの小さな体では持ち運ぶのにも一苦労だろう。できれば短剣がいい。
とにかく自分の得物がほしかった。
さきほど戦って特に思った。腕があるのに、人から武器を借りなければ参戦できないとは格好悪い。今持っている弓だって、相手が茫然自失していたから強奪――借り受けることができたのだ。向こうが正気だったらたぶん取り合いになって、そしてノイムは力負けしていた。想像するだに情けない。
がっしゃがっしゃと武器の山を切り崩しているうちに、ようやく目的のものを見つけ出した。おおよそ実践向きとは思えないものだが、致し方あるまい。ほかになさそうだ。
「ねえ、これもらってもいいかな」
「趣味悪くない?」
シャティアにものすごい顔をされた。
ノイムが手にした短剣の柄の中央には、四角いカットの宝石がでかでかとあしらわれている。おまけの鞘はきんきらきんに光っていて、蔦が這うような装飾がびっしりと施されていた。さらにいえば、無駄に重い。
成金が好みそうな装飾過多のデザインなのである。
「……やっぱりそう思う?」
「あんたでも扱える武器がほしいんなら、あたしの短剣は? 無駄な装飾なんか一切なし。手のひらに馴染むかたちの柄に、シンプルな皮の鞘。どう?」
シャティアは己の腰を叩いた。金属製の籠手と、硬い短剣の鞘がぶつかって甲高い音を立てる。
「でも、シャティアのでしょ?」
「あたしは滅多に使わないからね。あんたのほうがよっぽど活躍させてくれそうだ」
シャティアが短剣を鞘ごと引き抜いた。
ノイムはごてごての短剣を放り投げ、差し出されたそれを受け取る。本来なら十年後もシャティアの腰で鈍い輝きを放っていたはずの短剣である。
「ありがとう、シャティア」
「いーえ」
思いのほかいいものをもらってしまった。いいものついでに、満面の笑みでシャティアを見上げる。
「ね、シャティア。弓もほしい!」
「それは持ち主に返しなさいね。新しいの用意してやるから」
「やったー!」
言質は取った。自前の弓が手に入る。
これで未練がましく他人の弓を握っている理由はなくなった。借りものは今すぐ返しに行こう。ノイムは洞窟を飛びだした。
▼ ▽ ▽
ノイムたちは村に引き上げることにした。
狩りの成果はほとんどゼロに等しいが、戦利品なら手に入れた。町に出て売るか届け出るかすれば多少の金にはなるだろう。
なにより怪我人が出ている。狩りの続行は不可能だった。
仲良くひっくり返っていたルーダともうひとりの村人なんかは、起き上がることもままならない。ルーダに関しては意識だけはあるようだが、それもほとんど唸るばかりである。頭を打ったようだった。幸い、血は出ていない。
村には治癒師のような立ち位置の女がいると聞いている。村の子供、エイミーの年の離れた姉だ。ノイムは実際に会ったことはないが、エイミーからいくらか話を聞かされていたので、それなりに情報を持っていた。
(簡単な治癒魔法が使えるっていうし)
彼女に任せてしまえば、怪我人に関して心配することはないだろう。
意識が朦朧としているふたりは、比較的元気な男衆の背に乗って運ばれている。他人の背中でぐったりとしている情けない青年を眺め、ノイムは首を傾げた。
「ルーダって戦えないの?」
率先して森に突撃したルーダの足取りだけで判断するなら、トロールを囲んで震えていただけの男衆よりよほど頼りになりそうだった。普段の傲慢な態度も、それなりの実力が備わっているからこそと思えば納得できる。しかしノイムが目撃したのは、ほとんど戦わないまま地面に伸びたルーダの姿だけだった。
ルーダもほかの男衆と同じような腰抜けだったということだろうか。たしかに前世でも、彼を含め、村人が外敵と交戦しているところなどは見たことがなかったが。
「さすがに可哀想だから弁明しておくけど、ルーダは剣も扱えるし、魔物に正面から挑む度胸もある」
ノイムは前方でぐったりしているルーダを指した。
「じゃあ、あれは?」
「あれはちょっと運が悪かっただけ」
シャティアの顔が今にも笑い出しそうに歪んだ。
トロールに応戦――というには逃げ惑っていただけのように見えたらしいが――していた男衆のもとに駆けつけたときである。村の男が棍棒に薙ぎ払われ、吹っ飛ばされるところだった。ルーダは彼を真正面から受け止め、木の幹に頭を打ってそのまま意識を失った。
「というわけさね」
「だ、ダサい……」
ノイムがにべもなく言い切ると、とうとうシャティアは噴き出した。腰を折って爆笑している。楽しそうでなによりだった。
「そ、それ――絶対に――本人には言ってやらないで――いじけちゃうからさ」
「いじけるんだ……」
「普段より攻撃的になってちょっと面倒なんだよ」
それは果たして、いじけているといえるのだろうか。
「ま、ルーダも含めて、うちの男連中の情けなさと小心っぷりには辟易するけど、かえっていい思いができたね」
シャティアがノイムの頭を乱暴に撫でた。相変わらずというべきか、首をもごうとするような動作である。ノイムは首をぐらぐらさせながら、彼女を見上げて続きを促した。
「最後のあれ、めちゃくちゃ気持ちよかったんだ。あんたが飛びだしてきて結構焦ってたんだけど、気づいたら体が勝手に動いててさ」
ノイムの狙いが手に取るようにわかったのだという。
ノイムが崖を登っている間、シャティアはただトロールの気を引いていただけではなかった。トロールが崖に、ノイムに背を向けるように立ち回っていたのだ。
だからノイムは落ち着いて狙いを定めることができたのである。
(そりゃそうだ、ちょっとでも私の姿がトロールの目に入ってたら……)
矢を撃たれることを想定して、防ぐ姿勢に入っていたかもしれない。あるいは大した存在ではないと認識され、何本撃っても無視され続けた可能性もある。
シャティアに集中しているときに意識外から邪魔が入った――と、こう思わせることが重要だった。トロールはものごとを単純に捉える傾向があるから、「邪魔をされた」と認識するとすぐに怒る。そして狙いを変える。
「私、そこまで考えてなかったや」
矢を当ててやろうとしか思っていなかった。ノイムもまた、ものごとをかなり単純に捉えていたようである。
「あたしもなにも考えてないに等しかったよ。だってついこの間知り合ったばかりの、それも死にかけて臥せってたおちびちゃんが、好奇心で乱入してきた戦いでいきなり、魔物に矢を命中させるなんて――」
思わなかっただろう。
手放しで信用できるほどの信頼関係は、ノイムとシャティアの間に築かれていない。だから本来なら、シャティアはノイムの存在を完全に無視してひとりでトロールの対処にあたってもよかったのだ。
しかしシャティアはそうしなかった。ノイムが矢を当てると見て、動きを合わせた。
「あたしら、息ぴったりだった。まるで示し合わせたようにね。肩を並べて戦ったことなんて、一度もないのに」
なんか、互いのことを理解ってるみたいだったじゃない?
「なんて、ちょっとクサすぎるか。恥ずかしくなってきた……あたしってば、こんなちっちゃな子になに言ってるんだろ」
ノイムはシャティアの顔を食い入るように見つめた。
突然――そう、突然のことだった。
冷やりとしたものが胸をすべり落ちて、腹のあたりで着地したのである。
ノイムには思い出がある。
シャティアと初めて会ってから、何年もともに旅をした。前世での話だ。
(シャティアが自然に動けたのは、たぶん、私がシャティアのことをわかってたから……)
いわばカンニングである。だって、苦楽をともにした思い出は、今やノイムのなかにしか存在しない。
シャティアは――いや、彼女だけじゃない。カデルもラヴィアスも、そのほかの仲間も、もう誰も、前世で出会った十六歳の代理勇者のことなど、覚えていない。
ノイムが持っているかつての仲間の情報は、すべて前世で手に入れたものだ。
今のノイムが知っているのは不自然だった。もう一度彼らと親しくなりたければ、ノイムはこれからもう一度彼らと出会い、対話をし、心を開き、開いてもらい、数多の苦難をともに乗り越える必要がある。でなければ、前世のような頼れる仲間は手に入らない。
孤児院でカデルに会ったときも、ラヴィアスと再会したときも、そんなことはまったく考えなかったのに、急に悟ってしまった。
――私、死んじゃったんだ。
今さらである。赤子として転生したときにだって同じことを思ったではないか。ラヴィアスの大剣に貫かれ、ノイムは命を散らした。そして同じ世界の過去に生まれ直した。わかっていたはずだ。
なのに今この瞬間、初めてその事実に気づいた気すらした。
カデルもラヴィアスも、シャティアも、ほかの仲間も、前世のノイムのことを知らない。前世と今では顔立ちが違う。髪の色も違う。前世のノイムは幼少期、ここまで小柄ではなかったから、体格もたぶん違う。しかしそれを覚えている人はいない。これから知る人もいない。世界中でたったひとり、ノイムが自分で覚えているだけの過去だ。
いや、もはや過去ですらない。
なかったことにされた未來。二度と訪れることのない時間。前世でノイムが歩んだ道や結んだ縁は、ノイムの虚誕妄説と言っても差し支えがないまでに、ひと欠片の痕跡もなく消え失せた。
前世のノイムは、正しく死んでいるのである。
それは、なんだか――。
「……ノイム?」
なんだか、とても。
「あんた、泣いてるの? どうしたの急に」
とても、寂しいことだった。




