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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
四章 代理勇者の束縛
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71.トロール、振り回す

 いないよりはマシ、以上の働きはしたいものだ。

 足に絡みつく下草を蹴り払う。走れば走るほど、足元を揺らす地鳴りは大きくなる。悲鳴はもう聞こえなかった。なんだか嫌な予感がする。


 視界がぱっと開けた。

 木々が途切れ、土が剥き出しになった天然の広場が現れる。

 ノイムの目に真っ先に入ったのは、ゆっくりと動く小山だった。


 小山は人に近い姿をしていた。土気色の肌をしている。ノイムを縦に四人並べても届かないほどの身長と、横には……ノイムが何人必要かわからないが、とにかく大きい。大樹の幹のような首の上には、崖崩れで落ちてくる岩のような顔が乗っかっている。おまけに脚が短く腕は長い、アンバランスな体型である。

 魔物の一種、トロールだ。


 そのうしろには、トロールの背を軽く超える高さの崖がそびえ立っている。

 岩壁にぽっかりと穴が空いていた。洞窟だ。村の男が――シャティアたちに助けを求め、ノイムに弓を奪われた村の男がしきりに「洞窟が」と言っていた。このトロールの巣のことだろう。展開はだいたい読めた。


(まさか入ったんじゃないだろうな)


 あり得まい。だとしたら不用心にもほどがある。たまたま通りすがったところで運悪く家主に気づかれ、やむなく戦闘になった。そんなところか。


 ノイムは周囲に目を走らせる。

 死屍累々……とまではいかないが、村の男衆が何人かそこらに転がっている。無傷らしい男たちも、狩り用の武器を手にただおろおろするばかりだ。少なくとも傍目にはそう見えた。


 トロールが村の男のひとりに狙いを定めた。ゆっくりと腕を持ち上げる。

 ずんぐりとした手には特大の棍棒が握られていた。地面には力任せに穿ったらしい跡がいくつもある。先ほどから響いていた地鳴りは、トロールが棍棒で地面を打つ音だったのだ。

 今にも叩き潰されんとしている村の男は、左右どちらに逃げるべきかと体をふらふらさせている。ほかの魔物が相手だったら手遅れだ。すでに殺されている。トロールの動きが緩慢なおかげでまだ生きている。


「あんたの相手はあたしだよッ」


 頭上高くから影を作る棍棒が振り下ろされる直前、勇ましい声がトロールの背に襲いかかった。丸太よりなお太い脚に、鉄製の拳が叩き込まれる。

 シャティアだった。


 トロールが振り向く。持ち上げた棍棒をぐるりと移動させ、シャティアの頭の上に持っていった。

 なにが起こるかは自明の理である。


 打ち下ろされた棍棒を、シャティアは拳を振り上げることで正面から迎え撃った。並の人間なら力負けして叩き潰されているところだ。

 しかしシャティアは並の人間ではない。

 トロールの棍棒は見事に軌道を逸らされ、シャティアの真横に落ちた。重々しい音とともに、またひとつ浅いクレーターが増える。トロールが眉根を寄せて唸った。狙いを外したのが悔しいらしい。


 隙を狙って、シャティアが次々と拳を入れる。

 体のあちこちを打ち据えられたトロールが醜い悲鳴を上げた。ほら貝を吹いたときのような、内臓に響く声である。傷がないので、傍目にはダメージを負っているとは思えないのだが、トロールのあの反応はかなり痛そうだ。効いていないわけではない。


「こいつ、無駄に丈夫だわねッ」


 シャティアは苛立っているようだった。飛び退いてトロールから距離を取る。


「あんたたち、ぼけっとしてないで働きな!」


 彼女に怒鳴りつけられたのは、言わずもがな、村の男たちである。

 抜き身の剣も、つがえた矢も、すべて彼らの手元で静止していた。まともに応戦しているのはシャティアだけだ。ほかの村の衆はトロールを遠巻きに眺めてただ震えている。


 これは、いないほうがマシというものである。


 いっそ逃げてくれればシャティアだって動きやすかろう。村の男衆がこの場にいるせいで、悲しいかな、シャティアはトロールの注意を引き続けなければならない。斃すことなんか二の次だ。これではジリ貧である。

 ノイムはため息をついた。


 しかし、ルーダはどうしたのだろう。あの青年なら突っ立っている男衆よりはよほどまともな働きをするだろうに、見える範囲に姿がない。

 歩を進めたところで、ノイムはなにかやわらかいものを踏んだ。


「うげっ」


 見れば、ルーダである。ノイムが踏んだのは、無様にひっくり返った彼の腕だった。

 その胸の上には、また別の男が折り重なっている。ふたりまとめて吹っ飛ばされたのか、あるいは吹っ飛ばされた村人がクリティカルヒットしたのか、定かではないが、とにかく戦闘不能である。ルーダの腰の剣は、抜かれてすらいなかった。


 ノイムが踏んだからか、彼はうっすらと目を開けた。うう、と情けなく呻く。


「な、なんでおまえ……子供の出る幕じゃない……引っ込んでろ……」

「引っ込むのはあんたでしょ。なにしてんの」


 ノイムは彼と、彼の上の男を跨いで越えた。

 こんな醜態ばかり見せつけられては、もう黙っていられない。木陰から走り出る。見物人と化している村の男たちの前を抜け、シャティアのうしろを抜け、堂々と広場を駆ける。


「ノイム!? どうしてここに!」


 シャティアがノイムに気づいた。ノイムは元気よく答える。


「加勢するー!」

「馬鹿、引っこんでなっ」

「シャティアはそのまま、そいつを引きつけてて!」


 静止はきっぱり無視するに限る。

 ノイムは握っていた弓を背負い、洞窟がある崖に取りかかった。ノイムが簡単に登れるくらいには掴みやすい岩肌である。ただ足がかけにくかったので、登り始めると同時に靴をぬぎ捨てた。


 退く気のないノイムに、シャティアも諦めたのだろう。やけくそにも聞こえる声が飛んでくる。


「ああもう、なんだかわからないけど、落っこちたりしないでよ!」

「はーい!」


 魔物と戦っているにしては間抜けなやり取りである。


 ノイムがせっせと崖を登っている間も、背後ではトロールとシャティアの攻防が続いていた。

 トロールの棍棒が地面を打つたびに、あたり一帯が震える。ノイムがかじりついている崖も例外ではない。頭上にぱらぱらと石ころが降ってくるので、崩れやしないかとひやひやした。


 ノイムの不安は杞憂に終わった。

 崖の上からは、トロールが暴れる広場を一望できた。とはいえ、遠すぎるということもない。眼下のトロールは、十分、弓の射程距離である。


 ノイムは弓を背から下ろし、矢をつがえた。

 弦を引く。久しぶりの感触である。


 弓に触るのは、代理勇者だった前世以来のことだ。

 六年のブランクに、以前よりひと回り小さな体。不安はあったが、ひとまず当たりさえすればそれでいい。(さいわ)い的は大きいので、狙いをつけるのには困らなかった。


 ノイムが放った矢は、弧を描いてトロールの肩に命中する。

 皮膚が分厚いので、トロールにとっては蚊に刺された程度の感覚だろう。

 しかし、注意を引くには十分である。


 トロールは肩に刺さった矢を鬱陶しそうに払い落とした。シャフトが半ばから折れて落ちていく。矢じりが肉のなかに残ってしまっているが、それは気にならないらしい。トロールが崖の上に立つノイムを見上げる。


 ノイムはすでに次の矢をつがえていた。

 トロールが棍棒を振り上げながら、崖を目指して歩いてくる。あれで叩かれればノイムの足場は崩れるだろう。無論、それより先に次の矢を放てば問題ない。


 シャティアがなにかを叫んでいたが、ノイムの耳には入らなかった。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け……!)


 緊張で指先が震える。ノイムは真っすぐにトロールの瞳を睨みつけた。頭でっかちのくせに、そこにはめ込まれた双眸(そうぼう)は小さい。狙う側の気持ちも考えてほしい。


(左目!)


 狙いを定めたノイムは、引き絞った弓弦から手を放す。放たれた第二矢が風を切った。

 太い悲鳴が天を突く。

 撃った矢は、トロールの()()に命中していた。


「……うむ」


 当たったからヨシ! 

 そういうことにしておこう。ノイムはわざとらしくガッツポーズをした。


 六年も弓に触っていなかったのだ。さすがに的の中心を正確に狙い撃つような(わざ)は無理である。元からノイムは弓の名手などではなかった。前世での命中率は七割くらいだ。フレンドリーファイアしそうになったことも一度や二度ではない。どちらにしろ、狙いどおりの箇所を撃つことなど不可能だったともいえる。


「もう一回……」


 右目を押さえながら棍棒をめちゃめちゃに振り回すトロールを眺め、ノイムは矢筒から三本目の矢を引き抜く。できれば両目を潰しておきたいところだが、先ほどの一矢を考えると、外すのは確実だ。高望みはすまい。


 第三矢は、吼えるトロールの舌を突いた。

 これも相当痛かったようだ。トロールが棍棒を取り落とした。ずんぐりした手が口に伸びる。矢を引き抜こうとしているらしいが、上手くいかない。


 仕掛けるなら今だ。


「シャティア!」


 ノイムが名前を呼んだとき、シャティアはすでに走り出していた。地面を蹴って跳び、ノイムが登った崖を蹴り、三角飛びの要領で空中へと身を躍らせる。


 シャティアの影が、トロールの頭上に落ちる。

 位置関係はばっちりだった。彼女は気合いの声を上げて、拳を思いきり振り下ろす。


 大量の砂ぼこりを巻き上げ、トロールの体が地に沈んだ。


 全体重をかけて殴られた頭蓋が、べっこりとへこんでいる。これがシャティアの本気のパンチの威力である。もちろん純粋な膂力(りょりょく)によるものだった。


(さっすがシャティア!)


 うっかり口に出しそうになったが、留まった。この誇らしさは、前世のシャティアを知るノイムならではの気持ちだ。今世でシャティアの戦いぶりを見たのはこれが初めてなのだから、ここで知ったような感想を漏らすのは失言である。


 とにかく、ノイムとシャティアの連携は見事に決まった。

 幼女と少女のふたりで、あれほど苦戦していたトロールを、瞬きの間に倒してしまったわけだ。


「……す、すげぇ! シャティアがすげぇのは知ってたが、嬢ちゃん! あんたその年で弓が使えるのか!」


 最初の歓声は木立の向こうから聞こえた。見れば、ノイムが弓を奪った男である。いつの間にやらノイムを追ってきていた。抜けた腰は元に戻ったらしい。


「私に貸してよかったでしょ!」


 ノイムはことさら得意げに胸を反らす。

 いや、あれは強奪……などという声が聞こえた気がしたが、もちろん気のせいだろう。

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