70.探索、渓流を上り
シャティアの言うとおりである。
気に入らない人間を殴って憂さ晴らしをしている暇があるなら、シンシアを追うための手がかりを集めたいところだった。
そういうわけでノイムは、翌日から、家のなかで子供たちを遊んだり喧嘩したりする代わりに、村の男衆とシャティアの狩りについていくことになった。
川をたどり、上流にある山のあたりまで足を伸ばす。
それぞれ得物を手に傍らの森へ分け入っていく男衆を横目に、ノイムは急流を見下ろした。こちら側は足場が低いので、白く上がる飛沫が霧のように顔にかかる。対して対岸には、見上げるほどの崖がそそり立っていた。はるか高みで途切れた崖の上には、こんもりと木々が茂っている。その向こうにあるはずの山道は影すら見えなかった。
もう少し先に行く必要があるらしい。ノイムはさらに川を遡った。
ノイムが捨てられたのは、道が崖の縁まで迫っている箇所だ。歩きながら、対岸に生える木々が途切れている場所を探す。なかなか見つからない。さらに上流へ足を向けたいところだったが、あまり行きすぎるとシャティアたちから離れてしまう。
振り返ると、すでにずいぶん遠のいた村の衆が見えた。といっても、残っているのはシャティアとルーダのふたりきりである。残りは皆、狩りのために森へと入ってしまった。
シャティアとルーダは向き合ってなにやら話し込んでいる。ルーダはこちらに指を突きつけているようだった。彼の喚声が、傍を流れる水音を遮ってノイムのところまで届いた。
「おい、どうしてあれを連れてきた? 俺たちは遊びにきてるわけじゃないんだ。子守りはごめんだぞ」
答えるシャティアの声は聞こえない。しかし彼女が両手の籠手を打ち合わせたのは見えた。おそらく、なにか反論をしている。シャティアの籠手は防具というより武器だ。前腕を覆うメリケンサックというとわかりやすいだろう。腕がひと回り大きくなったように見せるそれは、殺傷能力が高そうな形状である。
ルーダはシャティアの威嚇に怯んだようで、やかましかった声のトーンが落ちた。
ノイムの耳にはもう聞こえない。それでも黙ったわけではなさそうだ。シャティアが苛立ったように頭をかいているので、なにか文句を垂れているに違いない。
気になったので、ノイムは彼らのもとに駆け戻った。
「狩りの邪魔をされたわけでもあるまいに、やいやいうるさいよ。ちょこまか走り回るちびっ子に文句言ってる暇があるなら働いたら」
「邪魔ならもうされてるだろ。目障りで仕方ない」
ため息とともに一瞥されたので、ルーダの目の前でウサギのように飛び跳ねてやる。「可愛くねぇガキ……」と舌打ちされた。
シャティアが楽しそうに笑ってくれたのでよしとする。
「どう、見覚えのある場所はあった?」
首を振って返した。ふむ、と顎に手を当てたシャティアが、首をめぐらせて波打つ川面を見つめる。
「思い切って遠出するか。その、あんたが川に落ちる前にいたっていうぶどう畑の村まで」
「え、でも……」
「そのほうが話が早く進むだろ。あたしがついていってやるよ」
「いいの?」
ノイムから頼もうと思っていたことだ。シャティアが提案してくれたのはかなり嬉しい。しかしノイムの人捜しに付き合って遠出すると、シャティアはしばらく村を空けることになる。それは構わないのだろうか。
「いいわけがないだろうが」
先に反応したのはルーダだった。
「余所者がどこへ行こうが、俺は知らん。が、村の人間を勝手に引き抜くなら話は別だ」
「あたしだって好きに出かけていいだろ。あたしのことだってちょっと前までは余所者だなんだって追い出そうとしてたくせに、偉そうな口を叩くんじゃないよ」
シャティアがルーダの後頭部を叩いた。ごん、と硬い音がした。ルーダが唸る。いかにも痛そうだ。ノイムはつい、自分が殴られたわけでもないのに頭を押さえてしまった。
「事情を聞いちまったらね、中途半端に放りだすのは気持ち悪いんだ。ノイムが納得できるところまで、とことん付き合うよ」
「おい、シャティア――」
まだ噛みつこうとするルーダの脇腹を小突いて黙らせると、シャティアは肩をすくめた。
「あんまり騒がれるようなら村を出たっていい。気のいい連中のほうがずっと多い村だけど、このとおり一部に鬱陶しいのがいるからさ、ときどき辛抱たまらなくなるんだよね」
彼女にじろりと睨まれたルーダが、ようやく押し黙る。本当にシャティアに出ていかれるのは困るらしい。ほとんど聞こえないくらいの小声で謝った。
「どうする、ノイム。ひとまず先に村に戻る? それともこっちが済むまで待つかい?」
「ここで待って――」
重々しく響いた地鳴りで、ノイムの体が浮いた。体勢を崩して尻もちをつく。
木々が激しく揺れる。
鳥たちが一斉に飛び立った。
その場にいた者たちが同時に口をつぐみ、木立の向こうを注視する。
地鳴りはさらに続く。ずしん、ずしん、ずしん……三度目ののち、村の男が走り出てきた。茂みに足を取られた彼は前のめりに転び、シャティアとルーダの足元で止まる。
「ずいぶんな様子だな。なにがあった?」
「ど、洞窟が――魔物が――」
「ちょっと、しっかりしなさいよ。大の男が情けない……」
シャティアが男の二の腕を掴んで持ち上げる。男は釣り上げられた魚のように宙ぶらりんになった。握っていた弓を取り落とす。腰が抜けている上に力も入らないようだ。シャティアは彼を立たせることを諦め、ぱっと手を放した。
村の男は、今度はノイムの隣に頽れた。思わず「大丈夫?」と声をかける。
幼子に本気で心配されたことで、男はいくらか気を取り戻したようである。体を起こしてなんとか座ると、シャティアとルーダを見上げ、森の奥を指さした。
「む、む、向こうに洞窟が――巣が――ま、魔物が」
歯の根が合っていない。ひどい震え声で紡がれる説明は要領を得ない。
とにかく、なにがしかの魔物と遭遇したらしい。いまだに続く地鳴りのような音からすると、ここにいる彼以外の残りの男衆は交戦中だ。誰かの悲鳴が風に乗って届いた。
「行ったほうが早そうだよ、ルーダ」
頷いて返したルーダは、腰に差した寂れた剣を抜き放ちながら茂みを越え、森の奥に消えていく。彼のあとを追って木立に入る直前、シャティアがノイムを振り返った。
「あんたはそいつと待ってな!」
返事をする前に、シャティアの姿も見えなくなった。
ノイムと一緒に置いてけぼりにされた男は、相変わらず地面に尻をつけてへたり込んでいる。ノイムは立ち上がって彼を引っ張ってみたが、立ち上がらせることはできなかった。まだ腰が抜けている。
「これ、借りるね」
ノイムは落ちている弓を拾った。狩り用の短いものだ。試しに弓弦を引いてみる。これならノイムの小さな体でも扱えそうである。
ひとつ頷いたノイムは、呆けたままの男の背に手を伸ばす。
「こっちも貸して」
矢筒を奪った。斜めがけにした矢筒のベルトを調節しながら茂みに分け入った。弓矢の持ち主を放置して、森の奥へと駆ける。
「えっ、ちょ、おい!?」
引き留めているのだかなんだかわからない悲鳴が背後から聞こえた。ノイムはちょっと不安だった。なにしろ魔物と戦ったと思われる村の男が、あのとおりの情けない有り様なのである。
(前世でも、村の人たちが戦っているところは見たことないんだよなぁ)
となると、魔物を斃すのはシャティアの役目だ。それも村の男衆を庇いながらの戦闘である。いくら彼女が強いからといって、万が一がないとは限らない。助太刀しに行きたいと思うのは当然だろう。
(この小さい体でまともに戦うのは初めてだし……弓だって、もう六年触ってないことになるけど)
そんなノイムでも、いないよりはマシだろう。
と、思いたい。




