6.勇者、失踪する
――今、求めていた話が聞こえた気がする。
「俺もそろそろここを離れようかなぁなんて考えている次第でして。さすがに命は惜しいですしね……」
白昼堂々襲撃されて、配達屋も堪えたらしい。
配達業で稼いだお金のいくらかを貯蓄に回していたので、先立つものはじゅうぶんにある。他国に出てもう少しまともな暮らしをするつもりなのだとか。
「配達屋さん、辞めてしまうんですか」
「懇意にしてくれてる方々には申し訳ないんですけどね。ま、すぐってわけじゃないんで、そのときはご挨拶にうかがいます」
将来の展望を一方的に語った配達屋は、思う存分しゃべって満足したようだ。それじゃ、と背中を見せた彼を遠目に、ノイムは大いに焦った。
配達屋の今後などはどうでもいい。失踪した勇者の話を聞かせてほしかった。
ノイムは周りを囲む子供たちに体当たりするようにして、椅子から転がり落ちた。きゃっと悲鳴を上げたのはいったい誰だろう。
赤子の柔らかい体はさほどのダメージも受けずに床へと着地する。小さな脚の隙間を縫ってハイハイを開始した。伸ばされた小さな手をぬるんと避ける。
にわかに騒がしくなった食堂にアリサが振り向いたが、遅い。ノイムはすでに足元に迫っている。
高速ハイハイで孤児院の外へと飛び出したノイムを見て、アリサが悲鳴を上げた。
「待ちなさい! こらっ」
伸ばされた腕はもちろん避けた。ノイムはなおもほふく前進を続ける。
石造りの階段を転がって、湿り気を帯びた庭に着地する。胸いっぱいに吸いこんだ土の香りに、ノイムはふと思い至った。
拾われて以来、孤児院の外に出るのはこれが初めてだ。
柔らかな土に手が触れるたび、心が浮き立つ気がする。ノイムはともかく、この赤子にとっては初めての経験である。知らない匂いに知らない感触。驚き、喜んでいるのかもしれない。
「わぁ、赤ちゃん?」
腹を土まみれにしたノイムは、門前で振り向いた配達屋に持ち上げられた。
任務完了。
一瞬前までの剣幕が嘘のように、ノイムは両手足を投げ出しておとなしくなった。
「すみません! あああ、もう、こんなに汚して……」
しかし、ノイムを引き取ろうとしたアリサの手は断固として拒否した。すっかり細やかに動かせるようになった五本の指で配達屋の袖を掴む。赤子のパワーは意外と強い。ノイムは知っている。
「はは、俺、気に入られちゃった?」
「もう、本当にすみません」
「いいですよ、可愛いですし」
配達屋が寛大な心を持っていて助かった。彼の腕に収まることに成功したら、あとはこの青年から話を引きだすだけである。「赤ちゃんってやわいですねー」なんて笑っている配達屋の頬を思いきり叩いた。
「ゆしゃ! う!」
ほら、話せ。洗いざらいを吐け。
土にまみれた手をぺちぺち叩きつけていると、さすがに見過ごせなかったのか、わっしとアリサに捕獲されてしまった。ならばと反対の手を持ち上げたが、こちらもあっけなく捕まえられる。万事休す、ノイムはバンザイの格好で固まってしまった。
うっかり両手を離してしまったことで、ノイムと配達屋を結びつけるものがなくなった。万事休す。ここぞとばかりにアリサに回収される。無念の敗北である。
作戦失敗、と諦めかけたノイムだったが、次のアリサの言葉で持ち直した。
「……そういえば、さっきのお話ですけど。勇者様が失踪したって、やっぱり本当なんですか?」
アリサ、やるじゃないか! 内心でガッツポーズをする。いや、現実でも拳を握った。
「間違いないです。勇者サマの出身の国が軍を出して捜索を始めたらしいんで。あちこちで話題になってるんですよ」
「旅をしているならちょっと足取りが掴めなくなることなんてしょっちゅうあると思うんですけど……」
アリサの困惑も理解できた。いきなり軍を動かすのは、たしかに早計ともいえるだろう。
ところが、眉を寄せた配達屋が声のトーンを落とした。
「派手な戦いの痕跡があったみたいなんです。現場には黒い羽が大量に落ちてたみたいで」
「黒い羽?」
ノイムはどきりとした。黒い羽と言われて、真っ先に思い浮かぶのはただひとつ。
魔族の黒翼だった。
「不自然だったんで、魔族のものだって話で落ち着いたらしいです。場所もちょうど、サニアからルアキュリアに入るあたりだったっていうんで……それに、失踪したのだって勇者サマひとりじゃなくて、勇者サマと一緒に旅してた人たちもひとりのこらずまとめてって話だとか」
勇者一行の面子を思い返す。勇者の青年と、賑やかな双子の魔導士エルフ、レイモンドと呼ばれていた戦斧持ちの大男、物静かな神官の女。それが一度に全員いなくなってしまった。魔族による組織的な襲撃に見舞われたか、あるいは魔王の仕業か。
配達屋の耳には数多の推測が入ってくるようだ。
「王サマの命令で、王都をもっと安全な場所に移すなんて噂も聞きますよ。まさか王サマも本気じゃあないでしょうから、さすがにただの噂でしょうけどね」
彼が知っていることは、それですべてだった。
配達屋に別れを告げると、アリサとノイムは孤児院へと戻った。
泥まみれになったノイムの服は、もちろん剥がされて洗濯行きだ。新たな服を与えられるより先に、ノイム自身も湯を張った桶のなかへと放り込まれた。
アリサの手で全身を洗い流されている間、ノイムはすっかりおとなしくなっていた。
泡立つ水面を見ているつぶらな目は、その実、己の内側に向けられている。小さな体をぐるぐると巡っているのは、先ほど配達屋が口にした予想だ。
(まさか、行方不明になった勇者も……ラヴィーさんの仕業なの?)
勇者が見つからなかったのも、ラヴィアスの思惑が絡んでいるのか。
彼のことだ、ノイムたちが決定的な手がかりを掴まないように、それとなく誘導するのも容易だったに違いない。
(でも、まだ判断材料が少なすぎる……)
ここにきて、ノイムの意識が初めて孤児院の外へと向けられた。
こういうときに重要なのは聞きこみだ。町に出れば旅人のひとりやふたりくらいはいるだろう。こんなぼろ孤児院が大きな顔をして人身売買をしているところからすると、活気ある町というものは望めないが、それでも配達屋ひとりの話よりは多くの情報が集まるはずだ。
(院長もアリサも、子供を連れ出してるとこ見たことないな……)
思い返しても、せいぜいが庭で遊ばせるくらいである。かくいうノイムも、現代日本ならとっくにお散歩デビューしている年なのに、今日の今日まで外に出たことがなかった。
ノイムは泡にまみれた両手で桶のお湯を叩いた。ぱしゃん、と雫が飛び散る。
「と! にわ!」
「こらっ、暴れない!」
お外に行きたいと訴えたつもりだったが、アリサに押さえつけられただけだった。




