65.再会、素直に喜べず
今世では初めてのことだった。
ノイムは熱を出した。
清潔とは言い難い環境で育っても、レオとタランを助けるために連日夜更かしをしても、ラヴィアスと再会してどしゃ降りの雨に晒されたときでさえ、風邪ひとつひかずにけろりとしていたノイムが、である。
(天井が回る……おえ、これ死ぬかも)
何回考えたかわからない。昼夜の移り変わりも曖昧で、何日眠り続けているのかも不明だった。ノイムはずいぶん長いことうなされていた。ここまで激しく体調を崩した理由には見当がつく。むろん、流れの激しい川に流されたことも一因になってはいるのだろうが、それはほんの一助でしかない。
主立った原因はただひとつ。
シャティアと――この村と、再会したことにあった。
カデルが攫われたことも、モニカを死なせてしまったことも、デビーに謀られたことも、シンシアを助けられなかったことも、すべてが些事と化してしまった。
まぶたを持ち上げるたびに視界が回転する。
耐えられなくて目を瞑る。そのまま気絶するように眠りに落ちる。そうすると悪夢を見た。
――ノイムは森を歩いている。魔法で張られた結界によって巧妙に隠された木立のなか、微かに残された焚き火の跡を見つける。空気に含まれたむせ返るような魔力。漂ってくる腐臭。倒れている子供たち。生死を確認するまでもない。腐った体、白骨化した体、干からびた体、獣に食い荒らされた体。
幼い骸に囲まれ、燦然と輝きながら突き立つ勇者の剣――。
悪夢から逃げて目を開ければ、視界が回る。ぐにゃぐにゃになった藁葺きの屋根が映る。見覚えのある調度品に囲まれ、世話を焼いてくれるのは前世でよく見知った女。
否が応でも現実を突きつけられた。
ノイムが滞在しているのは、半身を鬱蒼とした森に包まれ、もう半身を耕作地に覆われた小さな村だ。そのなかのシャティア・リサラという十五歳かそこらの女の家に寝かされていた。シャティアは寝床をノイムに貸し与え、自らは固い土床の上で寝起きしている。素性もわからぬ見ず知らずの子供に対して親切すぎるくらいの献身は、シャティアの美徳だった。
前世のノイムも彼女に助けられたのだ。
転生したばかりのころである。高校の制服を着たままさまよっていたノイムを保護し、村に招き入れたのが、ほかならぬシャティアだった。彼女は村人の反対を押し切ってノイムを住まわせてくれた。知識を与え、仕事を与え、村の一員として扱い、ともに狩りに出て、失踪を重ねていた子供たちの捜索に連れていき――。
目を閉じる。ノイムの脳裏には悪夢が再生される。
――ノイムは森を歩いている。シャティアが住む村の傍の森である。立て続けに行方がわからなくなった子供を捜している。魔法で張られた結界によって巧妙に隠された木立のなか、微かに残された焚き火の跡を見つける。空気に含まれたむせ返るような魔力。漂ってくる腐臭。倒れている子供たち。村から失踪していた子もいれば、町や遠い地域から連れてこられたらしい子も、奴隷として扱われていたらしい子もいた。生死を確認するまでもない。腐った体、白骨化した体、干からびた体、獣に食い荒らされた体。
幼い骸に囲まれ、燦然と輝きながら突き立つ勇者の剣――。
また悪夢を振り切って目を覚ました。視界に映った天井が渦を巻いて吐き気に襲われる。眠らないように眠らないようにと意識を保ちながら、きつくまぶたを閉じた。
ここは、異世界に来たノイムが初めて訪れた人里。
ノイムが勇者の剣を抜いて、代理勇者になってしまった場所。
結局ここに来てしまった。
いつかなにかのかたちで、勇者としての適性を見出されてしまうかもしれない。
懸念は赤子のときからずっと、心の片隅にあった。だからこそノイムは失踪した青年勇者の捜索を最終目標に掲げている。それでも具体的な行動を起こさなかったのは、目の前に積み上がった問題が多すぎること、ノイムに動けるだけの力がなかったこと、それ以上に、勇者を定める勇者の剣が遥か遠くの地にあったからだ。
視界に入れなければ、その手で触れなければ、ノイムは勇者になり得ない。
だから安心して目の前のトラブルに全身全霊で取り組むことができたのである。
自分の足で勇者の剣のもとまで行くことはあり得ない。
あり得ないはずだったのに、ノイムは今、勇者の剣の目と鼻の先にいる。
――生きている限りはなにをしても無駄だと、嘲笑されているようだ。
何度目かに目を開けた。
枕元に座したシャティアが、ちょうど、ノイムの額に置いた濡れ布巾を替えるところだった。
どれだけ嫌がっても、すっかり弱ってしまった今のノイムにはどうしようもない。まさかこの状態で村を出るわけにもいかない。諦めの境地に達したようで、ノイムの心はふっと軽くなった。
「シャティア、喉かわいた」
吹っ切れたのだ。清々しい気分だった。熱も下がったらしい。視界は明瞭、頭もすっきりしている。
「やっと起きた。驚いたよ、目の前で急に倒れるんだもん。触ったらびっくりするくらい熱出してるしさ。今度こそ駄目かと思ったわ」
「……どれくらい経った?」
「季節が変わるくらい。もうすっかり秋だよ」
「エッ」
さすがに予想外だった。衝撃の事実にノイムが打ちのめされている隙に、シャティアが傍を離れる。飲みものだったね、ちょっと待ってて。今日はまだ水を汲んできてないから――いろいろ言っていたようだが、すべてノイムの耳を素通りした。
(秋になっちゃったってことは、私が寝てたのは二週間か、三週間か……よく生きてたな)
つくづく実感した。ノイムは悪運だけは強いらしい。
(カデルが攫われたときも私は無事だったし、あんな崖から投げられても命拾いはしたし……たどり着いたのはシャティアのところだし)
助力を求めやすい相手のもとへ来ることができたのはたしかだ。
気分は複雑だが、シャティアと再会できたことのみに着目するのであれば嬉しい。彼女は間違いなくノイムをこの村に置いてくれる。事情を話せば、シンシア捜しだって協力してくれるだろう。
(お姉ちゃん……)
もうずいぶん遠くまで行ってしまったはずだ。
デビーは相変わらず北を目指していたから、ノイムを捨てて進路を変えていなければ、今ごろは国境近くまで迫っているだろうか。シンシアはまだデビーのもとにいるのか、それともすでに売り払われてしまったか。今のノイムに知る術はない。できることもない。
じわじわと体を支配する苦い気持ちを押し込めて、まとめてため息として吐いた。
「まだだるい?」
水がめを抱えたシャティアが戻ってきた。彼女はコップを直接かめに沈めて、ノイムに手渡してくる。体を起こしたノイムは、もらった水を一気に飲み干した。
「ちょっとだけ。でも、熱はないよ」
ノイムのこの重苦しさは精神面から来るものだ。シャティアの手のひらがノイムの額に伸びる。ひんやりとして心地いい。
「そうみたいね。あんた、名前は? 結局聞きそびれてたんだけど」
「ノイム。ノイム・トツヅキ。助けてくれてありがとう」
「当然のことをしたまでよ。まさか見捨てるわけにもいかないでしょ」
ここでノイムは、ようやく自分が拾われた経緯を知ることになった。
ノイムが捨てられた崖下の川は、シャティアが住むこの村の近くに流れる川に繋がっていた。シャティアやその他の村人は、狩りの途中でその川からノイムを見つけたのである。
「最初は村の子が溺れたのかと思ったんだけど、引き上げてみたら……」
「私だった」
「そ。ひどかったよ。顔が真っ白で、冷たくて。死んでるのかと思った」
でも生きていた。
その後はノイムも知るとおりである。
一度目覚めてシャティアと会い、自分の居場所にショックを受けてふたたび気を失った。熱を出して十数日、今度こそ回復して意識を取り戻した。それが現在である。
「で、あんたいったい、どこから来たの? 隣の村と、森の向こうのサルシャの町でも聞いてみたんだけど、どいつもあんたみたいな子は知らないって言うしさ」
「トパの街」
「……山の向こうでしょ、それ。冗談?」
「まさか。すごい冒険をしたの。人生で最悪の冒険」
シャティアの顔が奇妙に歪んだ。その年で人生を語るか、とでも言いたげだった。
話せば長くなるんだけど。
前置きをして、ノイムは洗いざらいを彼女に話した。シャティアはシンシアよりもいくつか年上だし、彼女の生い立ちから考えると――これは前世で得た情報だが――血生臭い話をものともしないくらいには肝が据わっている。
躊躇いはなかった。
いっそひと息に説明してしまえと、トパの街にたどり着く以前の話もしてしまったくらいだ。
結果、すべてを聞いたシャティアは、額を押さえて天を仰いでしまった。
そのままぴくりとも動かない。さすがに刺激が強すぎたようである。
「ちょっと待って。あんた……そんじゃ、子供を売る孤児院に拾われて、友達を奪われて、助かったと思ったらその先で友達を殺されて、さらに姉と一緒に奴隷商に攫われて、殺すつもりで川に捨てられたわけ? あんた何歳?」
「たぶん六歳」
シャティアは言葉を失っている。
「どうりで子供らしくない貫禄があると思ったわ」
「どこからどう見ても六歳児なのに!」
この人もか。ノイムと話した者は口をそろえて同じことを言う。
「少なくとも体はね。そんな人生送ってたら、ぶっ倒れるのも頷けるわ。あんた、疲れてんだよ。しばらく休みな」
「でも、お姉ちゃんを追いかけなきゃ……」
「そんな顔でなにを言うか。鏡があったら見せてやりたいくらいだわ」
額を小突かれた。それほど強い力はこもっていなかったはずだが、ノイムはぱったりと寝床の上に倒れる。まったく抵抗できなかった。
たしかにひどい状態らしい。シャティアが貸してくれた服の袖をめくってみると、枯れ枝のような腕が現れる。川に流されて寝込み、さらに熱にうかされて寝込んだのだから、やつれるのも当然といえば当然だった。
「……元気になったら、手伝ってくれる?」
「いくらでもね」
すべての話は回復してからだ。
「まずはうちの村の子供たちに混ざって遊び回れるようにならないと」
シャティアは皮肉げに笑って、家の入り口を見やった。
小さな体が山のように積み重なってこちらを覗いている。好奇心にまみれた何対もの目は、まっすぐにノイムを見つめていた。
私たち僕たちやんちゃです、というオーラを全身から放つ、村の子供たちである。
ヒルバールくんへ。
どうしてそんな子になっちゃったんですか?
ねずみもち月より。




