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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
三章 代理勇者の家族
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61.覚悟、見せつける

 この子たちも現実を受け入れられただろうから、縛るのはやめてあげなさい。

 真実を知ったんなら、もう逃げたりしないでしょうよ。

 可哀想に。せめて奉公先でよいご主人に出会えるといいわ。

 ほら、もう泣きなさんな。今日はうちの村に泊まるといい。

 とびきりのおもてなしをしてあげようかしらね。元気を出して。

 本当にすまないことをしたね、デビーさん。事態をややこしくしてしまった。


「いや、いいんだ。誤解をされるようなことをしていたのは事実だからな」


 耳を抜けていく慰めの言葉のなかで、デビーの声だけははっきり脳まで届いた。シンシアの背中を撫でながらまだ呆然としていたノイムは、うっかり「何が誤解だ。ふざけんなよ、クソ野郎」と叫ぶところだった。喉まで出かかった罵倒をぐっと飲み込んで胃に落とす。


 いつの間にか、傾いた荷馬車はあぜ道に上げられていた。


「馬も大丈夫そうだね。よければこのまま、君たちを村に招待しようと思うんだが」

「場所はわかったから、あとから追わせてもらおう。俺はこの娘を慰めねばならん」


 もう睨みつける気力も湧かなかった。ノイムは泣きじゃくるシンシアにくっついたまま、村へ引き返していく村人たちを見送る。

 話し声が遠ざかると、その場の空気がはっきりと変わった。


「俺がなにも考えてねぇとでも思ったか、クソガキ」

「用意周到じゃんか、デブ」


 ノイムは咄嗟に屈んだ。

 頭上で風を切る音がした。デビーの拳である。

 すれすれで殴られるのを回避したノイムは、ほとんど地面と同じ目線からデビーを見上げた。今までにないほど怒りで顔が真っ赤になっている。湯気でも出そうな色だった。


「出てくんじゃねえと言っただろうが、クソが。どうせおまえだろう。悪知恵はたらかせやがって」

「あんたが目を離すから――」


 言いかけたところで、視界が遮られた。

 シンシアがノイムの前に立ったのである。肩が激しく上下していた。しゃくり上げるのが聞こえる。


「シシー?」

「の、ノイムじゃないよ。あたしが」

「……シシー、シンシア、なに言って」

「あたし、が、逃げようって言ったんだ」


 一言発するごとに、シンシアの息は整っていくようだった。


「今なら逃げられると思って。ノイムにはやめておこうって言われたんだけど」


 繰り返しシンシアを呼ぶノイムの声は、見事に無視された。シンシアは止まらない。むしろどんどん饒舌になっている。ノイムはたまらず、シンシアのスカートを掴んだ。


 ぱしん、と乾いた音が鳴る。

 ノイムの手は、払われた。


「あたしが無理矢理、あのおばあちゃんに声をかけたの。あなたが言い訳までぜんぶ考えてるなんて知ってたら、こんなことしなかったのに。ノイムはわかってて止めてたのに、あたしったら馬鹿だった」

「――本当にな」


 デビーが唸ると同時に、シンシアの体が消えた。

 尻もちをついたノイムが見たのは、ぶどう畑に背中から突っ込むシンシアの姿である。思いきり殴られたのだ。下手なりに衝撃を受け流せるノイムとは違う。シンシアはまともに食らった。


「シシー!」


 大慌てで立ち上がったノイムは、転がるように走って畑に飛び降りた。


 ぶどうの木が一本なぎ倒されていた。その上に、背中を丸めたシンシアがうずくまっている。顔は無事だった。アザひとつない。ただ、脇腹を押さえている。

 振りかぶった拳で、力任せに胴を叩かれたのだ。


「シシー、見せて。どれくらい痛い? 骨は大丈夫?」

「た、たぶん……」

「どうしてあんなこと言ったの! 私もシシーも、同じことを考えてたからおばあちゃんに話しかけたんでしょ。シシーばっかりが殴られるなんて」


 そこでノイムは黙った。


 シンシアにじろりと睨まれたのである。心から恨めしく思っている顔だった。シンシアにそんな目を向けられるのは初めてのことだ。思わず、彼女の体から手を離した。


 シンシアがゆっくりと起き上がる。


「そのセリフ、そっくりそのままノイムに返すよ。ノイムはいっつも自分でぜんぶ被っちゃう。逃げるの失敗したときだって、殴られるのはいつもノイムだった。見てるあたしの気持ちは考えたことある? ノイムが殴られてるの、見てるの結構辛いんだよ」

「で、でも、あれは本当に殴られてるわけじゃなくて。そりゃあちょっとは当たってるけど、私、自分から跳んで痛くないように避けてて……」

「それでも!」


 シンシアの鋭い声に、ノイムはぴたりと黙った。


「あたしはいやだよ。あたし、あたし……ノイムのお姉ちゃんでしょ? ノイムはあたしの妹でしょ? ひどい成りゆきだったけど、家族になったんだもん。こういうときは、あたしが矢面に立つべきじゃないの?」


 薄く笑ったシンシアが、ノイムの前髪を撫でた。

 おそらくノイムは今、とんでもなく情けない顔をしている。まるでノイムのほうが殴られたかのような沈痛な表情である。


「妹を護るのは、お姉ちゃんの役目だよ。ノイムには譲らない」


 ノイムは、額のあたりをゆっくりと往復するシンシア(あね)の手を掴んだ。


 シンシアの指先は震えていた。言葉を紡いでいる唇も激しく震え、額には脂汗が浮かんでいる。

 それでも、シンシアは話すのをやめなかった。


「ふたりで逃げるんでしょ。それなら痛いのも怖いのもひとりで抱えちゃだめだよ」

「……そんじゃ、次からはふたりで一緒に殴られよう」


 やっとのことでそれだけ言えた。

 息を吸うと、ノイムの鼻がずび、と鳴った。


「あたしの気持ちわかった?」

「わかった、すごくわかった。ごめん……」


 反省すると同時に、ノイムは顔から火を噴く思いに駆られた。


 デビーから逃げるというのは現実的ではない。ならば戦うしかない。先を見据えたとき、ノイムはなにを考えた? シンシアに物騒な場面を見せたくないと。だから戦うことは避けたいと思わなかったか。

 それはたしかにシンシアを護る選択だろう。しかし裏を返せば、彼女を無力な少女として舐めていたとも取れる。ノイムが前世のまま、成人間近の女性だったらそれでよかった。ノイムは圧倒的な護る側で、シンシアは護られる側だ。


 しかし今は違う。

 ノイムの体はシンシアよりもずっと小さい。足だって彼女よりも遅い。純粋な腕力でだって劣る。それなのにノイムは、シンシアを背に庇って、自分ばかりですべてをこなそうとしていたのだ。そんなこと、できるわけがないのに。


 今さらそれに気づいた。恥ずかしい。穴があったら入りたいとはこのことだ。シンシアの顔を見るのすら耐えられなかった。ノイムは涙をこぼしながらうつむく。


「わかればよし。泣かないで」

「泣いてないもん」


 泣いてないもん、ともう一度呟いて、ノイムは目を擦った。


「シシーこそ……お姉ちゃんこそ、さっきはめちゃくちゃに泣いてた」

「き、気のせいだよ。妹の前でぶざまな姿を見せるわけないでしょ」


 顔を逸らしたシンシアの耳は、ほんのりと赤く染まっていた。

 張り詰めていた空気が、ふ、と弛緩する。ノイムを襲った激しい羞恥も少しずつおさまってきた。


「お姉ちゃん、立てる?」

「大丈夫、痛いのおさまってきたから」


 嘘ではないようだ。シンシアは自分の足で立ち上がった。この様子なら骨は大丈夫だろう。ノイムはほっと胸を撫でおろす。


 ぬ、と細長い影が背後に立った。


「あんまりのんびりしてると、また殴られるんじゃない?」


 ヒルバールである。

 彼はあっという間にふたりを捕まえて、小脇に抱えてしまった。


「ちょっと、私たち荷物じゃないんだけど」

「そこあんまり触らないで、痛いの」

「自業自得」


 馬鹿にしたように言い捨てると、ヒルバールは畑から上がった。ノイムたちを荷台に放り入れる。

 奥ではすでに、デビーのずんぐりした体がクッションに包まれて座っていた。


「この先の村にいる間は、おまえらを自由にしてやる」


 だが、それまでだ。

 一音一音を区切るように言ったデビーは、音が聞こえそうなほどに歯を食いしばっていた。


「特にてめぇはな」


 デビーの小さな目は、まっすぐノイムに向けられていた。

 すかさずシンシアが間に入る。


「さっきのはあたしから言いだしたって言ったでしょ。なんでノイムが!」

「もはや一日たりとも生かしておけねぇ。とっとと殺してやる。覚悟しておけ」


 シンシアの訴えはきっぱり無視された。ちらとも見ない。デビーの殺意が向いているのはノイムだけだ。当然である。彼からすればノイムは、商売の大事な取引先をひとつ潰した上、役人から追われる立場へ落とした恨むべき相手だ。ノイムさえ潰せば、少なくとも、デビーの身がこれ以上に脅かされることはなくなる。

 もちろん子供奴隷の売買なんて職も、その取引先である孤児院も、法に抵触するものだ。すべてはデビーの自業自得なのだが、それが通用するのであれば、ノイムはこんなことになっていない。


 デビーはノイムを殺そうとする。


 この結果は初めからわかっていたことだ。ノイムはもはやなんとも思わなかった。

 だから、シンシアの動揺が余計に際立った。


「……ころす?」


 デビーに殴られたときよりもよほど震えている。血の気が引いた顔は真っ白だった。今にも倒れそうだ。見開かれた瞳が、デビーとノイムの間を落ち着きなく往復した。


「あたしたち、奴隷として売られるんじゃなかったの?」

「おまえはな。そっちのチビは違う。最初から殺すつもりで連れてきてんだよ」

「ノイム、わかってたの?」


 もちろんだ。ずっと前からわかっていた。シンシアと出会う前からずっとである。

 だからノイムは、とびきりの笑顔をデビーに向けた。


「やってみなよ。絶対に生き残ってやる」

「口の減らねえガキだ。後悔しても知らんぞ」

「言ってろ」


 村人の前で丸めこまれたときの敗北感など吹き飛んでしまった。


 どれだけ脅してもノイムが怯まないと察したのだろう。デビーは荷台の床板に唾を吐いた。怒りの矛先を変えることにしたらしい。

 彼は御者台に座るヒルバールを怒鳴りつけた。


「なにをぼうっとしてる! とっとと出せ、のろまめ。聞いてんのか、おいっ」


 ようやく荷馬車が走りだした。

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