5.記憶、整理する
かつてノイムは、現代日本で女子高生というものをやっていた。
部活には入らずにバイトで小銭を稼ぎ、友達と遊び、ときどき真面目に勉強をやる。制服のブレザーはごく自然に着崩して、担任にはたまに敬語を抜いて話しかけ、委員会決めでは積極的に希望を述べ、体育祭ではそれなりの活躍を見せた。
文化祭で割り当てられた役割をきっかけにクラスの男子と仲良くなり、お付き合いをしたこともある。のちに他校の女子と二股をかけられていたことが判明したので、フルスイングで平手打ちをお見舞いして別れた。
苦い恋の経験だって、青春のひとつだ。ノイムはおおむね順風満帆の高校生活を送っていた。
すべてがひっくり返ったのは、高校二年の秋。
修学旅行を控えた十月の初めのことだった。
ノイムはあっけなく命を落とした。
我ながら最悪の死に様だったと、何度思い返しても断言できる。
不審者に襲われた。バイトの帰りに近道をしようと土手を歩いていたときだ。抵抗して揉め合ううちに、足を踏み外して土手から転がり落ちたのである。
よりによって、石造りの階段がある場所で。
何度も頭を打ちつけて、かなり痛い思いをした。首からも嫌な音が聞こえた気がする。最後は体が動かなかったので、たぶん大事な神経のどこかをやってしまったのだろう。
逃げていく不審者の影を黙って見送りながら、ひたひたと迫りくる死を待って――いつの間にか、見知らぬ場所で大の字になって空を見上げていた。
バイト帰りの服、そのままの格好だった。
まる一日をかけてあたりを歩き回り、小さな村を見つけて保護してもらった。最初はずいぶん警戒されたのだが、とある事件をきっかけに、勇者の素質があると判明してからは待遇が良くなった。
代わりに、勇者として魔王討伐の旅に出ることを求められた。
そこで、十年以上前に勇者として見出され、道半ばで行方不明になってしまった青年がいることを知る。勇者になるのは嫌だったが、代理として彼の剣を預かるだけなら構わないと思った。
ノイムは代理勇者として、失踪した勇者を捜す旅に出る。
よその国から流れて、辺境の村に住みついていた拳闘士が旅のお供を申し出てくれた。
善良な性格につけこまれて破滅寸前だった聖女を拾った。
東の島国で出会った気難しい剣士を勧誘した。
魔法がすべての国で崇められていた魔導士がいつの間にか傍にいた。
死にかけたノイムを捨て身で助けてくれた長命種の青年が――ラヴィアスが、皆の背中を守ってくれた。
いつの間にか大所帯となった代理勇者一行は、それから三年ほど旅をして。
ノイムが二十歳を迎える直前のことである。
行方をくらませた青年勇者を見つけることは叶わないまま、ノイムたちは魔王城へとたどり着いてしまった。そこまできたら、あとは腹をくくるだけだった。
万全の準備とともに、ルアキュリアの空にぽっかりと浮かぶ真っ黒い城に挑んだ。
ノイムたちは最上階の玉座の間にたどり着いた。
玉座は空っぽだった。
ノイムのうしろから、ラヴィアスが歩み出た。
彼は玉座に座った。
彼こそが、魔王その人だった。
ノイムはラヴィアスに殺された。
そして――。
転生した。今度は赤子として。かつてノイムと仲間たちが旅をした大地に。
女子高生だったノイムが転生した時期から、ゆうに十五年の時を遡って。
赤子のノイムは、数年後の未来を想像するだけで精いっぱいだ。なにしろ、捨て子のノイムが拾われたのは、子供を奴隷として売り払う悪徳孤児院である。自分が売られる前に逃げ出さなければ、今後の人生がほぼ確実に詰んでしまう。
孤児院から逃げる、それより先の未来は、まだ想像できない。
でも、ひとつだけ言えることがある。
ノイムはもう、代理だろうと、勇者にだけは絶対にならない。
▽ ▽ ▼
自分の泣き声で目が覚めた。
走馬灯のような、最悪の夢を見てしまったせいだ。ここ最近はことあるごとに泣いているので、いい加減にノイムも疲れてしまった。落ち着かせるようにノイムの胸を叩いていたアリサの手のリズムに合わせて、必死で己をなだめる。
(よし……よし、コントロールできるようになってきたぞ)
赤子としての経験が半年、かつ、肉体年齢がもうすぐ一歳ともなると、自分のご機嫌取りなんてのはお手のものである。
たとえば、以前に一度だけ食事で出た新鮮なフルーツ。甘い果汁が口のなかいっぱいに広がるさまを思い浮かべれば一発である。この方法だと、甘味が恋しくてぐずらないように注意する必要があるが。
(思わず人生を振り返っちゃうような夢を見たのは、やっぱり、この間院長が言ってたうわさのせいだよなぁ)
勇者一行が失踪した。
もっとも、まだ確実な情報ではない。勇者が姿を消したらしい、という話が、町の隅でちらほらと呟かれるようになっただけだ。出先でうわさを持ち帰った院長も、「知らない者のほうが多いし、信憑性は薄いが……真実だったら、どれほど嬉しいことか」とぼやいていた。喜ぶんじゃない、と激情したノイムが暴れたのはご愛敬である。
子供たちの相手をしているアリサの腕のなかでお昼寝をしたのもまずかったかもしれない。この女も院長とぐるなのだ。その腕に抱かれたまま眠ったりしたら、悪夢を見るのは当たり前だった。
「ごめんくださーい、郵便でーす!」
前室の向こう、扉の外からはつらつとした声が届いた。
このあたり一帯で手紙や荷物の配達を請け負っている配達屋である。声のとおり、明るい好青年だ。知らず知らずのうちに犯罪に加担させられていて可哀想だとノイムは常々思っていた。
配達屋が運ぶもののなかには、この孤児院を含め、後ろ暗い事情を持つ者たちが充てた手紙や荷物が少なからず含まれている。こんな町での商売だ。彼だって「もしかしたらやばい手紙運ばされてるのかもな」くらいは察しているに違いない。手紙の具体的な内容さえ知らなければ、犯罪に巻き込まれていても「知らなかったんです」である程度は許されるから、配達屋もいくらか落ち着いてこの仕事を続けているようだった。
だからノイムが成長した暁には、彼が孤児院に運んでいる手紙がいったい何なのかを教えてあげようと考えている。「孤児院充ての手紙は子供奴隷の取り引きの話」だと言ってしまえば、黒も黒、真っ黒だ。知ってしまえば配達屋も平然と配達することはできない。配達拒否をしてくれることだろう。
「いい子にしてるのよ」
「あい! いす! る!」
ノイムは元気よく手を挙げて答えた。
やっと舌が回り、単語で意思の疎通を図ることもできるようになってきた。つたないとはいえ、言葉を話せる喜びはなにものにも代えがたい。精神年齢が成熟していても赤子として早熟とは限らないのが辛いところだが、我慢を強いられるのは今だけだ。もっと大きくなったら、思う存分しゃべりまくって院長やアリサを困らせてやる。
「みんな、この子を見ててくれるかしら」
はーい! と元気のよい返事が四方から上がる。笑顔で頷いたアリサの手によって、ノイムは椅子の上に下ろされた。すかさず子供たちが周りを固める。
「うごいちゃだめだよ! おちちゃうからね」
「うあい!」
「いいこだねー」
ノイムは子供らしい乱雑さで頭を撫でてくる彼らをあしらいながら、扉へ向かうアリサを見た。
開かれた扉の向こうで、アリサと配達屋が朗らかに挨拶を交わす。配達屋の表情になんだか覇気がないように見えた。顔……だけではない。服のボタンが飛んだり、裾がほつれていたり、散々な格好である。
「はい、こちらの院長にお手紙です」
「どうもありがとう。あの……どうかしたの? ずいぶんくたびれているようですけれど」
「それがですね」
配達屋が斜め掛けにした鞄の蓋を開けた。
まあ、とアリサが驚く声が聞こえた。ノイムのところからは見えない。しかし、アリサが何に驚いたのかはすぐにわかった。
配達屋が鞄を逆さまにして振ったからである。
「本当はまだまだあったんですけど、ひったくられちゃって」
ぱらぱらと散ったのはわずかな紙くずばかりだった。手紙は一通も入っていない。
「なんとか鞄を取り戻したところまではよかったんです。でも、肝心の手紙がね……こちらにお届けする一通しか確保できなかった次第でして」
後ろ暗い内容の手紙を奪って、送り主や受け取り人に「この手紙の内容、しかるべき役所にばら撒くぞ」と脅しをかける事件は、このあたりではままあることだ。しかし、そういう手紙泥棒というのは、大抵が深夜、集荷した手紙を狙って配達屋の自宅に忍び込むのが常だった。
白昼堂々往来でひったくりとはずいぶん派手にやったものである。
「こんな昼間に?」
アリサも同様の感想を抱いたらしい。
「勇者サマが失踪したとかなんとかで、今は町中が騒がしいですからね。こそ泥たちがつけ上がっているんですよ」
力なく頷いた配達屋の、乾いた笑いが孤児院の前に響いた。




