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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
三章 代理勇者の家族
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53.判断、遅く

 ノイムがトパ孤児院でおとなしく過ごしているのは、ひとり立ちができないからである。カデルの捜索だって、ノイムの手には余るからラヴィアスに頼んだ。自分だけでどうにかできる問題であれば、とっくに街を飛びだして港に向かっている。


 旅をするには、ノイムの体は幼すぎた。

 ひとりで生きていく術も力もない。おとなの保護下を抜ければろくな未来は待っていない。よくてデビーのような輩に捕まって奴隷落ち、悪ければ金も食料も手に入らずに餓死である。


 だからノイムはここにいる。

 決して、トパの街に根を下ろして一生を終えるためではない。


(シシーと友達になったこと、後悔してるわけじゃないけど)


 ここまで深く関わるはずではなかったのは本当だ。


 たとえばノイムが、モニカと最初から最後まで良好な関係を築くことができていたら、シンシアがノイムの唯一の友人として孤児院に足繫く通うことにもならなかっただろう。モニカの居場所が義母に暴かれず、刺客が孤児院に忍びこむことがなければ。ツィリルがモニカを殺さなければ。同じように、彼がノイムの命をも狙わなければ。

 ノイムとシンシアの関係は、もっと浅いところで終わっていた。シンシアの家に泊まり、それが当たり前になって、高じて家族としての未来を考えさせることにはならなかった。


 ノイムは深く入り込みすぎたのである。


(失踪した勇者を捜しに行く……これだけは譲っちゃいけない)


 ノイムの人生を左右する大事な目標は、今でも変わらない。

 そしてそれは、ひとところに留まったままで成し遂げることは不可能だ。ひとつの家庭に迎え入れられるのは、今後を考えれば、ノイムにとっては足枷にしかならない。


(シシーの家族には)


 なれない。そのときが来たらはっきり断るべきだ。


(それは、わかってるんだけど……)


 どうしても迷いが生じてしまう。思い切って斬り捨てることができない自分に嫌気がさす。ノイムは長いため息を吐き出した。


 朝日に照り映える赤い石畳が吐いた息を受けとめる。

 休息日の朝だった。


 ノイムは変わらず孤児院の皆の一番うしろについて、つかず離れずの距離を歩いている。


 前方からくすくすと笑う声が届いた。視線を持ち上げれば、前を歩く子供たちがノイムを振り返りながら顔を寄せ合っていた。隣の部屋の少女たちだ。なにを話しているのかは知らないが、ノイムが聞いて楽しいものでないことはたしかだった。ノイムに良くしてくれていた最初のころに比べて、ずいぶん態度が変わったものである。


 教会の青い三角屋根が見えてきた。

 子供に欠けがないか、職員が目を走らせる。はぐれがちなノイムがいないと判明するのもたいていがこのタイミングだが、今日のノイムはしっかり孤児院の列の最後尾についていた。


 忌々しい勇者捜しの立て看板の横を抜け、見慣れた礼拝堂へと進む。あたりにさざめくのは小さな祈りの声。チャーチチェアに座って静かに目を閉じている人々には、見慣れた顔もある。トパ孤児院の者と同じように、毎週欠かさず教会に通っている街の人間である。


 ノイムの目を引いたのは、ハヴェルナの像の前に跪いて特に熱心に祈っている男だ。毛量の多い緑の髪に、くたびれた服。彼もまた、ノイムが見慣れている者のひとりだった。

 トパ孤児院の者が座ったところで、ちょうど、緑髪の男の祈りは終わったようである。立ち上がると、彼のひょろりとした体躯がよく目立つ。


 男はいつぞやのように、通路側に座ったノイムの横を通り過ぎた。


「やあ、ノイム」


 頭上に落とされた挨拶に、ノイムはチャーチチェアから跳びあがった。慌てて振り返ったが、男はなにごともなかったかのように去っていく。


「ノイム、どうしたんだい。きちんと座りなさい」


 院長に言われたノイムは、ゆっくりと座り直した。心臓があり得ない速さで鼓動を打っている。皆に合わせて祈りの姿勢に入ったが、院長の祈りの言葉など微塵も耳に入ってこない。


 ノイムの耳にあるのは、先ほどの緑髪の男の声だけだ。


(あれ、初めて聞いた声じゃない……しかも、私の名前を)


 額にいやな汗がにじむ。

 ノイムの脳内では、記憶のページが次々とめくられていた。

 どんよりと雲に沈んだ夜空、バケツをひっくり返したような豪雨。窓から入ってきたふたり組の刺客。大男のほうは捕らえたが、もうひとりのひょろ長い男は。


『おかしなかたちだけど、僕らの目的は達成された。これで失礼するよ』


 モニカが殺されたことに動揺しているノイムの横で、堂々と逃げていった。


(あのときの声だ、あいつだ!)


 背格好も、顔の上半分を覆う厚い前髪も、思い返せばまったく同じだ。どうしてあの晩に気づかなかったのだろう。


(でも、私が最初にあいつを見たのは――)


 ノイムが初めてトパの街の教会を訪れた日だった。

 モニカが孤児院に来るよりも前、彼女の居場所をモニカの義母に知られるより前、モニカを狙った刺客が送り込まれる前である。時系列がおかしくはないだろうか。


(それとも、単純に)


 あの緑髪の男はもともとトパの街を拠点とする暗殺者で、モニカの義母から依頼を受けてモニカを狙ったのだろうか。これなら辻褄は合う。

 しかしノイムの頭のなかでガンガン響く警鐘は一向に鳴り止まない。


 なにか大事なことを失念している気がする。だってあの男はわざわざノイムの名前を呼んだ。彼には今、モニカ殺しの容疑がかけられている。自分の存在をひけらかすのは、彼の身を危険にさらす行為だ。


 そこに意味がないとは思えない。


 祈りの時間が終わると、ノイムは逸る足をなだめながら、慎重に教会から出た。緑髪の男が外で待っているのではないかと思ったからである。


 予想に反して、教会の外に見知った顔はいなかった。

 見える範囲にいるのは、祈りに来たトパの街の住民ばかりだ。ひとりが教会に入っていき、かと思えば親子らしきふたりが出てきてノイムを抜かしていく。通りに面する位置に立てられた勇者捜しの看板の横で足を揃え、ノイムはせわしなく視線を走らせた。


 怪しい気配はない。先ほどの男はとっくにいなくなったようである。


(……なんだったんだ?)


 腑に落ちない気持ち悪さが胸に残る。

 しかし、いないのではどうしようもない。いつものようにシンシアと合流して、彼女の家にお邪魔するしかないだろう。肩の力を抜いたノイムは、もう一度ぐるりとあたりを見回して目を瞬いた。


「あら、今日はシンシアちゃん、来ていないのね」


 ノイムの疑問はヘラが代弁してくれた。


 いつもなら、通りの向かいにシンシアが立っている。彼女がノイムよりあとに教会に着いたことはない。ノイムが孤児院の皆と一緒になって外に出てくると、すぐにそれとわかるところで待っていた。

 それが、今日はいない。


 わざわざノイムに己の存在を誇示してから出ていった緑髪の男が、脳裏をよぎった。

 ぞっと、全身の肌が粟立つ。


「シシーの家なら、もう、ひとりで行けるから」


 大丈夫、と言い切る前に、ノイムは駆けだした。

 背後でヘラがなにやら言っていたが、ぜんぶ綺麗に無視した。教会をあっという間に背景にして広場に出る。車輪付きの屋台の隙間に身を滑り込ませ、通行人の脚の横をすり抜け、行商人らしき者の大きな荷物の下をくぐり、可能な限り大股で赤い石畳を蹴った。


 賑やかだった人通りがやや落ち着く。露店が減り、平べったい住宅が増える。南の住宅街を駆け抜け、体が覚えているままに角を曲がり、シャボン玉のような花の色絵が描かれた家の前に立った。


 シンシアの家である。

 激しい息切れに肩を上下させながら、ノイムは玄関を叩いた。


「マーリアさん、マーリアさんっ」


 叫んだつもりだったが、ノイムの喉から出てきたのは空気混じりのかすれた声だ。しかし、家のなかで反応があった。がちゃりと扉が開かれる。


「あれ、ノイム?」


 出てきたのはシンシアだった。


「……あれ? シシー?」


 腰が抜けた。

 ぺたっと家の前に尻をつけ、ノイムは口を開けて呆然とする。


(て、てっきり、あの男がシシーになにかしたかと)


 思っていたのだが、拍子抜けである。


「どうしたの、汗だくだよ。まさか走ってきたの? ひとり?」


 シンシアに引っ張り立たされながら、ノイムはなんとか頷いた。


「シシーが教会にいなかったから、なにかあったんじゃないかと思って……」

「今日はね、父さんがノイムとお話ししたいって言うから、父さんに迎えに行かせたんだけど」

「イゴルさん? 会ってない……」


 教会の前に知り合いはいなかった。いつもの癖でシンシアばかり捜してしまったが、イゴルだって彼女と同じ真っ赤な髪をしている。あの場にいれば、いやでも目を引いた。ノイムが気づかなかったわけではないだろう。イゴルは教会に来ていない。


「入れ違っちゃったんじゃない?」


 奥からマーリアが出てきた。「ほら、いくら朝でも、夏真っ盛りで暑いでしょ? イーくんの体によくないから、日陰を選んでゆっくり行きなさいって言ったの。孤児院のお祈りが終わる前に教会に着けなかったのね」と笑みこぼす彼女に、ノイムはいよいよ気が抜けた。


「……おとなしく待ってればよかったってこと?」

「せっかちさんだね」

「シシー、なんでちょっと嬉しそうなの」


 口を尖らせれば、シンシアはマーリアそっくりの表情で笑った。


「母さん、もっかいふたりで教会に行ってくる。前みたいに、父さんが血相変えて『ノイムちゃんがいないんだ!』って走ってくる前に掴まえなきゃ」


 ノイムは初めてシンシアの家に来たときのことを思いだした。あのとき、教会から家まで走ってきたらしいイゴルは、帰るなりばったり倒れて熱を出したのである。結局彼は、あれから一週間寝込んだ。

 二の舞は避けたいところである。


「い、行ってきます……」


 若干の気まずさと羞恥を抱えながら、ノイムはシンシアと手を繋いで、来た道を引き返した。全力疾走してきたせいで、息はまだ上がっていた。


「それにしても、イゴルさん、私と話したいって……なんの話だったんだろう?」

「わかんないけど、あたしも一緒に行くって言ったらすごい勢いで止められたよ。ノイム、あたしになにか隠しごとしてる?」

「してないよ。ぜんぜん身に覚えもない」

「ふうん。じゃ、なんだろうねえ」


 住宅街を抜け、目抜き通りを真っすぐ行き、広場で横道に入る。そうして戻ってきた教会の前では、ノイムが出てきたときよりも人通りが増えていた。


「父さん、いないね」

「いないねえ」


 べらぼうに目立つはずのイゴルの赤髪はどこにも見えない。ノイムとシンシアは顔を見合わせた。


「近くでばててるのかな」

「捜してみようか」


 通りすがる人に何度か聞いてみたが、目撃情報はない。人が倒れたという話も聞かない。ふたりは教会を中心に近辺をあちこち歩き回ってみたが、やっぱりイゴルは見つからなかった。

 そのころになると、ノイムは緑髪の男を見たときの緊張を取り戻していた。


「また入れ違っちゃったかな。もっかい帰ってみる?」


 シンシアに手を引かれながら、ノイムは自分のつま先を見つめる。かたちのない焦りが腹の内で渦を巻き始めていた。

 いやな予感がする。


(……まさか)


 その日、ノイムがシンシアの家にいる間に、イゴルは帰ってこなかった。

 自宅と教会の間、歩いてほんの十分かそこらの距離で、彼は忽然と姿を消してしまったのである。

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