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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
二章 代理勇者の交流
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46.刺突、ひとり

 降りしきる雨はいつの間にか弱まり、霧のようにあたりを漂っていた。


「モニカがまだ井戸のなかにいるの」

「わかった」


 アーサーが頷いて、井戸に向かった。先ほどノイムを引き上げ損ねた水汲みバケツはまだ井戸のなかだったが、そこに括りつけられた縄の端は、辛うじて井戸の外に残っていた。


「モニカ、今から君を引き上げるよ。しっかり掴まっていて」


 ノイムのところからではモニカの返事は聞こえなかった。ただ、アーサーが彼女を引っ張り上げる体勢に入ったので、大丈夫だろう。


「シンシア、動ける?」

「うん、大丈夫だよ」


 ノイムはシンシアに肩を貸しながら立ち上がった。


「そしたら、戻ってみんなを起こしてきてほしい。この人たちどうにかしなきゃ」


 背後に転がる大小ふたりの刺客を見やる。大柄なほうは完全に白目を剥いていた。当分起きないだろう。ナイフを持ち出してノイムを刺そうとした細身のほうも倒れたままだ。アーサーが当て身ついでに意識も刈り取ったのだろうか。


 元気のよい返事とともに走っていったシンシアを見送り、ノイムは大柄な男の黒マントを引っ張った。

 彼が今すぐ目を覚まさないとも限らない。身動きできないように手足を縛っておく必要がある。剥がしたマントでまず足を縛った。続いて手だが、服の袖を力任せに引っ張って伸ばしたのち、体のうしろで固結びしておく。一旦はこれでいいだろう。


「アーサーさんっ」


 モニカの声が聞こえた。

 無事救出されたらしい。見れば、アーサーに勢いよく抱きついている。勢いが良すぎて、アーサーが尻餅をついていた。胸の内に安堵が広がり、思わず笑みこぼれる。


(さて、もうひとりのほうも縛っておいて――あれ?)


 ひょろ長い刺客のマントを剥いだところで、ノイムは首を傾げた。彼が持っていたはずのものがない。


(ナイフどこいった?)


 アーサーが体当たりした拍子に遠くに飛んでいったのか。あとで捜さなければならない。



 鈍い音が耳に届いた。

 肉を突くような音だった。



 間違えようがない。前世で何度も聞いた。命を絶つときのものだ。それは野生の獣だったり、魔獣だったり、ときには人だったりした。

 足元を見る。細身の刺客は動いていない。振り返る。大柄な刺客も動いていない。


 じゃあ、今のはなんだ。

 静寂がノイムの胸のあたりを貫いた。



「アーサーさ、ん?」



 モニカのささやきが。


 ごぽ、と血を吐いた音も。



 動揺で高まり始める心臓の音を押さえつけながら、ノイムは視線を持ち上げた。

 地面に腰を落としたアーサー。彼にすがりつくモニカ。


「……なにしてんの、アーサー」


 モニカの背からは、刺客が持っていたはずのナイフが生えている。

 柄を握っているのは、アーサーだった。


「見たとおりだよ」


 彼は握っていたナイフを力任せに引き抜き、放った。


 モニカの体から大量の血があふれ出す。

 咄嗟に駆け寄ろうとしたノイムは、足をもつれさせた。体がいうことをきかない。結局、歩くよりもはるかに遅い足運びで、ふたりのもとにたどり着く。


 間に合わない。

 それはも明白だった。


「どうして」


 見下ろしたアーサーは薄く笑っている。いつもと変わらぬ、やわらかな微笑だった。どこか清々しささえ感じられた。

 かっと頭に血が昇り、ノイムは彼を突き飛ばした。


「なんでこんなことッ」


 驚くほどあっさり、彼はモニカを手放す。


 モニカの体が前のめりに倒れた。

 ノイムは慌てて両腕を伸ばし、彼女を受けとめる。鉄さびの匂いがつんと鼻を突いた。寝間着が真っ黒に濡れている。雨露を含んでたわんでいた芝生も黒く染まっている。


 ぜんぶ血だ。


 刃渡りの長いナイフはモニカの薄い体を貫いたらしい。腹にも傷が見えた。心臓も肺も、大事なものをすべて貫く角度で刺されたのだ。背中も腹も、傷口からは絶えず命がこぼれ落ちていく。手で押さえてもただ、ぬるりとしたものが指の間を伝って、手首を過ぎ、肘から滴るだけだった。


 ノイムの寝間着も、あっという間にどす黒く濡れた。


「も、もにか」


 ノイムの口から吐かれた声はかすれていた。喉が干上がってしまったみたいだった。震える腕にどうにか力を込め、血濡れた少女の体を上向かせる。


「もにか」


 モニカはこと切れていた。


 気の強そうな目は、驚きに見開かれている。長く井戸水に浸かっていたせいで冷え切って、色を失った唇は、困惑を表すように半開きになっていた。


 見ていられなかった。

 だからノイムは、きっ、とアーサーを睨んだ。


「どうして刺したの」

「弟に似ていたんだ」


 よどみなく紡がれた答えは、依然、彼から聞いたことのある内容だった。


「わからない、という顔をしているね」


 もう少し詳しく教えてあげよう、とアーサーが続ける。


「俺がどうしてトパ孤児院に来たのかは知っているね?」


 アーサーは貴族の出身だった。

 嫡男か次男以降かは知らないが、とにかく家督争いに巻き込まれて殺されそうになった。そこで母親の手で家から逃がされ、トパ孤児院に留まることになったのだ。もちろん知っている。


「本来であれば、次の当主になるのは俺だったんだ。家を継ぐ意識を持って勉学に励んでいたし、結果も出していた。だから周囲からはそれなりに期待されていた。でも、ひとつ下の弟がね」


 彼はそこで言葉を切ったが、ノイムはなにも言わなかった。さっさと話せとばかりに睨みつける。


「たったひとつしか年の違わぬ兄が、無条件で次期当主に決まるのはいただけないと、駄々をこねたんだよ。年ではなく、能力で決めろとね」


 アーサーは、相変わらず微笑みを絶やさない。


「ではその能力を示して、より優秀なほうを後継者にしようということになった。その点については、俺も異議はなかったよ。弟もずいぶん努力をしていたのだろう、それなら不満を抱くのは最もだとも思ったから」


 ここでいっそう、その笑みが深まる。


「武芸も、勉学も、どちらにおいても、彼は俺に遠く及ばなかった。どころか、ひどいものだったよ。弟は本当に、ただのわがままで俺の地位を羨み、妬み、不平等だ理不尽だとわめいていたんだ」


 悪知恵ばかり働く弟は、アーサーの命をあの手この手で狙い、アーサーの身に危険が及ぶことが増えた。

 あとはノイムの知っているとおりだった。


「モニカを見たときに、弟のことを思いだしたんだ。自分が世界の中心にいると思っている。口ばかり大きくて、気に入らないものは排除しようとする。ノイム、君は隠していたみたいだが、危うく死んでしまうような嫌がらせもされたのだろう?」

「弟に似ていて、好ましくない。でも自分に懐いてくるから、相手をしなきゃいけない。それにうんざりした。だから殺したの」


 前回とは真逆の質問だった。ノイムは以前「弟みたいで可愛いから、モニカのわがままも気にならないのか」と尋ねたのだ。


 アーサーは肩をすくめた。


「ああ、その解釈で間違っていないよ」

「あんたの弟と、モニカは違う」

「俺にとってはそう違わない。及ぶわけがないのにしつこく絡んでくるところなどは、特にね」

「ふっざけんな!!」


 ノイムがアーサーに飛びかからなかったのは、モニカの遺体が膝の上に乗っていたからだ。モニカがいなければ、胸倉を引っ掴んで、押し倒し、顔が腫れるまで殴りつけていた。


 モニカの寝間着を握った手が、激しく震えた。力を込めすぎて関節が白くなっている。


「あっけないものだ……俺は、逃げる必要なんてなかったのかもしれないな」


 ひとりごちるアーサーに、目の前が真っ赤になる。

 思わず、モニカを刺したナイフを目で探した。あった。届く範囲に転がっている。

 しかし腕を伸ばしたところで、別の手がナイフをかっさらっていった。


「どうやら、彼は味方じゃなかったみたいだね」


 どきりとした。

 気づけばひょろ長いほうの刺客が立ち上がって、ノイムをあざ笑うように見下ろしている。その手のひらで、血のりのついたナイフをもてあそぶ。厚い前髪の隙間から、瞳孔が縦に伸びた瞳が覗いていた。


「おかしなかたちだけど、僕らの目的は達成された。これで失礼するよ」

「あんた……っ」


 ノイムがかすれた声を出すと、刺客は身を翻して駆け去った。大柄な相棒は置き去りに、孤児院の敷地をぐるりと囲む柵を跳び越え、夜の街へと溶けていく。

 ノイムはその様子を、ただ呆然と見送った。


「さて、と」


 アーサーが立ち上がる気配がした。はっと我に返ったノイムは、鋭い声でそれを咎める。


「どこ行くつもり」

「都合のいいことに、彼が凶器を持っていってくれたからね。俺たちの力及ばず、モニカは殺されてしまったのだと、報告に行くんだよ」

「ふん、それが通用すると思う? あんたが殺したんだって言いふらしてやる」

「その台詞、そっくりそのまま返そう」


 君の言い分が通用すると思うかい、とアーサーは静かに問うた。


「シンシアさんはいない。刺客はひとり、モニカを刺したナイフを持って逃げた。もうひとりはあのとおり、気を失っている」

「でも、私が目撃した」

「君はモニカと一緒に攫われていただろう。ノイムは気が動転していたんだ、と俺が言うよ」


 雨や井戸水に濡れたノイムの体に、いやな汗が滲んだ。


「孤児院のみんなは、君と俺、どちらの言い分を信じるかな」


 アーサーは、ふ、と吐息を漏らした。


 悔しいが、彼の言うとおりだった。

 アーサーの言と比べてしまえば、ノイムの言葉なんて説得力は皆無だ。アーサーのほうがずっと、ここでの暮らしが長く皆に信頼されている。さらに彼は、この上なく優しい『みんなのお兄さん』である。ノイムがいくら訴えたところで、「アーサーが人殺しなんてするわけない」と一笑に付され、逆にノイムはショックでおかしくなっているのだと哀れまれるだろう。あまり言いすぎれば、いい加減にしろと叱られる。


「……あんた、名前は」

「どうしたんだ、急に」

「アーサーってどうせ、偽名でしょ。本名はなに」

「それを知ってどうする」

「いいから教えろッ」


 仕方ないなとばかりに、アーサーがため息をついた。


「ツィリル。ツィリル・バルターク」


 短く答えて、アーサーは……ツィリルは、ぽつりぽつりと灯りのつき始めた孤児院に戻っていった。彼の背中に向かって、ノイムは、いま出せる精いっぱいの声で怒鳴る。


「絶対に許さないから。いつか殺してやる」


 罪を償わせる、なんて甘いことは考えない。

 必ず殺す、とノイムはもう一度、言い切った。

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