42.雨、止まず
大粒の雨が窓をやかましくノックしている。
「やまないね」
「止まないねえ」
ノイムとシンシアは、ベッドに並んで腰を下ろして外を見つめていた。
トパの街は灰に沈んでいる。いつもは鮮やかに目視できる家々の屋根が、今日に限っては陽炎よりもかすむ。これでは外出している人間なんていないだろうと確信できる豪雨である。
まだ空が雨粒を落とす前に孤児院に差し入れを持ってきたシンシアは、完全に立ち往生していた。壁の時刻晶からすると、すでに帰宅していてもいい頃合いだ。しかし外がこれでは、帰るに帰れない。
せめてこの雨が弱まるまでは待とうということで、こうして部屋で座っているわけだが、天気はよくなるどころか悪化する一方である。
「困っちゃうね……職員に送ってもらう?」
「それしかないのかな」
会話も途切れ途切れだった。
先日のモニカと彼女の父親の一件を話して聞かせたばかりなのだ。沈んだ空模様も助長して、ふたりの間に漂うのはほの暗い空気だった。
ばたん、と部屋の扉が叩き開けられたのは、そのときである。
「帰る必要がなくなったわ」
モニカが仁王立ちしている。
「うちに泊まっていらっしゃいって、ヘラが言ってたの。喜びなさいよ、シンシア」
「あなたから言われると、ありがたみが薄れるなあ」
「なんですって!」
どうどう、とノイムは両者をなだめた。
ノイムの側に立っているシンシアは、モニカを敵視している。モニカと距離を置いている間は放っておいてもよかったのだが、彼女からの嫌がらせが終わり、以前よりも多少会話が増えた今では、そうもいかなくなったわけだ。シンシアに洗いざらいを打ち明けたノイムの責任もある。
「あたし、モニカのこと許してないんだからね」
「それ私の台詞……」
「ハッ、あなたなんかに許してもらわなくて結構よ。謝る気もないし。びびってやられっぱなしだったノイムが悪いのだわ」
ノイムはぴくりと眉を持ち上げた。腑抜け扱いはいただけない。
「別にびびってたわけじゃなくて、私が私なりにモニカを気遣った結果なんだけど」
「頼んだ覚えはないわ」
「頼まれた覚えもないね。でも、アーサーとか、みんなに嫌われるのはいやでしょ?」
「とんだお人好しだわ。不愉快きわまりないわね」
「……今からでも職員に告げ口してやろうか」
「好きになさいよ。わたしのほうがみんなに信頼されているの。あなたの言葉なんて信じてもらえるかしら」
「なにをう!」
気づけばノイムは立ち上がり、モニカと額をくっつけて睨み合っていた。
「お、落ち着きなよふたりとも……」
いつの間にか、シンシアがなだめる側に回っている。彼女はノイムの腰に両腕を回して、力任せに引っ張った。腕組みをしたノイムは、ずるずると引きずられながら後退する。
押しつけていた額が赤くなっていた。モニカも同様である。
「とにかく、シンシア。今日はこの部屋で寝なさい。ノイムはベッドの準備をしてやりなさいね」
「言われなくてもするしっ。仲間に混ぜてほしいって言われても断るからね!」
「誰がそんなこと言うものですか」
べ、と互いに舌を突き出した。
ノイムいじめをやめてからというもの、モニカはちょっと変わった。
彼女に向かって「可哀想だね」「大変だったね」「これからいいことあるよ」と笑いかける子供たちよりも、問題をその目でたしかめたノイムのほうが、モニカの境遇を正しく理解し、寄り添った態度を取っていると気づいた……と考えるのは自惚れかもしれないが、少なくとも、モニカの素はノイムと顔を突き合わせているときの顔である。
ほかの子ではそうはならないのに、ノイムがモニカに向かって哀れむ素振りを見せると、モニカは顔を真っ赤にして怒るようになったのだ。当初の態度からすれば大変に矛盾した行動ではあるが、こっちのほうがはるかに好感が持てる。
さらにいえば可愛げも出てきた。
「ノイム、もうちょっと広げられる?」
「私の腕は短いので、きびしい」
「頑張ってくれないとシーツが被さらないよ」
「うー、んっ」
たとえばこうして、ノイムとシンシアが楽しくベッドメイクをしているときなどは。
やらないと宣言したモニカはただ黙ってふたりの様子を見つめているわけだが、その立ち姿が、少しずつ落ち着きを失っていく。そわそわした様子でつま先を擦り、両手の指をつつき合わせて、話しかけようか話しかけまいか迷ったように唇を開くのである。
ノイムがにやにやしながらモニカを見れば、彼女はその頬をさっと朱に染める。
「……て、手伝ってあげなくもない、わ」
「んー、聞こえないなあ?」
「手伝わせてちょうだいっ。ほら、ノイム、代わりなさいよ!」
という具合である。これが面白いやら可愛いやらで、ここ数日、ノイムはモニカをからかう種を探すのに夢中だった。
ノイムよりも年上で、上背もあるシンシアとモニカは、てきぱきとベッドの用意を済ませた。
ちびのノイムがやるよりもはるかに手際がいい。任せて正解である。
夕食の時間には、三人並んで座った。ノイムを挟んで両脇にモニカとシンシアである。
この日着ていた服の色合いがたまたま似通っていたので、モニカの反対隣にいたアーサーから「姉妹みたいだね」と言われてしまった。モニカとシンシアが同時に顔をしかめたせいで、ノイムはうっかり口に含んだスープを噴き出すところだった。
雨は相変わらず、トパの街を呑み込んで振り続けている。
しかし外の景色を染める不穏な灰色も、窓ガラスを叩く雨粒も、がたがたと揺れる窓枠も、かしましい少女たちの前では無力だった。
寝る支度まで終えて部屋に戻る。普段、ノイムとモニカの間に余計な言葉は交わされないので、自室も静かなものなのだが、今日ばかりは違った。
シンシアが笑顔でしゃべり倒すからである。ノイムがシンシアのおしゃべりを手助けするような相槌を打つからなおさらだった。モニカも鬱陶しそうにしながら、やはり仲間はずれにされるのはいやなのか、口を挟んでくる。
おかげでときおり会話のドッジボールが始まる。
最初はシンシアとモニカがいがみ合うのだが、彼女たちをなだめていたはずのノイムが途中で熱くなり、ノイムとモニカの戦いに発展する。夕方にも一度やった流れである。
シンシアの手で終息した口喧嘩は、ほんの数分後には忘れ去られた。
少女たちはまた、それなりの秩序を保って雑談にふける。
そうして夜は深まり、ノイムたちにも欠伸が増えてきた。職員が「もう寝なさい」と部屋に回ってくると、とうとう、かけ布にくるまって眠りにつく。
「おやすみー」
「雨、止むといいな」
「止んでくれないと困るわ。シンシアったら、うるさくてかなわないんだもの」
「また言ってる」
言い返す気力は残っていなかった。皆、睡魔に呑まれかけていたのである。
部屋の窓が砕けたのは、土の刻に差しかかったころのことだった。




