3.巻き戻り地点、判明する
代理勇者として過ごした世界に、もう一度転生したらしい。
まさか、ふたたび勇者をやらされるなんてことにはならないだろうか。ノイムの脳裏に、旅した土地と仲間たちの顔――最後にノイムを殺したラヴィアスの無機質な表情が走る。
怒りとも悲しみともつかない感情が渦巻いて、院長を伴ったアリサが食堂に戻る頃には、ノイムは大泣きしていた。
赤子は感情の振り幅が極端だ。そもそも笑うか泣くかの二択しかない。おかげでノイムは、前世を思い出すたびに泣く羽目になる。
勇者たちの視線が、盛大な泣き声と共に戻ってきたアリサと院長、それからノイムに集中する。真っ先に寄ってきたのは、勇者の周りをぴょこぴょこ跳び回っていた双子だった。
「赤ちゃん泣いちゃったー?」
「お洋服濡れてるー?」
色素の薄い髪が、肩の上で跳ね散る。
ふたりとも耳が尖っている。長命種だ。エルフだろうか。
「ほらぁ、お星さまだぞー」
双子は、ミルクの器を置いたテーブルに着席するアリサにくっつきながら、ぴったり揃った動作で、懐から短い杖を取りだした。ノイムに見せつけるように数回振って、先端からきらきらした粉をまき散らす。
「うさぎさんだぞー」
落ちた粉が線を描いて、うさぎのかたちをとった。魔法のうさぎはノイムの周りをぴょんぴょん跳ねて、頭の上で光の粉に戻った。ノイムの小さな頭に、魔法が降りそそぐ。
「きれいきれいしようねー」
こぼれたミルクで湿ったノイムの産着が、すっかり乾いていた。思わずぱたぱたと胸を叩くと、魔法のきらきらが蝶の鱗粉のように舞って空気に溶ける。
ノイムの涙も溶けてなくなっていた。すっかり落ち着いている。
「泣き止んだー」
「やったねー」
双子が交互にノイムの頬をつついた。
静かになった食堂に残されたのは、わずかな緊張をはらんだ院長の声である。
「見捨てられたサニアの国の、さらにこんな辺境まで。勇者様がどうされました?」
「うん、噂を耳にしてね」
(サニアの、辺境の、孤児院)
ああ、思い出した。
先代勇者の足取りを追って、ノイムも訪れたことがある。ノイムたちが来たときも、院長は同じ男だった。だから院長の顔に見覚えがあったのだ。
「噂、ですか」
「ここ数年、他国では子供の奴隷の取り引きが頻繁に交わされるようになった」
院長の眉が、ぴくりと跳ねた。
奴隷自体は、禁じられているわけではない。
そもそもこの世界での奴隷制度というのは、賃金をもらわない代わりに、死ぬまでの衣食住を保証してもらう……極端に言えば、財産も家も身分も持たない極貧の人を救済する雇用形態である。極限まで追い詰められた人が、最後に残った自分という財産に値段をつけて売りこむのだ。
しかし、合法とされる奴隷制度の中でも、扱ってはいけない奴隷がいる。
それが子供の奴隷だ。
奴隷制度は、奴隷自身と、奴隷商や雇用主との対等な契約によって成り立つ。
この奴隷側が子供となると、どうしても相手と対等とはいかなくなる。金のために我が子を売り払う者が出る。金のために子供を攫う者が出る。そうなると、極貧救済という本来の奴隷制度の目的とはズレが生じてしまう。だから禁止されているのだ。
身寄りのない子供や、口減らしに家を出された子供には孤児院がある。孤児院同士にはネットワークがあるから、救いを求めて訪ねていけば、邪険にされることはまずあり得ない。法を破ってまで子供を奴隷にしなければいけない理由はどこにもないのである。
「子供だけを扱う奴隷商まで出る始末でね。さすがに目に余るということで、調べてみたんだ」
「それが我が院と、どのような?」
「取り引きされている子供たちが、身寄りのない者ばかりだった。それに仕入れ先の国も、サニアばかり」
(そうだ……この孤児院は)
奴隷商と通じている。
育てた子供たちを売って経営資金やその他に充てていた、とんでもない孤児院なのである。
摘発したのはノイムだったから、よく覚えている。行方不明の勇者の足取りを追って、この孤児院のことを知り、その裏稼業にも気づいた。だから仲間たちと協力して潰したのだ。
(私が転生したのは未来じゃない、過去だ。勇者がいなくなる前の)
それも、だいぶ嫌な時代、嫌な場所に生まれてしまった。
「まさか、我々が子供たちを売っていると?」
「話が早くて助かる。今すぐにでもやめてくれたら、大事にはしないと誓おう。僕は子供たちを路頭に迷わせるつもりも、未来を潰すつもりもないから」
(ああ、だめ)
そう、この孤児院を潰したのは、ノイムたちだ。
前代の勇者ではない。
彼らが訪れたこの時点では、孤児院はなくならない。
「これは異なことをおっしゃいますな。私が、大事に育てている子供たちを金稼ぎの材料として使っていると? ふざけるなと怒鳴ってやりたいところですが……あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて面白くなってしまいました」
はっはっは、と高らかに響いた院長の笑い声が耳障りだった。
「確信を持って言うからには、なにか証拠をお持ちで?」
勇者が眉根を寄せた。おそらく、証拠は掴んでいない。だからこそ、自分たちだけで正面から責め立てるなんて真似をしている。
(勇者のことも気になるけど……)
何より、自分の人生の先行きが不安だった。
双子にいじくりまわされてもちゃもちゃになっていたノイムは、ふたたびぐずり出す。
「泣かせるな、馬鹿ども」
大男が目の前に立ちはだかった。低い位置でふたつに結んだ長い黒髪が、彼の妙な威圧感を増幅させている。ぎょっとアリサが身をすくませたが、大男は彼女を見ていなかった。ただ手を伸ばして、双子の長い耳を摘む。
「いたーい」
「ちぎれるー」
力はさほどこもっていないのか、双子はただキャッキャッと楽しそうに笑った。
「泣かせてないよー」
「レイモンドの顔のほうが怖いよー」
「泣いちゃうよー」
生憎、ノイムは驚いて泣き止んでいる。ノイムを指した双子の少女の方が「あれぇ?」と可愛らしく首を傾げた。
「また泣き止んだねー」
「ごはんちゃんと食べるんだよー」
手を振りながら引きずられていく双子に、ノイムもちょっとだけ応えた。意味もなくただ手をばたばたさせていたようにしか見えないかもしれないが、一応、手を振り返したつもりだ。
双子を両手に掴んだ大男――レイモンドは、そのまま勇者と院長の間に割って入った。大のおとなふたりが、子供のように小さく見える。
「無理がある。それくらいにしておけ」
頭ふたつほど高い位置から勇者を見下ろして、レイモンドが告げた。
「しかし、レイモンド」
「証拠を集める。それからだ」
レイモンドは、勇者のうしろにいた神官の女にも目を向けた。金糸の睫毛を震わせた彼女は、静かに頷く。
話はまとまったようだ。それも、あまりよくない方向に。
「また来るよ、院長。今度はしっかり、証拠を押さえた上でね」
「次に訪問していただいたときには、子供たちの相手もしてほしいものですな」
のらりくらりと躱す院長に、勇者一行の視線が突き刺さる。
ずいぶん長いこと睨み合っていたような気もしたが、実際はほんの数秒のことだろう。先に踵を返した神官の女を筆頭に、剣呑な空気をまとった勇者たちが次々と食堂に背を向けた。
ノイムはアリサの膝の上で、四肢をじたばたさせる。
「あう!」
待ってほしい。何かの間違いで、私も連れていってくれたりしない? こんなところで育つの嫌なんだけど。
精いっぱい体を伸ばしてみても、勇者たちにノイムの意図が伝わるはずもない。
急に騒ぎ出した赤子に、一度振り返りこそしたものの――勇者はただ手を振るだけで、そのまま孤児院から出て行ってしまった。
「また来るねー」
「ばいばーい」
既に外に出たはずの双子が、顔を出してノイムに構ってくれる。が、それもほんの一瞬のことで、すぐにレイモンドに連れていかれた。
嵐のようだった。
余所者が去った食堂が、やたらと閑散としているように思える。
違う、ノイムの心境が影響している。自分が保護されている場所が、人身売買の温床になっているトンデモ孤児院だと気づいてしまったからだ。
(戦うのも、勇者をやるのも嫌だけど……)
売り払われるのは、もっと嫌だ。
途端に勢いを失くしたノイムの口に、ふたたびミルクの匙があてがわれた。




