38.語らう、少女たち
シンシアは見るからに活発な質だった。よく笑うしよくしゃべる。話はずいぶん弾んで、ノイムは短時間で彼女のことをいろいろ知った。南にある平べったい家々が並ぶ住宅街に住んでいること。母親は家庭教師をしていて、日中、家にはシンシアと父親のふたりきりであること。父は体が弱く寝たきりなことが多いので、家事はもっぱらシンシアの役目であること。
「っていっても、結局父さんに手伝ってもらってるんだけどね」
スープをたっぷり作りすぎて鍋を持ち上げられなかったり、戸棚の皿をうっかり手の届かないところに押し込んでしまったり、そういうことがしょっちゅうあるらしい。父は必ず「シシーは本当にそそっかしいねぇ」と言って、意気揚々と手伝ってくれるという。
「父さんたら、ずっとあたしを見張ってるんだよ。あたしが『あっ』て声を上げた瞬間、ベッドから抜けて来るの。まるで失敗するのを待ち構えてるみたいで」
「待ち構えてるんだろうね……」
話を聞く限りシンシアの父は、手を貸すことに喜びを見出している感じがする。娘を手伝えるのが嬉しいのだろう。失敗するまでなにも言わないあたり、ちょっとひねくれているような気もするが。
シンシアが饒舌なので、ノイムもまた、自身の身の上をぽろりとこぼしていた。すでに一度、モニカにも話して聞かせている。明かすのに抵抗はなかったが、初対面の相手にするには少々酷な内容ばかりである。話題を選んだ上でオブラートに包まないとドン引きされてしまう。
だからもちろん、レオやタランが受けた仕打ちと彼らの救出劇は省いたし、院長とアリサの最期も――これはラヴィアスが人殺しという明確な罪を犯したわけなので、言いたくても言えないのだが――カデルが拉致されたことも省略して、その他の表現もかなり柔らかく変えた。
そういうわけでシンシアには、ほとんど『以前暮らしていた孤児院が、悪い人の経営する施設だったことが判明して、潰れてしまった』としか言えなかったのである。
「じゃあ、ノイムはトパの街に来たばかり?」
「わりと……まだ一か月たってないくらい」
「面白いとこでしょ、ここ」
「街を見るのは楽しい」
孤児院での生活に面白がる余地があるかどうかは甚だ疑問である。
「孤児院は、どう? みんなと仲良くなれた?」
これには咄嗟に答えを返せなかった。口を開けたまま声を失ったように静止したノイムに、シンシアの顔色が変わる。
「ごめん、いやなこと聞いちゃった」
「ううん、いや、ちょっとなんて言えばいいかわからなくて。いやなわけじゃないよ」
みんな良くしてくれたよ、と言おうとして、ふとノイムは思いとどまった。悪戯心といってもいいある種の案が、胸をよぎったのである。
(この子になら、ぜんぶ話しちゃっていいんじゃない?)
シンシアは孤児院とはなんの縁もない普通の子供だ。それも今しがた出会ったばかりの行きずりの相手である。ノイムが孤児院でどんな状況に置かれているかなんて、聞いても困らないのではないか。
ついでにちょっと知恵を借りよう。モニカがおとなしくなってくれればノイムも以前のように子供たちの輪に戻れるが、その肝心の、モニカをおとなしくする術が思いつかない。三人寄れば文殊の知恵ともいう。ここにいるのはふたりだが、とにかく、シンシアならいい案を思いついてくれるかもしれない。
わずかな期待を込めて、モニカと出会ってからのことを話して聞かせたわけだが――。
「なにそれ、ひっどーい!」
「シシー、声、声が大きい」
「だって、ノイム! そのままにしておいちゃだめだよっ、今すぐ職員の人に相談しないと」
高らかに響いたシンシアの非難の声に、ノイムは眉間を押さえた。
うん、ちょっと期待しすぎたかもしれない。年上とはいえ、シンシアだってまだまだ子供である。
(相談ならアーサーにすべきだったな……)
しかし彼を頼るとモニカの逆鱗に触れる可能性が高まる。もともとノイムに道は残されていなかった。
「モニカも最初は好意的だったから、その、誤解をどうにかすれば元どおりになるんじゃないかなって思って」
「好意的っていっても、なんだか偉そうだよ、その子。誤解とやらがなかったとして、ノイムは本当に仲良くなれたの?」
「……うーん」
シンシアの口調からは「あたしは無理」というのがありありと伝わってきたが、ノイムはぐうの音も出ない。たしかにモニカには、当初から自己中心的なところがあった。ノイムは面倒を避けるためにただ唯々諾々と彼女に従っていたわけだが、それもまた、よくなかったのだろうか。
ノイムが返答に窮すると、シンシアはほれ見ろと言わんばかりに顔をしかめた。
「ねえノイム、あたしにはよくわからなかったけど、ノイムがそのモニカって子のことを思いやってるのはわかるよ。でも、だからって、孤児院のなかでひとりぼっちになってまで庇ってあげる必要があるの? ノイムはその子のこと、大切なの?」
大切に思っているなら、これ以上は言わない。シンシアが口を尖らせたが、悲しいかな、ノイムはそれにも答えることができなかった。
「ノイム?」
「モニカを悪者にして終わらせることは簡単だけど」
だから、話を逸らした。
「簡単だけど、それをやったら、今度はモニカが孤立する。私みたいに自分から離れるんじゃなくて、皆から嫌われて、疎まれて、誰もあの子に親しく話しかけなくなる。それは、私がいやな気持ちになるもん」
「……お人好し」
「私もそう思う」
ノイムとシンシアはどちらともなく目を合わせ、同時に苦笑を漏らした。
「もし、なにをしてもモニカちゃんがノイムを嫌うのをやめなかったら?」
「そのときは潔く諦めて、私も遠慮しない。好きなだけやり返す」
「やり返したい気持ちはあるんだ」
「そりゃ、腹立つもん。特に最初の、雑巾叩きつけられたのなんて」
あのときはモニカの豹変ぶりにただただ動揺するばかりだったから、腹が立つなどというのは、時間が経った今だから言えることである。今のノイムなら頭から水をかけられた時点でバケツを持って、モニカの顔にぶちまけて返すくらいはできたかもしれない。そんなことをすれば、派手な喧嘩まっしぐらだが。
シンシアが妙な顔をした。笑えばいいのか怒ればいいのかわからないといったふうだった。
「ノイムって、変な子だね。ものすごい良い子なのかと思ったら、そうでもなさそう」
「それを直接私に言うあたり、シンシアもなかなかだよ」
「ご、ごめん。いやな思いを……」
「してないよ」
ノイムは思わず笑みこぼした。
「この話誰にもできなかったから、なんかすっきりした。自分でも思ったより塞ぎこんでたみたい。聞いてくれてありがと、シシー」
素直に礼を言うのは、ほんの少しだけ恥ずかしかった。照れを隠すようにシンシアと繋いでいた手を振る。とたん、がばっと抱きつかれた。
「わ、わ、なに!?」
「聞いてあげることしかできなくてごめんね」
「シシーが気にすることじゃないよ……」
耳元で鼻をすする音が聞こえた。まさか泣いているのだろうか。感受性が豊かな少女である。
「ノイムは辛くないの?」
ノイムはシンシアの真っ赤なポニーテールをぽんぽん触りながら、アーサーにも同じことを聞かれたなあ、と思った。
「辛くはないけど……ちょっと寂しいなって、最近思い始めたかも」
平気だと思って孤独を選んだが、実はそうでもなかった。情けない限りである。
「っじゃあ!」
シンシアががばりと体を起こす。彼女の頬が、その髪の毛と同じくらい赤く染まっていた。
「あたしがノイムのお友達になるよっ。そしたら、寂しくないでしょ?」
「でも、私は孤児院から出られないし……一緒に遊べないよ」
親族に会いにときおり職員の付き添いつきで出かけていく子供はいるが、文字どおり孤児のノイムはそういった理由を使えない。遊ぶために外に出るなどは言語道断である。
「あたしがノイムのところに行く」
そこまで言い切ってくれるのは嬉しいが、果たして許されるのだろうか。
部外者がほいほい足を踏み入れることは、特にトパ孤児院では歓迎されない気もする。迎えても文句を言われないのは、よくて、ノイムを保護したラヴィアスくらいだろう。
「院長さんに直接お願いできないかな? 遊ぶためじゃなくても、たとえば……たとえば、孤児院への差し入れを持ってくるとか……」
福祉施設への寄付というわけだ。それならばまだ希望はあるかもしれない。
「あとで聞いてみようか?」
「今聞く! 職員の人もみんな一緒に教会にいるんでしょ?」
ノイムを解放したシンシアは、繋いだ手をぐいと引いた。急がなければトパ孤児院の人々が逃げるとでもいうかのようだった。
「あたしが孤児院でノイムと一緒にいられれば、ノイムはひとりぼっちじゃなくなるもんね」
(それじゃ、シシーまでモニカに目をつけられるんじゃ……)
とは思ったが、言わなかった。今までの信条を貫くなら、シンシアには諦めてもらったほうが断然いいに決まっている。
(四六時中一緒にいるわけでもないし、大丈夫、だよね)
わかっていながら口をつぐんだのは、ただちょっと、シンシアが言ってくれた「友達」の響きが気に入ってしまった、ノイムのわがままである。




