32.同室、厄介者入る
謎の緑髪の男は、翌週もノイムの前に現れた。
今度は教会のなかではなく、そこへ向かう道中のことだった。その男は相変わらず厚い前髪で顔の上半分を覆い、後ろ髪は手櫛で適当に整えたような乱雑さだった。くたびれた服も履き潰した靴も、先週とまったく同じだ。
ただひとつ違ったのは、彼がノイムに興味を示さなかったことである。
すぐ横をすれ違ったにも関わらず、ちらとも顔を向けずに行ってしまった。やっぱり先週の礼拝堂でのあれは、たまたまだったようだ。向こうはもうノイムに興味を引かれたことも忘れているのだろう。
ノイムも、気にするだけ時間の無駄というわけだ。
それよりももっと重要な事柄があった。
トパ孤児院に来て二度目の休息日。ノイムは今日、快適なひとり部屋を失うのである。
(新入り、話しやすい子だと嬉しいけどなぁ。ふたり部屋になるわけだし)
そういうことである。
今日来る新入りはノイムと違って、前々からトパ孤児院に入るのが決まっていた。だから本来、ノイムがひとりで使っている今の部屋は、ノイムではなく、その新入りの独壇場になるはずだったのである。
――と考えると、正直不安しかなかった。
なにが不安かというと、新入りの素性である。
ヘラ曰く、『魔晶石の売買で一財を成した大商人のお嬢様』らしい。
「一度会ったことがあるけれど、とても……そうね、とても元気な子だったわ」
と言ったときのヘラの顔が忘れられない。彼女はあからさまに目を逸らした。
そう、目を逸らしたのである。
(いやな予感しかしないなー)
教会に着くと、今日ばかりはノイムもかなり真剣に祈った。豊穣のハヴェルナに頼むのはお門違いかもしれないが、「どうか新入りが話しやすい子でありますように」と五回くらい心のなかで唱えた。
そもそも、新入り新入りといってはいるが、ノイムだってまだトパ孤児院に来て二週間である。しかも正式な手続きを踏んでいない。ラヴィアスの手によって無理矢理ねじ込まれた異分子だ。
やめた。これ以上はよそう。どうせなるようにしかならないのだから。
休息日の朝食は、教会から帰ってから取ることになっている。今朝の食堂で飛び交っているのは、もっぱら新入りの話題だった。あちこちから「大商人」「お金持ち」「魔晶石」「魔法」「お嬢様」などという単語が飛んでくる。
ノイムはテーブルの端から回ってきた籠からパンを手に取りながら、隣に座るアーサーに問うた。
「新入りが来るときっていつもこうなの?」
「いいや、今回が特別なだけだね。大商人の子女ならすでにここにも何人かいて、貴族だってこのとおりだから」
アーサーは自らを指さした。
「盛り上がるほど珍しいものではないよ。たぶん、みんな『魔晶石』に反応しているのではないかな」
魔晶石とは、簡単にいえば、魔力が結晶化して石のように硬い塊になったものである。
時刻を表す時刻晶に使われているあれだ。
洞窟などの魔力が溜まりやすい場所で採掘できるほか、魔獣の体内から採取できることもある。
魔獣から手に入れた魔晶石は単に魔石とも呼ばれるのだが、魔晶石と魔石を明確に呼び分けているのは研究者などの専門家である。一般人の間では『魔力でできた石』は、すべてが魔晶石であり魔石だ。洞窟から採掘したものを魔石と呼ぶ人もいるし、魔獣から採取したものを魔晶石と呼ぶ人もいる。
ノイムもまた、すべてまとめて魔晶石と呼んでいた。
「たしかに、魔晶石を扱う商人のお嬢様って言ってたけど」
「そう、だから『そのお嬢様は魔法を使えるのかどうか』って話になっているんだ。少々単純すぎる気もするけどね」
耳を傾けてみれば、たしかにそのような話が多い。
魔石を扱う商人なら魔法に触れる機会も多いはずだ、それなら新入りのお嬢様も魔法を使えるのではないか、いやいやそれは安直すぎる、使えるとは限らないだろう、しかし知識はあるかもしれない、今まで見たすごい魔法を教えてもらえるかも……といった具合である。
「魔法ってやっぱりみりょく的なものなんだねぇ」
「ノイムは興味がないの?」
「興味がないというか」
ノイムは、ふっと口の端を持ち上げた。
ノイムには魔力がない。この世界では、魔力をこれっぽっちも宿さない命というのは存在しないはずで、そこらの雑草にも微々たる魔力は宿っている。
しかしノイムの魔力は全くのゼロなのである。
だから魔法のことを考えるとちょっとだけ虚しい気持ちになる。興味がないというより、興味を持たないようにしている、あるいは諦めていると言ったほうが正しい。
「魔力がないとは、これはまた珍しいね。魔力の研究者が聞いたら喜んで飛びつくのではないかな」
「かんべんしてほしい」
実は前世で経験済みである。しかも相手はなかなかクレイジーな研究者だった。今世ではできれば出会いたくない。勇者になることを避けるのに加え、次点で避けたい事柄としてカウントしてもいいくらいには会いたくなかった。
「だから、魔法はそれほどでもないけど、新しく来る子には興味あるよ」
「仲良くなれるといいね」
淡く微笑んだアーサーに素直に頷いて、ノイムはパンを頬張った。
新入りのお嬢様とはどのような性格か。
答えは昼過ぎに出た。
「あなたがわたしと同室になるっていう子供ね? お名前は?」
父親らしき男に連れられてきたその少女は、ウェーブがかった金髪をふたつ結びにして振り乱し、ほっそりした腕を組み、そのままうしろにひっくり返ってしまうのではないかというほど胸を反らしていた。
「……ノイム。ノイム・トツヅキだよ。よろしくね」
「ノイム、変な名前だわね!」
「よく言われる……」
「わたしのほうが可愛いわ。モニカ・ハートよ」
「モニカって呼べばいい?」
「それでいいわ、ノイム。よろしく」
差し出された手を握り返す。
モニカは、すらりとした体をワイン色のワンピースで包んでいた。胸元には白いレースがふんだんにあしらわれている。腰でぎゅっと絞られたラインと、大きく膨らんだスカート、その裾で跳ねるフリルも相まって、いかにもお嬢様といった風情である。
背は高いが、顔立ちは幼い。ノイムよりは年上だろう、ということしか判断できなかった。
彼女はスカートの裾をひるがえして、背後に立つ男を振り向いた。
「お父さまは、わたしに会いに来てくれるのかしら?」
「ああ、定期的に来る。いい子で過ごすんだよ、しばらくの辛抱だ」
「ええ、お父さまのお願いですもの。わたし、きちんとやれるわ」
この男はやはり、モニカの父親だったようだ。彼は服装こそ地味だったが、指や胸元にギラギラと光るアクセサリーをつけていた。宝石にしてはやたら発光している気がする。もしや魔晶石を加工したものだろうか。
(成金趣味……)
なんにせよノイムは、あまりいい印象は抱かなかった。
ハート親子は熱い抱擁ののちに別れた。モニカの父は、何度も振り返りながら門を出ていった。
その姿が見えなくなると、モニカはふたたびノイムに顔を向ける。
「では、わたしを部屋に案内しなさい!」
言いながら、先に立って孤児院へ入っていってしまった。ノイムは駆け足で彼女のあとを追いかける。「そっち、そっちの階段」と指を差して行き先を示した。階段も、モニカが先に立ってずんずん行ってしまうので、「奥から二番目、左側の部屋!」と彼女の背後から場所を叫ぶ羽目になった。
部屋に入ったモニカの第一声は「狭いわね」だった。
彼女はぐるりと部屋を見渡して、四つあるベッドに目を留める。ベッドメイクがされているのは二台だけだ。ノイムが寝起きしているものと、これからモニカが寝起きするもの。
「わたしとあなただけなのかしら」
「うん、本当は四人部屋なんだけど、今は私とモニカしかいないから、ふたり占めだよ」
「それなら、あなたとはなおさら仲良くならなくてはいけないわね! わたしがどうして孤児院なんかに入ることになったのかをじっくり聞かせてあげるわ」
モニカは二台のベッドをじっくり眺めて、窓に近いほうに腰かけた。
ノイムが使っているベッドである。
(こだわりはないからどっちで寝てもいいけどさ……)
ノイムは机の前まで歩いていって椅子を引いた。
「それは、私が聞いていい話なの?」
「もちろんよ。可哀想なわたしの話を聞いて、たっぷり涙しなさい」
かわいそう、とノイムは口のなかで反芻した。
可哀想、それを自分で言ってしまうのか。しかもモニカの態度は、可哀想な子にしては悲壮感がなさすぎる。むしろ自身に満ちあふれていた。なにに対する自信かは、まったく理解できないが。
「わたし、お父さまにとっても愛されているのよ。でも、離れ離れに暮らさなくてはならないの。この悲劇がわかるかしら」
そこでモニカがじっと見つめてきたので、ノイムは慌てて頷いた。
ついうっかりしかめてしまった顔が逆にいい演出となったようで、ノイムの表情を見たモニカは「そうよ、せいぜい哀れみなさい」と満足そうに笑った。




