30.教会、現る
アーサーの手で子供たちの輪に押し込まれたことで、ノイムは変に気後れすることもなく、ごく自然にトパ孤児院の一員として馴染むことができた。食事の際には同じテーブルを囲んで談笑し、昼になると外に出て一緒に遊ぶ。
だから、院の皆で教会に行く週に一度の休息日にも、寝坊したノイムを起こしてくれる親切な子がいた。
枕を抱えて丸くなったノイムの体から、容赦なく毛布が剥がされる。
開け放たれたカーテンの向こうから、淡い光が差し込んでいた。くすみのないガラスの向こうに、夜の気配が取り残されている。日が昇って間もない時間だ。
「お昼になると混んでくるから、この日はみんな早起きなの」
とは、ノイムを揺り起こした隣室の少女の言葉である。
たしかに早起きをするとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。おかげで体がついていかなくて、口からこぼれるのは意味のない音ばかりだ。
ノイムは寝ぼけ眼をこすりながら着替えをし、起こしてくれた少女に引きずられて部屋を出た。廊下にはほかに三人、隣の部屋で寝起きをしている少女たちが待っていた。ノイムがのっそり起きてきたのを見ると、彼女たちはくすくすと笑い合う。
「ノイムったら、すごい目」
「はやく顔を洗っておいでよ」
「私、下に行ってノイムが起きたって伝えてくる」
ひとりが走って階段を下りていく。ノイムもゆっくりと彼女のあとを追い、水場へ向かう。
残った三人の少女は、ノイムが階段を踏み外さないか見守りながらついてきた。水場でも同様である。ノイムがあまりにも焦点の合わない目をしていたので、顔を洗うときに溺れてしまわないか不安だったのかもしれない。
顔を洗ったところでようやく頭がしゃっきりしてきて、ノイムは隣室の少女たちを振り返った。
「わたし、そんなにひどい顔してたの?」
「してた!」
三人の声がハモった。
庭に出ると、並んで待っていた孤児院の面々が揃ってノイムを見た。アーサーが安堵と呆れをない交ぜにしたような笑みを浮かべている。ヘラの口が動いて「困った子ね」と言ったように見えた。
「全員揃ったね? それじゃ、行こうかね」
はきはきとした声で号令をかけたのは、矍鑠とした老女だ。トパ孤児院の院長である。
ノイムたちは列をなして、街へと繰り出した。
孤児院の前に横たわる通りを真っすぐ行くと、トパの街で最も賑やかな場所に出る。不揃いの石をパズルのようにはめ込んだ赤い石畳が目に眩しかった。
一見、広場かと思うほど開けた景色だが、これは街を貫く目抜き通りだ。
遥か遠くの王都にまで続く街道がそのまま街の一部となっているので、道幅が群を抜いて広いのである。
朝焼けに照らされた目抜き通りは見通しがよかった。人がごみごみしていない。孤児院の一行が列をなして歩いても、さほど邪魔にならないくらいである。
おかげで道行く人々の顔がよく見えた。孤児院の一行は街の人にもよく知られているのだろう。あちこちから声をかけられる。皆、揃って明るい表情をしていた。
店舗を構えた店や、立ち並んだ露店もノイムの意識を引いた。
食事を売る屋台はほとんどがまだ準備中だったが、その他、木箱にごろごろと入った野菜を売る店、締める前の鳥がぶら下がっている肉屋、鮮やかな敷き布の上に商品を並べた雑貨屋などはすでに店を開いていた。
雑貨屋の商品棚の内側では、針と糸がくるくると働いている。どうやら魔法で刺繍を入れているらしい。針も糸も布も、誰の手も借りずに宙に浮いて、勝手に動いていた。
街全体に、活気がある。
それだけのことが、ノイムの目には新鮮に映った。
以前の孤児院があった町とは違う。あちらは死ねないから生きているような暗い空気が満ちていたが――ノイムが置かれていた境遇がそう見せていたのかもしれない――トパの街では、誰も彼もが積極的に生きている。そんな感じがした。
ついつい目移りしてしまう。
ノイムでさえそうなのだから、孤児院のほかの子供たちはもっと興味を引かれているはずだ。
実際、きちんと並んで歩いていた子供たちの列は、縦に長く伸び始めていた。
アーサーが周りの子供に声をかけて引き留める姿が見える。それでもふらふらと列を離れようとする子には、職員が駆け寄って戻している。
道行く人が、彼らの姿を微笑ましそうに眺めていた。屋台の店主などは、自分の店に寄ってきた子供に、笑いながら「はぐれちまうぞ」と注意して追い返している。
(平和だなぁ……)
今ここにいるのは、厄介な身の上を抱えた子供ばかりだ。
お家騒動で命を狙われた貴族の子息。冤罪で処刑された騎士の子供。商売に失敗して取り立て屋に追い回されている元大商人の後継ぎ。貴族の気まぐれで庶民との間にもうけられた隠し子――それがトパの街では、皆が等しくただの『近所の子供』として扱われている。
街の住人には子供たちの複雑な家庭環境などは知り得ない。その態度になんのてらいもないのは当然だ。
それが感覚でわかるからか、子供たちもまた、街の人々に対しては素直な態度で応えているように見えた。
差別的な態度を取られるのではないかと恐れながら小さな声でノイムに打ち明け話をしてきた子も、反対に、けろりとした顔でなんでもないことのように話してくれた子も。前述の騎士の子供なんかは、「父様は最期まで被せられた濡れ衣に屈しなかったんだ」と誇らしげに胸を張り、父の冤罪を晴らすのは自分だとその心に炎を燃やしていたが、彼もまた、街の人には自然な笑顔を見せている。
こういうのが大事なのか、とノイムは思った。
普通の扱いをされてこなかった子供たちが、街に出れば普通として扱われる。院のなかでは似たような境遇の子たちが互いに心を寄せ合う。
(だから同じ場所に集められてるのかなぁ)
トパ孤児院で暮らす子供たちは皆、等しく複雑な事情を抱えていると聞いたときには肝を冷やしたが、案外悪いことではないのかもしれない。
境遇の差が引き起こす子供同士の軋轢も、院内ではほんのささやかな喧嘩となって発露するだけだ。たまに差別的な言葉をぶつけて問題になる子供もいたが、職員の采配によって、おおむねが遺恨なく解決できている。
なにより異常であることが当たり前の環境だというのが大きい。
誰だろうと腫れもののように扱われることはない。だからこそノイムもこうして平然と打ち解けている。
ノイムがひとりで納得して頷いていると、横から手を握られた。次いで反対の手も掴まれる。
見れば、隣室の少女たちだった。
「急がないとはぐれちゃうよ」
「ノイム、まだ眠いの?」
言われて気づいた。いつの間にか列の最後尾を歩いている。
「ちょっとぼうっとしてた」
少女たちに引っ張られて、ノイムは慌てて孤児院の列を追いかけた。
目抜き通りの半ばには広場があった。
中央には噴水が据えられ、ここがトパの街の中心なのだと誇示するように水を噴き上げている。宙を舞う雫には、空の向こうに消えていく朝焼けが反射して、きらきらと輝いていた。
広場からひとつ横の道に入ると、教会の青い屋根が見えてくる。
トパ孤児院の一行は邪魔にならないよう、道の脇に避けて集まった。職員たちが、はぐれた子供がいないかの確認を始める。
ヘラに名前を呼ばれたノイムは、おざなりに返事をして教会を見上げた。
鋭くとがった三角の屋根に、白く塗られた壁。そこへふんだんに取りつけられた窓は、陽の光を反射して、まるで教会が内側から輝いているような印象を与えてくる。
端々から漂う神聖な雰囲気に、一か所だけ異物が混ざり込んでいた。
入り口の横に設置された立て看板である。
やけに大きな看板だ。だから道端からでも、そこに書かれた内容がよく見えた。
『勇者を見つけた者に褒賞を与える』




