28.行く末、悩む
トパ孤児院の寝具の質はピカイチだった。
やわらかい敷き布に体を包まれたノイムが、戸惑いを抱いたほどである。快適なことに違いはないのだが、どうしても落ち着けなかった。これまで床板の継ぎ目がわかるほど薄い敷き布の上で寝ていたからだ。
(……目、冴えちゃったな)
おかげで深夜に起きてしまった。
ノイムは首を巡らせ、淡いオレンジの光を放つ壁を見た。
三又の燭台に、時間を表す魔晶石――純度の高い魔力が結晶化したもので、時刻晶とよばれている――が三つはめてある。光っているのはそのうちのふたつだ。均等な光だった。
土の半刻である。
起きるには早すぎる時間だった。しかし目を瞑ったところで、眠気がやってくるとは思えない。
ノイムは考えた末、少しだけ起きていることにした。
掛け布をめくって床に立つ。
暗闇に慣れた視界に映る部屋は、四人部屋にも関わらず、ひどく閑散としていた。
窓際に並んだ勉強机が、初めに運びこまれたままの姿でたたずんでいる。机の上にはなにも置かれておらず、ただ木目をさらすばかりだ。壁に設置された本棚は空っぽである。本はおろか、小物のひとつすらも置かれていない。
中央に並べられたベッドでさえ、寝具がかけられているのはノイムが使っているものだけだった。残りの三つは空っぽだった。
ここは実質、ノイムのひとり部屋だった。
使用されている女子の四人部屋はどこも満員で、ノイムの入る余地がなかったのである。だから未使用だった部屋を開け、掃除をして整え、そこにノイムが入ることになったのだ。
(前は雑魚寝だったのになぁ)
以前の孤児院では、夜中に起きるたび、周りで寝ている子供を踏まないように気をつけなければいけなかった。足音なども言語道断である。前の孤児院の薄い床板はすぐにきしむから、間違いなく寝ている子を起こしてしまう。
それが今は、こうである。
ノイムは誰に遠慮することもなく、裸足のままぺたぺたと窓際に向かった。カーテンのなかに潜りこむと、つるりとした窓ガラスにノイムの顔が反射する。
内と外とを隔てる透明な板の向こうには、すっかり寝静まったトパの街が見えた。見渡すかぎり、明かりがついている家はない。街を照らしているのは、家々の頭上を覆う星空と弓なりの月だけだ。
ノイムの目に映る景色には、ノイズがなかった。窓にはめ込まれたガラスはどこまでも透き通っている。
以前の孤児院とは大違いだ。あちらの窓ガラスは分厚く、濁っていて、いくつもヒビが入り、湾曲して窓枠から浮いていた。おかげで隙間風がひどい。冬は冷たい空気がひゅうひゅう入ってきて大変だった。
それが今は、こうである。
歪みのない窓枠を撫で、掛け金を外す。窓を押し上げると、やわらかい風がノイムの頬を叩いた。
宵闇に沈むトパの街を見下ろす。
点滅する街灯。建物と建物の隙間。人気のない路地。明かりが落とされた窓の内側。街灯と星明かりに照らされた街で、ノイムの目は、光の届かない闇ばかりを求めてさまよった。
街も、人も、孤児院も、前とは比べものにならないほどまともで、綺麗で――。
(私も、一応、普通の子供として成長できる……んだよね)
命の危険に怯えたり、攫われた友人を心配したり、自身の行く末を案じたり、心をすり減らす必要はなくなった。これからはなにに怯えることもなく、平和に生活するのだ。
(いいこと……だよね)
悪いことなわけがない。
それなのに、ノイムの胸のなかには漠然とした不安ばかりが渦を巻いていた。
今日一日、ひとり部屋を与えられたのをいいことに引きこもってしまったのもそのためだった。
ここの子供たちにノイムを紹介しようというヘラの申し出を断り、食堂の隅で静かに食事をとって、すぐに二階に引き上げたのだ。ノイムがこんな調子だから、話しかけてくる子もいない。昼間に庭でノイムを見かけた者は興味ありげに、そうでない者は不審げに、ノイムを観察してくるのみである。
ノイムはできればこのまま、誰とも関わらずに過ごしたいとすら思っていた。
だって、彼らと楽しく遊んでいる自分なんて、とても想像がつかない。肩を並べて食事をすることも。ともに孤児院の家事の手伝いをすることでさえ。以前の孤児院ではそんなことなかったのに、トパ孤児院に来たとたん、共同生活というものに強烈な違和感を抱いている。
ノイムは異物だ。この街では浮いてしまう。周りからはそうは見えないのかもしれないが、少なくとも、ノイムの目にはすべてがいびつに映る。自分がここに立っているのは間違いなのではないかと思う。先行き不透明なまま必死に足掻いていた前の孤児院のときのほうが、ずっと、足元がしっかりしていた。自分はたしかにここで生きているのだという実感があった。不安も恐怖もさまざまあったが、そのどれもがはっきりした理由を持っていた。
今はどうだろうか。
具体的な心配事はほとんど解消されたはずだ。
奴隷にされないため、孤児院から出る方法を必死で考える必要はなくなった。一緒に暮らしていた子供たちは安全な居場所に移った。院長の目を盗んで逃がしたレオとタランは、新たな家族を手に入れた。カデルのことはラヴィアスに任せた。
(――それなら、私は?)
不安の原因は、これだ。
『まともな孤児院で育って、新しい家族に出会って、一緒に暮らして……そうやって生きてるおれが、想像できないんだ』
いつかのカデルの言葉を思い出した。
あのとき彼に共感した気持ちは、今も変わっていない。
掲げた目標も、変わらない。
いろいろなことがあったおかげですっかり放念してしまっていたが、ノイムの今世での目的は失踪した勇者を捜すことだ。ノイムが勇者として選ばれることがないように、これだけは譲れない。
それなのに、今のノイムといえば。
新しい孤児院で、子供たちのなかに埋もれながら、いつか出会う義両親を待つ。
あるいは、適性のある仕事のために奉公に出る。
または、このまま孤児院に残って子供たちを育てる立場を目指す。
このまま順当にいけば、まともな孤児院に入ったノイムが辿るのはそういう未来で、今のノイムができるのも、そういう未来に向かって努力をすることだけなのだ。それがたまらなくもどかしくて、このままでいいのかという不安をかき立てる。
ノイムはやや乱暴な動作で窓を閉めた。
ばたんと音を立てた窓枠の上で、勝手に掛け金が落ちてきて、窓に鍵をかける。
(……とりあえず、ラヴィーさんが戻ってくるまで待とう)
今は忍耐のときということだろう。
感情に任せて家出などすれば、ラヴィアスに迷惑をかけてしまう。彼は言っていたではないか。「戻ってきたときに報告する相手がいないのでは困る」と。それから、「あまりトラブルに首を突っ込まないように」とも。
(なんだ、やることわかったじゃない)
ここで問題を起こすことなく平穏に暮らし、ラヴィアスの報告を待つこと。それだけでは少々味気ないので、たとえば、そう。
「いい子にしてたから褒めてって言ってみようか」
ラヴィアスのことだから「急に子供ぶってどうしたんですか」とでも言いそうだが。しかし褒めてくれるかはさておき、別れ際の様子を思い返せば、頭を撫でるくらいはしてもらえるかもしれない。
決まりだ。
戻ってきたラヴィアスに、胸を張って「いい子で待っていた」と言えるような生活を送る。当分はそれに注力しよう。
(それじゃ、引きこもっちゃだめだよね)
今日のノイムの態度は悪手だ。積極的にひとりでいることを選んで、ヘラに心配をかけたのもいけない。もう少し社交的にならなければ。
気づけば、東の空が白み始めていた。
カーテンのなかから抜けて時刻晶を見れば、三つめの魔晶石が淡く輝き始めている。
土の終刻になったところだ。ずいぶん長い間、物思いにふけっていたらしい。
欠伸が漏れた。
頭を使ったからか、遠のいていた眠気が戻ってきた気がする。
(……寝るか)
ノイムはおとなしくベッドに入った。頭から掛け布を被って、目を閉じる。
睡魔がノイムの意識を奪うまで、そう長くはかからなかった。




