23.執務室、入る
騒いでいるのは、ノイムひとりだけだった。
「放してってば! 下ろしてよ!」
「みんな、病気がうつるといけないわ。離れていてちょうだいね」
集まっていた子供たちは、身動きひとつしない。アリサに抱えられたノイムを遠巻きに見つめ、決して近づこうとはしなかった。
年長組の少女と目が合った。さっと逸らされる。
ほかの子供も同様だ。ノイムの行き先をつぶらな瞳で注意深く追っているのに、いざ視線が交差すると避けようとする。
それがまた、ノイムの神経を逆なでした。
「ばっかじゃないの! 病気なんてあるわけないのに! ぜんぶ、私たち子供を逃がさないための――」
ノイムの叫びは、誰にも届かなかった。
帰ってきたときの孤児院の状況は、以前レオとタランが連れ戻されたときとまったく同じだった。違ったのは、ノイムが閉じこめられた場所が、二階の開かずの間ではなかったことだろう。
院長の部屋に仕掛けがあった。
厨房の奥の廊下に並ぶ扉のうちのひとつが彼の部屋である。開くとなかには簡単なテーブルとソファ、さらにひとり用のベッドが置いてあるだけだ。壁際には衣装棚が背を預けているのだが、これが横に動いた。
(魔法陣……)
棚の側面に陣が刻まれていた。衣装棚が動いている間に淡く光るのでよく目立つ。
隠れていた壁には、隣に続く扉が設えてあった。
一見するとごく普通の執務室のような部屋だ。院長の寝室とを繋ぐ隠し扉以外に、出入り口はない。
つまりここには、子供たちの目には万が一にも映せない代物がわんさか詰められているということだ。奴隷契約の書類などもまとめてここに保管してあるのだろう。
手足を縛られ猿ぐつわを噛まされたノイムは、この執務室に放り入れられた。ついでに一発殴られた。ノイムが子供たちの前で余計なことをわめいた仕置きだ。
「ここなら天地がひっくり返っても出られないだろう。しばらくおとなしくしていなさい」
大事な仕事場にノイムを転がした院長は、それきりしばらく戻ってこなかった。
ノイムは不自由な体で起き上がり、机を支えに立ってみる。ウサギのように跳ねて扉に体当たりした。当たり前だが、びくともしない。後ろ手にどうにかドアノブを掴んで捻ってみたが、駄目だった。鍵がかかっているというわけではなく、重いもので押さえつけられているような感触だ。
(どうしたもんかなぁ)
ノイムはぱったり床に倒れた。
ぼろぼろの孤児院には似合わない上等な絨毯が全身を撫でる。
まさかここで餓死させるつもりはないだろう。とはいえ、殺されるのもまずい。勝算があるとすれば、奴隷商のデビーかほかの手を使ってノイムを遠くへ運び、そこで処分する場合だ。外に出ることさえできれば、まだやりようはある……と、思う。もちろん、これだけ体の自由を奪われた状態では絶望的であることに違いはない。
いくら考えても、妙案はなかった。
もしかすると、本当にここで終わりかもしれない。
ノイムの思考が下り坂になりはじめたころである。
部屋の扉がふたたび開いた。
「さて、さて。話をしようかね」
執務机の椅子に腰かけた院長は、ノイムを見て目尻のシワを深める。
狸め。ノイムは唸った。
「私はずいぶん長いこと、この商売を上手くやってきた。それが、ここ最近は失敗続きだ。君とカデルに商売のことを暴かれるわ、子供は脱走するわ。こんなことは初めてだよ」
どうしてだと思う? と院長は目を細めた。
「君のせいだよ、ぜんぶね。わかっていると思うが」
おかげでノイムとカデルは、普通に売りだすわけにはいかなくなった。途中で逃げられるのが目に見えているからだ。この孤児院にいる子供は、彼らだけではない。ほかの子供を見ながら、ノイムとカデルのふたりから片時も目を離さないようにするのは不可能だった。
「だからちょっとした茶番を演じさせてもらったよ。デビーくんの伝手で荒くれ者を雇ってね。見てのとおりの誘拐劇だ。多少はきつく躾けて構わないと伝えてある。買い手のもとに着くまでに従順になってくれているといいのだが」
ノイムの全身から殺意が噴き出していることを歯牙にもかけず、院長はただ上機嫌で語り続けた。
「私はよほど、君も一緒に持っていってもらおうと思ったんだが……君とカデルを一緒にしておくと、なにか悪だくみをしそうだろう」
それで、先にカデルを攫わせたわけだ。ノイムがあとを追って飛びだしていったのは、院長にとっても好都合だった。これで病気を理由に、ノイムを子供たちの目から隠すことができる。
「奴隷売買に気づいたのは君が先だったろう。カデルがいなくなって、また別の子供をたぶらかされてはかなわないからね。それで、君の処遇だが」
院長は痩せた指で顎を撫でた。
「殺すことにした」
当たり前のように、断言する。
「君は危険すぎる。あのときはとぼけていたが、レオとタランが逃げたのは、やっぱり君の仕業なんだろう?」
ノイムは答えなかった。もっとも、まともにしゃべることができないので、答えようもなかったが。
「君は意志が強いから、下手に生かしておくと、いつか戻ってきて私の首をかき切ってしまうかもしれない」
言い得て妙だ。ノイムはあらゆる準備をして必ずここへ戻り、院長とアリサに引導を渡すだろう。子供奴隷の売買は重罪だ。これまでに売り払った子供はかなりの数に上るだろうし、彼らは死刑を免れない。ノイムが彼らを殺すと言っても差し支えはない。
「……とはいえ、ここで殺してしまうのはまずい。隣国ナグリーブに向かう道に、魔物の巣の傍を通る箇所があるようでね。デビーくんに頼んで、そこに君を捨ててきてもらおうと思っている」
できれば喰われるところまでしっかり見届けてきてほしいんだが、それではデビーくんの身に危険が及ぶからね。大事な取り引き先を失うわけにはいかない……とは、間違っても朗らかな顔で言うことではない。
「それまで、君のことはアリサに見張らせよう。『看病をしている』ということにすれば言い訳も立つ。レオやタランのときのようにはいかないよ。もっとも、たったひとりではなにもできないだろうがね」
はっはっは、と声を立てて笑った院長を、ノイムはただ下から睨みつけた。魔物に喰わせるだなんて、どこからそんな発想が出てくるのか知りたいものだ。昔一度やったことがあると言われても驚かない。
(魔物……丸腰じゃ無理だ。縛り上げられたまま捨て置かれたら、本当に食べられるしかない……)
孤児院を出られるのは僥倖だが、その先に待ち受けているのが魔物となると分が悪い。
「話は終わりだよ。アリサ、この子を君の部屋に連れて行ってくれ」
院長は扉に向かって呼びかけた。廊下を見張らせていたのだろう。以前、廊下から話を盗み聞きされた前例がある。もちろん、盗み聞いたのはノイムとカデルだ。
「アリサ? どうしたんだね」
しかし、アリサは一向に入ってこなかった。声が届いていないらしい。
院長が椅子から立ち上がる。机を回って絨毯を踏みしめたところで、ぎぎぃと扉の蝶番がきしんだ。
「――な」
院長の顔が凍りつく。
彼がなにを目撃したのかは、すぐにわかった。
部屋の外から、ひどく大きなものが投げ入れられる。結構な勢いで飛んできたそれは、院長を正面からなぎ倒した。
「な、な……!」
アリサだった。
彼女の首は、奇妙な方向に曲がっていた。おそらく、すでに息はない。
「お話はよくわかりました」
ここにあるはずのない声がした。
すらりとした長い脚が、執務室に入る。踵の高いブーツが絨毯の毛を潰した。
「どうりで怖がるわけです。ここが孤児院なんてとんでもない。化け物の餌場だ」
銀髪を揺らしてノイムに微笑みかけたのは、もちろん、ラヴィアスである。




