21.誘拐、場所を選ばず
はるか遠くに厚い雲が広がっていた。さほど背の高い建物もないこの町では、孤児院のような箱庭からでも驚くほど遠方まで見通せる。灰色の雲は、広い空をくっきりと二分していた。風向きによっては、これからノイムたちの頭上を覆って、春の嵐をお見舞いするかもしれない。
今はまだ青さを見せつけている好天の下、ノイムとカデルは数か月前と変わらず額を突き合わせていた。
「院長に言われた。おれの引き取り先が決まったって」
「どこだって?」
「船だ。船乗りが、子供の乗組員を欲しがっているらしい」
「それは、建前?」
「いや、子供を相手にするのが好きな貴族? が乗る船だって言ってたから。ほんとじゃないか」
当たり前だが、子供奴隷なんかをほしがる取引先である。まともなわけがない。子供に給仕をさせ、客が気に入ったら部屋へと連れこむ……そういう表には出せない商売をしている客船の類だろう。最悪だ。
「じゃあ、それまでにここを出ないとだね」
「たぶん、院長たちもおれらが逃げることなんて予想してるだろうな」
「レオとタランのときよりは、ちょっと大変かも」
しかし、今ここで苦労をしておけば、あとが楽というものである。
「いつ出発かは聞いた?」
「ああ、来週の――」
その続きは、ついぞ聞くことがなかった。
派手に響いたのは、門扉を叩き開ける音だ。間髪入れずに、耳をつんざくような悲鳴が一帯の空気を震わせる。ノイムもカデルも、素早く立ち上がった。
「なんだ?」
「わかんない。アリサの声だったよ」
あとは知らない男たちの怒声だ。子供たちが泣きわめくのがここまで届いてくる。あまり喜ばしい事態ではなさそうだった。
思い切って駆け出るべきか、ここに留まって隠れるべきか。迷ったときである。
年長組の少女が、恐怖で顔を硬直させて駆けてきた。ノイムたちと目が合う。それで足がもつれたのか、頭から地面に突っこんだ。
「逃げんじゃねえ!」
すぐうしろから男が追って出てくる。少女を引っ掴み、腰を上げたところで――。
その視線が、ノイムを捉えた。
あるいはカデルだったのかもしれない。
永遠とも思える沈黙のあと、男は叫んだ。
「いたぞっ! 目的のガキだ!」
ノイムもカデルも動けなかった。ノイムの頭には「目的のガキ」という一言が響いて体の動きを鈍らせたし、カデルも同じだったはずだ。
「捕まえたらずらかるぞっ」
仲間らしき男がわらわらと姿を現したところで、ふたりはやっと転がるように駆け出した。前庭から遠ざかるように走って、増設棟の角を曲がる。汚らしい足音が背後に迫るのを聞きながら、教会の裏側に出た。
ノイムの体が吹き飛んだ。
追いついた男に蹴られたのだ。
「ノイム!」
カデルが足を止めた。止めてしまった。
「だめ――」
痛みを噛み殺して叫んでも、遅い。
カデルはふたりの男に捕まって、足をばたつかせていた。
「カデルを放せっ!」
飛びかかると、今度は殴られた。浮いた体が、孤児院を囲む柵を叩いた。視界がぐらぐらと揺れる。ひどい目まいに襲われて、地面に落ちたノイムはしばらく動けなかった。口腔に紛れた土を吐く力も出せない。
その間に、カデルも男たちもいなくなっていた。
「ひとりかふたりは好きに連れていっていいと――」
「女のガキがいい――」
「あまり小せえのは面倒――」
聞くに堪えない会話が遠ざかる。子供たちの悲鳴が物理的に遮断され、いくつかの泣き声が男たちとともに町のほうへと消えていった。
そのなかには、必死に抵抗するカデルの怒号も混ざっていた。
「ああ、無事だったのね! よかった!」
うずくまるノイムの背に、やわらかい手のひらが触れる。
アリサだった。
「何人か連れて行かれてしまったの。院長がじきに警吏を連れてくるわ。誘拐犯の顔は見た?」
「カデルは?」
ノイムは、背中を撫でる手を払って、自力で立ち上がった。頭が沸騰している。地面に膝をついたアリサの憂い顔でさえも、今はノイムの神経を逆なでした。
「カデルは? ほかの子は? 行かせたの? 黙って見てたの?」
アリサは答えなかった。
ノイムがきつく拳を握る。乱暴に整えられていた爪が、手のひらに食いこんだ。
カデルは今日、院長から引き取り先を聞いたと言った。
直後に、正体不明の男たちが孤児院へと押し入り、子供たちを攫っていった。
これが偶然であるわけがない。
「捜してくる」
問い詰める時間すらも惜しんで、ノイムは踵を返した。ワンピースの裾をつんと掴まれる。
「駄目よ、孤児院を出たら――」
木靴を履いた足で、思いきり蹴飛ばしてやった。
「病気上等。簀巻きにして餓死させるなり、殺すなり、売り払うなり、好きにすればいい!」
▽ ▽ ▼
門前に横たわる通りを迷わず左に走った。割れて浮いた石畳に何度も足を取られながら、蔦の這う家を、ヒビの入った店を、人が住んでいるとはとても思えない住宅街を駆け抜ける。
頬を叩く風が、雨の匂いを運んできた。
遠くに立ちこめていた雨雲が、すぐ目の前に迫っている。青空は背後に押しやられ、厚い灰色が昼の空を覆い隠そうとしていた。
やがて視界が開けた。息を切らしたノイムを迎えたのは、枯れた噴水を中央に据えた広場である。
町の中心だった。
閑散としている。傾いた噴水の縁に腰かけて項垂れる浮浪者がひとり。客も入らない露店を畳みながら、空を見上げる老婆がひとり。あとは、わずかに開けた雨戸の隙間から広場の様子を窺う住民がいた。
ノイムは老婆に声をかけた。
「すみません」
木枯らしのような声が出た。一度息を整える。
雲の行方をたしかめていた老婆は、ゆっくりと視線を下ろした。額を汗でしとどに濡らしながら、這いつくばるようにして己の顔を覗きこんでくるノイムをじっと見る。
「子供を連れた男の集団が通りませんでしたか?」
「……悪いことは言わん。お嬢ちゃん、おうちへお帰り。どれ、婆が送ってあげよう」
敷物を畳む頼りない手つきとは裏腹に、しゃきっとした声だった。曲がった腰を持ち上げて、ノイムの手を取る。ノイムはかさかさした老婆の手に、空いた手を重ねた。
「友達を見捨てるくらいなら」
そっと親切な手を拒否する。
「死を選びます」
「一丁前なことを言うんじゃないよ、ほんの子供のくせに。なぁ、そこの御方」
ため息をついた老婆が、噴水に腰かける浮浪者を振り返った。
浮浪者は背中を丸めたまま、老婆を睨む。そしてこそこそとどこかへ行ってしまった。
老婆はふたたびため息をついた。
「そこの目抜き通りを行ったよ。東のほうさね」
「ありがとう、おばあちゃんっ」
ノイムはふたたび駆けだした。
この町の目抜き通りは町を東西に貫いている。東というと、大陸の外側――海へ向かう方角である。港まで一気に運ぶつもりなのだろうか。院長とアリサが仕組んだことだとして、デビーの関わりは? あの馴染みの奴隷商や、カデルが告げられた客船の子供奴隷の件とは別口なのだろうか。
目抜き通りと呼ぶにしても人が少なすぎる大通りを駆けて、そのまま町を出奔する勢いで進む。
建物が途切れた町の外。
純白がノイムの進路を遮った。
ひらめく白い布の背後に砂煙が見える。ほぼ間違いなく、カデルたちを攫っていった集団のものだ。でなければ、あれほど派手に馬を駆る理由がない。
ノイムは立ちふさがる人物を無視して、傍らを抜けようとした。胸元にぐいと杖が当てられる。
たたらを踏んだ。
「お嬢さん、いけませんよ。もうじき雨がきます」
鈴を転がすような音色が耳を打つ。女だった。神官服をまとっている。雨を運ぶ風が、長い裾を下からひらりと舞い上げた。めくれるのを押さえるように、女神官は持っていた杖をずらした。身の丈近くもある長い杖だった。
「……あんた」
記憶の端がちりりと刺激される。
神官の淡く色づいた唇に、微笑みが乗った。
「さ、来た道を戻って孤児院にお帰りなさい。それともわたくしが送って差し上げましょうか」
先ほどの老婆とほとんど変わらぬ忠告、申し出。だというのに、ノイムはこの神官の女に優しさの欠片も見出せなかった。
ノイムの脳裏に、一枚の光景が浮かぶ。
五年前、失踪する前の勇者たちが、孤児院を訪れたとき。最後までただ黙って背後に控えていたのが、この神官の女だった。ちっとも変わっていない。慎ましやかな貴族令嬢のような佇まいと、汚れひとつない真っ白な召し物。裾に施された刺繍の擦れ具合まで、昔とまったく一緒である。
「勇者と一緒にいた神官……」
神官は口に手をあてて「まぁ」と驚いた。わざとらしくて腹が立つ。
勇者は行方不明になったはずだ。仲間もろとも、双子のエルフも、盾持ちの大男も――もちろん神官も。綺麗さっぱりどこかに消えてしまった。未だに見つかっていない。
ひとりも見つかっていないはずだ。
それなのに、神官だけがここにいる。
違和感が胸をよぎったが、ノイムはあえて目を瞑った。今じゃない。今この瞬間ばかりは、失踪した勇者よりも攫われたカデルのほうが大事だった。
「……くだらない話をしてる暇はないの、どいて」
「いやよ。あなたを通すわけにはいかないわ」
無理矢理先へ進もうとしたノイムを、また神官の杖が遮った。
「どうして」
「あんまりにもちょうどいい餌なんだもの」
杖が触れた箇所が、不意に熱を灯した。はっとしたノイムが飛び離れようとしたが、遅い。全身の血が沸騰した。焼けつくような痛みが、つま先から脳天まで突き抜ける。
心臓が破裂するほど働いていた。
生暖かい液体が頬を伝った。ぽたりと石畳を染めたのは、血の雫だ。鼻からもだくだくと流れだす。ぷつり、となにかがちぎれた。見れば、浮きあがった手の甲の血管が破裂していた。
――あ、これ、死ぬ。
埃にまみれた白い石畳が赤黒く濡れる。
ノイムは膝を折って、生み出された血だまりの上に倒れ――。
「その娘から離れなさい」
凛とした声が鼓膜を震わせた。
ノイムの体は、地面に沈む前に受け止められる。ノイムを抱え上げたのは、透き通るような白さの、それでいて男らしく関節の浮き出た大きな手だった。
「あら、もう追いついたの」
「悪趣味が過ぎますよ」
ノイムは力なく男を見上げた。耳を撫でる心地いい声に、聴き覚えがあった。
埋もれかけていた意識が叩き起こされる。目からあふれた血を乱暴に拭って、男を凝視した。
黒みを帯びた赤の――ガーネットをはめ込んだような瞳が、ノイムを見下ろす。白くきめ細かい頬に、あちこち跳ねた銀の髪がかかった。長い髪の隙間からは、先の尖った耳が見え隠れしている。
ラヴィアス・レタール・ルアキュリア。
前世でノイムを殺した魔王が、ノイムをその手に抱いていた。
ヒーローは遅れてやってくるとはよく言ったものです。
ここまでお読みいただきありがとうございます~~!
明日もどかっと一気に投稿しますので、続きを読んでやってもいいよという方はブクマをぽちっと押してお待ちいただければと思います!!!!!お気に召しましたらお星さまも一緒に押しておいてください!!!!!!!!!!!さらに贅沢を言うのであれば感想なども……書くハードルが高かったら、顔文字で!(^^)!だけ送っていただければ幸いです。勝手に励みにします。
ノイムちんの世界はこれからどんどん広がっていきます。明日からもよろしくお願いします。




