20.墓前、笑う
院長から許可を取りつけたふたりは、即座に仕事にかかった。
決して広くはない孤児院の庭の隅。レオとタランが閉じこめられていた開かずの間の下――彼らを救出するにあたって、ノイムとカデルが何度も往復した地面――に、小さな墓を建てた。そこらへんに転がっていた石の中で最も大きいものを選んで、盛った土に立てただけの粗末なものである。しかも、存在しない死者を弔う墓である。
レオもタランも、孤児院を抜けだしたのだから、ぴんぴんしている。奴隷として売られるよりはいくらかマシな未来を目指して、旅をしている最中だ。子供の足ではまださほど遠くまでは行っていないかもしれないが、少なくとも、院長やアリサ、奴隷商のデビーの手の届かないところにいる。
孤児院を出た。もうなす術もなく売られるのを待つ売りものでも、なす術なく縛られて餓死する未来を待つ罪人でもない。その点で言えば、この孤児院にいたレオとタランは死んだと言えるのかもしれない。
つまり、ノイムたちがせっせと作った墓は、たしかにレオとタランを弔うものであるわけだ。
というのはあまりにも屁理屈がすぎて、真面目に語っているうちに馬鹿馬鹿しくなった。ノイムとカデルは、ふたり揃って忍び笑いを漏らした。
次は自分たちの番だ。
ノイムとカデルは、ますますふたりでくっついて行動するようになった。
ふたりの内緒話は、必ず墓前で行われた。
「孤児院出たらさ、どこ行こっか」
いびつな墓石を磨きながら、ノイムは呟いた。
葉を残らず落としていた庭木の枝が、新たな芽をつけている。吹いてくる風にも春の匂いが混ざるようになった。
冬の間に、孤児院には新たな子供が三人やってきた。
やはり親に捨てられたらしい。
少ない食料で冬を耐え忍ぶために食い扶持を減らすのは、ままあることだった。都市部に近い農村では奉公に出すという手段が取れるが、ただ貧しいだけで頼る先もないこのあたりの家では、子供を捨てるしかない。
子供たちが外に出ることを許されないのには、このあたりの事情もあるのではないだろうか。最近、ノイムは思うようになってきた。
散歩中に捨てた親と捨てられた子供が再会するなんて事故が起こってしまったら、気まずいなんてものでは済まない。親も子も孤児院も、誰もが不幸になる結果を生むだけだ。
だからといって、外出した子供を「病気にかかって死んだ」ことにするために閉じこめるなんて非道な真似を認めることはできないが。
「そうだな……」
カデルはしばし、前庭を見つめていた。新入りを巻きこんで駆け回る子供たちの姿が見え隠れしている。
「ここにいる全員を助けるためには、どこに行けばいい?」
「レオとタランのあとを追う。ここより内陸のトパの街」
トパの街にある孤児院は、領主夫妻が手ずから監督して建てたものだ。
流行り病や魔獣の襲撃で血を分けた子供を残らず亡くしてしまったので、我が子に使うはずだった金を、代わりに孤児院へと注ぎこんだのである。
ただ、領主が直接経営に携わる初めての孤児院だからか、受け入れる子供の境遇はちょっとばかり特殊だった。
(十中八九、ここの子供は受け入れてもらえないだろうけど……)
イコール助けてもらえないという意味にはならない。トパ孤児院で受け入れられないぶん、むしろ手を尽くしてもらえるはずだった。ほかの孤児院を紹介して、そこまで送り届けるくらいはしてくれるだろう。だからノイムも、レオとタランをトパの街へ行かせたのだ。
「また孤児院……」
苦い顔になったカデルに、ノイムは苦笑した。
「孤児院は、本当だったら親のいない子を保護して、自立できるように学を身につけさせたり、新しい親と引き合わせたりする場所だよ。間違っても、売るための子供を育てる場所なんかじゃない」
とはいえどれだけ言葉を尽くしたところで、カデルの胸にこびりついた印象は拭えないだろう。孤児院だけではない。おとなのことも、きっと信用してくれない。
「おれは、やだな……」
「ま、そうだよね」
ノイムも、この期に及んで孤児院に入り直す気はない。新たな両親を得て、安穏と暮らすつもりもない。やらなければならないことがある。
わずかな期待をこめて、ノイムは改めて問いかけた。
「じゃあ、ここのみんなを全員助けたあとは、どこに行こうか」
「……ノイムはまともな孤児院に行かないのか?」
「行きたくないかも」
「一緒だな」
「一緒だね」
ノイムは止まっていた手の動きを再開させた。適当な庭石を立てただけの墓石は、いくら磨いても薄汚いままだ。
「おれ、勇者さまをさがしたい」
ぽろっとノイムの手からぼろ布が落ちた。
「ゆ……なに?」
「おまえが勇者さまの話をしたんだろ、ノイム」
「いや、そりゃそうだけど……」
たしかに話した。ノイムがまだ赤子だったときに、勇者一行が孤児院を訪ねてきたこと。院長やアリサの悪事を暴こうとしていたこと。それから間もなくして、行方不明になったこと。ノイムの今後に関わってくる出来事だったし、共有するに越したことはないと思ったのだ。
「おれは、おれたちみたいな子供はもう見たくない。おれたちみたいな子供が生まれる世界も、いやだ」
カデルは、ノイムが落とした布を拾って、代わりに墓石を磨き始めた。
「勇者さまはおれたちを助けてくれようとしてた。でも、なにか大変なことがあって、できなくなっちゃったんだろ。勇者さまがもし、いなくならなかったら……きっと、おれたちだけじゃなくて、もっとたくさんの、いろんなところにいる人が助かったと思う」
そのとおりだ。勇者は魔王討伐が主な役目とされているが、なにもがむしゃらにそれだけを目指せばいいというわけではない。魔王顕現によっていきり立った魔族たちの掃討も、活気づいた魔獣の駆除も、それらが原因で乱れた世界の治安の維持も、人々に求められている。
言ってしまえば、依頼を受けてあちこちで働く冒険者や、雇われて各地で戦いに身を投じる傭兵の、上位互換みたいなものである。
「おれは勇者にはなれないけど、魔王をたおして世界を助けることなんてできないけど、おれだけでここのみんなを助けることもできないけど……勇者さまを見つけたら、それがいっぺんにできたのと同じじゃないか?」
「……たしかに、一理ある」
目標に掲げるのは、勇者の捜索一点だけ。達成できれば、カデルの小さな手でも、世界という大きな括りを救う一端を担えたことになる。大は小を兼ねるの逆バージョンである。
そして、彼のような高尚な志ではなかったけれど、かつてのノイムも、同じ目的で動いていた。
何年かけても成し得なかった目標だ。世界を回って目についた人々を助けるのと、失踪した勇者を捜しだすのは、どちらが早く世界平和に繋がるか。訊かれたら三日三晩は悩むだろう。それくらい難しかった。
ノイムがここにいることが何よりの証拠である。
なにもかもを失敗した結果、ノイムは生まれ直してここにいる。
「カデルが言うほど、単純でも簡単でもないよ」
「わかってる。でも、なにもしないで……たとえば、まともな孤児院で育って、新しい家族に出会って、一緒に暮らして……そうやって生きてるおれが、想像できないんだ。おれの前にはたくさんの子供が売られちゃって、たくさんひどい目にあってるのに」
自分ばかりが安穏と生きていいのかという疑問と不安が、きっといつまでも自分を苛み続ける。カデルはそう考えている。
ノイムもおおむね同じだった。新しい家族と幸せを分かち合って成長する自分が想像できない。
ノイムがなにをしようが、失踪した勇者は見つからない。少なくとも向こう十年は絶対に。
そうしたら、次に待っているのは。
(勇者に選ばれるのは、私だ)
本来の勇者が見つからない限り、ノイムの魂が十津月乃夢である限り、それは揺らがない。世界に勇者がふたりといた例は聞いたことがない。ノイムが勇者の剣に近づかなくても、なんらかの形で、きっと見出されてしまうはずだ。
だってすでに、ノイムは転生してやり直しを求められている。
勇者の剣を手にしたノイムに待ち受けるのは、魔王城での、あの忌々しい――。
(ラヴィーさん……)
彼が魔王として君臨している以上、どうあっても対峙する羽目になる。
そしてノイムは、勝てない。彼ともう一度敵対する度胸も、彼に勇者の剣を向ける勇気も、一度は仲間と慕った彼に殺意を抱く根性も、ノイムは持ち合わせていなかった。
「カデルが一緒なら心強いね」
「は?」
「私も同じことしようと思ってたから」
「……お人好しだもんな」
「お兄ちゃんに言われたくないな」
お人好しはカデルのほうだ。ノイムの頭のなかにはいつだって打算が渦巻いている。
今だって、未来の話を振ったのは、ノイムの旅路にカデルを引きずりこめないかと考えたからだった。ノイムたちのような境遇にいる子供を想ってとか、ましてや世界平和のためなんかではない。
自分が悲しまないため、自分が気持ちよく幸せを掴むため、自分の寝覚めが悪くなるから、自分が蒔いた種だから尻拭いを……ノイムの判断基準はいつだって利己的だ。だからこそ、代理勇者時代も、自分は代理だといってはばからなかった。魔王をこの手で斃す気なんてこれっぽっちもなかったのだ。
もしかすると、その意志の弱さが生死を分けたのだろうか。
「じゃ、その後のことは、みんなを助けてから考えよう」
捕らぬ狸の皮算用ともいう。まずは目の前のことに集中しよう。
「ああ」
「もうすぐ春だし、新しい生活を始めるにはちょうどいいよね」
ノイムとカデルは、ひっそりと笑みを交わした。




