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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
一章 代理勇者の出奔
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1.転生、ふたたび

 魔王城に乗り込む二日か三日前のことだった。


 屋台の店主が客を呼び込む隣で、ノイムは積まれた木箱のひとつに腰かけていた。手にはざく切りにされた肉の串焼きを握っている。今しがた屋台で買ったものだ。


「寄り道している場合ですか」


 頭上からため息が落ちてきた。

 ラヴィアスである。彼は立ったまま、道行く人に視線を走らせていた。彼の傍にいるのはノイムだけで、ノイムの傍にいるのもまた、ラヴィアスだけだ。ここまで一緒に旅をしてきたはずの仲間の姿はどこにもない。


 それもそのはず、ノイムとラヴィアスは仲間とはぐれてしまったのである。


「焦ってもしょうがないし。一旦落ち着こうよ」


 町の中央を貫く目抜き通りには、数多の屋台が立ち並んでいる。

 当然、行き交う人々の数も相当なものだった。雑踏はもちろん、あちこちで交わされる商売の会話や、この町に根を下ろしている人々の井戸端会議。様々な音が耳に飛び込んでくる。


 この目で見るまでは、しょせんは魔王城の城下だと侮る気持ちがあった。大して発展していないだろう――つまり、はぐれた仲間とも早々に合流できるはずと高をくくっていたのだ。だからこの賑やかさには一発で心が折れた。


 早い話、ノイムは諦めたのである。

 彼女の視線はすでに、手に入れた串焼き肉にのみ注がれている。


 ノイムは肉にかぶりついた。突き立てた歯が、焼き色のついた皮をぷつりと破る。

 とたん、ノイムの背中が跳ねた。


「アッ……つ!」


 唇で触れた温度からは想像もつかない熱々の肉汁に、口のなかを蹂躙された。噛み切られた肉からこぼれた汁が、スカートにぼたぼたと落ちる。


「お店の方も、焼きたてだとおっしゃっていたでしょうに……」


 二度目のため息。

 屈んだラヴィアスが、懐からハンカチを取り出してノイムのスカートを拭った。もともと長旅の影響で薄汚れていたスカートが、飛び散った肉汁の染みでさらに悲惨なことになっている。

 懲りずに肉を頬張ったノイムは、空いた手でラヴィアスを制した。


「いいよ、落ちないでしょ。それより、ほらっ」


 食んだ肉を串から引き抜く。ラヴィアスの顔がすぐ傍に来たのをいいことに、彼の口に串焼きを押し込んだ。


「むぐっ」

「ラヴィーさんも食べて」


 突然の暴挙にさらされ、ラヴィアスは恨めしそうにノイムを睨む。

 しかし彼はノイムとは違う。熱さに参って汁をこぼすなんて無様な姿は見せなかった。顔をしかめながらも、くわえた肉をしっかり咀嚼する。彼のシャープな顎が動くたびに、眉間に刻まれていたシワがほどけていく。

 ごくんと肉を飲み込んだときには、表情からすっかり険が取れていた。


「……美味しいですね」

「でしょ」


 ラヴィアスの頬がほころぶのにつられて、ノイムも笑顔になる。肉をまたひと口かじった。こぼれそうになった肉汁を、上を向いて飲み下す。


 雲より低い位置にぽっかりと浮かんだかたまりが視界をかすめた。

 黒い絵の具で塗りつぶしたような城だ。地面ごとえぐって空中に持っていったのか、城の底には切り立った崖がこびりついている。


 ノイムたちの最終目的地、魔王城である。


 空中の城というとロマンチックなイメージが先行するが、この国にあるのはそんな可愛らしいものではない。

 あの城の主たる魔王は、もともとあった国を人間の手から奪って我がものとした。その際、王侯貴族のほとんどが首を討たれたと聞く。この国に住む人間の恨みを多分に買っている自覚は、魔王にだってあるはずである。


 となると、わざわざ王城を空中の城なんてものに仕立て上げた理由もおのずと知れよう。


「……魔王城がすぐ傍にあるのに、町は結構普通なんだね」


 どこにでもあるただの町である。気になる点といえば、人々が決して空を見上げようとしないことくらいだろうか。


「自然体で暮らすことが一番の防衛策だと、彼らもわかっているのかもしれません」

「どういうこと?」

「あからさまに警戒したり怯えたりしては、逆に魔族や魔王の不興を買うと考えているのでしょう。魔王が君臨する前後で態度を変えないことで、自分たちは国の頭が誰だろうが気にしないし、反乱を起こすつもりもない。無害な一般人だから見逃してくれと示しているのではありませんか」

「なるほど、わかりやすい」


 大きく頷いたノイムに、ラヴィアスが「もちろんなんの根拠もない私の想像ですけれどね」と釘を刺す。それに適当な返事をしたノイムは、最後の肉を飲み込んだ。


「食べ終わったのなら行かなくては。皆、我々を探していますよ」

「どこにいるかなぁ」

「近場の宿屋を当たるか……いっそ入り口まで戻っておとなしくしていた方がいいかもしれません」


 向こうもノイムたちを探しているだろう。同時に動いては入れ違う可能性も大きくなる。仲間の人数比からすれば迷子になっているのはノイムとラヴィアスなので、むやみやたらと歩き回るのは得策ではない。


 決まりだ。ノイムは立ち上がった。


「おじちゃん、ごちそうさまっ。美味しかったよ!」


 空になった木串を店主に渡して、先に歩き出したラヴィアスを追う。


「ずいぶん気に入ったんですね」

「自分で焼いたらあんなふうにはできないもん。あとでみんなを連れてもっかい来ていい?」

「そういうのは、ちゃんと合流してから言いなさいね」


 三度目のため息である。ただ、振り返ったラヴィアスの顔には微笑が浮かんでいた。仕方がないなとでも言いたげな、ちょっと呆れた色が乗ってはいたものの、それは決して、悪いものではなかった。


 悪いものではなかった、と思う。


「ねえ、本当に私が魔王城に行かなきゃだめ?」

「ここまで来たんですから、覚悟を決めましょう」

「でも、私、そんなつもりじゃなかったのに」


 ノイムが魔王を斃すために、特別になにかをしたことは一度もない。


 ノイムはただの代理だ。

 十年以上前に()()()()本物の勇者の代わりに立った、代理勇者である。周りにはずいぶん担ぎ上げられたが、ノイムの旅の目的はあくまでも「勇者の捜索」だ。魔王討伐を目標に掲げたことはなかった。


 その証拠に、腰に下げた勇者の剣は、ただの一度も鞘から放たれたことがない。

 ノイムの武器はあくまでも、背負っている大弓だ。勇者にしか扱えない特別な剣などではない。


「大丈夫、あなたなたらできます」


 ラヴィアスは破顔した。厚い睫毛に覆われた目が弧を描き、血色の良い唇から白い歯が覗く。見た者を安心させるとびきり綺麗な笑顔だった。


「そうかなあ」


 こうも断言されては、はっきり否定することもできない。ノイムは曖昧な返事をした。


 あのときのラヴィアスは、どんな気持ちでノイムと向き合っていたのだろう。

 ノイムを殺すと決めた心で、ノイムに笑顔を向けていたのだろうか。


 もう、知ることはできない。


 ▼ ▽ ▽


 抜けるような青空が視界いっぱいに広がる。

 単調な空だった。コバルトブルーの絵の具をそのまま塗りつけたようで、ひとかけらの雲もない。


(死後の世界……?)


 ノイムはたしかにラヴィアスの大剣に貫かれたはずだ。

 心臓を刺されたどころではない。それ以上だった。肺から胃から腸から、なにからなにまですべてをかき混ぜて、内臓をめちゃめちゃにされた。なのに痛みがまったくないのである。

 どころか、毛布に包まれたような心地よさが全身を満たしていた。


(魔王に負けて死んだ場合って、たどり着くのは天国なのかな)


 世界を救えなかったことが罪になるとすれば、地獄行きは間違いないだろう。

 しかし、思わずまどろんでしまうこのぬくもりが、地獄で享受できるものだとは思えない。


(あるいは)


 そもそも死んでいない、という可能性もある。


 ノイムは既に一度、死を経験している。生まれ育った現代日本から異世界に転生したときのことだ。

 となれば、再び転生した可能性は十分にある。


 ぎぎぃ、と重たい音がした。


 魔王城で扉を押し開いたときのことが思い出されて、ノイムの胸の内にもやもやしたものが湧き上がった。膨らんだ感情とほとんど同時に、うあぁん、と赤子の泣き声が響く。

 やたらと頭に反響する声だった。近い……どころか、耳のすぐ横で響いている。


「捨て子だ……いつの間に」

「最近多いですねぇ」

「我が院としては――」


 泣き声の合間に、男女の会話が聞こえてくる。ノイムの視界に、初老の男が映った。ノイムを覗き込んでいる。体がやけに大きい。というか、覗き込むにしても少々屈み過ぎではなかろうか。地面に膝までついている。


(というか、今、捨て子って言った?)


 違和感を覚えた刹那、ノイムは男に抱き上げられた。男の頭を見下ろす格好になる。こうなると、違和感はもうほとんど確信となって、ノイムに答えを示そうとしていた。


「名前は……ないようだね。名付けもしてもらえなかったか。可哀想に」

「今日からあなたもうちの子ですよー」

「同じ年頃の子は多い。賑やかになるな」

「お世話のことを考えたら少しだけ頭が痛いですけれど」


 ははは、と男は朗らかに笑った。


「苦労も今だけだよ、アリサ。巡り巡って、最終的には私たちのためになるんだから」


 いつの間にか、赤子の泣き声は止んでいた。ノイムの口から「あぅ」というつたない声が漏れる。「わたし」と言おうとしたのに、音が言葉になることはなかった。


 わたし、赤ちゃんになってる。


 ノイムの驚きはそのまま、涙に変換された。

 うああん、とふたたび響いた泣き声は、紛れもなくノイム自身のものだった。ようやく実感した。


 ノイムはどうやら、二度目の転生を――今度は赤子として――果たしたようである。

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