126.新たな爆弾、投下
待て待て待て。そんなわけがあるか。
昨日の夕食では、身辺が落ち着いて、エクシアが元気になったら、息抜きに狩りにでも行こうという話になっていた。しかしそれでは、ひとりで馬に乗れぬ姉妹が退屈してしまうのではないかと、ラヴィアスが気遣った。ねえ、と視線を向けられたのを覚えている。ノイムはシンシアと一緒になって、「そんなわけない」と答え――。
(――て、ないな。お姉ちゃんが返事をしたんだ。「ひとりで乗れなくたって、誰かが一緒に鞍に乗せてくれるんでしょ? それだけでもう楽しいよ。ねえノイム?」って)
それでようやく、ノイムは頷いたのだ。たしか、肉だかなにかを頬張っていた。
食事をしているのだから当たり前だろう。口いっぱいに食べものを詰めこんでいては、話すことなどできるわけがない。一昨日もその前も、その前の前の日も、どの食事風景でも、ノイムはラヴィアスから渡された会話のバトンをそのまま横流ししていたが、食べている最中で返事ができなかっただけだ。
(ごはん食べてたんだから仕方ない……よね?)
やめよう。もう少し違う場面を思いだせばいい。たとえば、そう、エクシアから屋敷に招待されたときのことだ。ノイムたちは顔を突き合わせて、全員の意見を取りそろえた。こういうときに会議を主導するのはラヴィアスの役目になりつつある。
(……いや、あのときは私とシャティアとお姉ちゃんだけで決めたんだった)
そうだ、ラヴィアスは「私はエクシア団長に世話になるも、サルシャの町に残るも、どちらでも構いません。三人で好きに決めてください」と真っ先に意見を投げ捨てたのである。
落ち着こう。全員で一緒にいるときばかり思いだすからいけないのだ。大勢でいれば、そのうちのひとりと面と向かって言葉を交わす機会が減るのは必然である。
トワンを倒した日の帰り道はどうだろう。
シャティアと森の途中で分かれ、ラヴィアスとノイムのふたりきりになった。ノイムを動揺させた例の台詞ののち、エクシアを拾うまでは、ノイムもラヴィアスも黙りきりだった。しかし、それもエクシアと合流するまでの間だ。
『無事だったか』
てっきり気を失っていると思っていたエクシアは、しっかり目を開けていた。
なんなら、ノイムが最後に見たときよりもよほど元気そうだった。相変わらずエクシアの周囲にはおびただしい量の血が水たまりのように広がっていたし、彼は木の幹に背中を預けて座りこんだまま、自力では一歩も動けないようだった。ノイムが血止めに使ったポンチョも、赤を通り越して真っ黒に濡れていた。顔色だって紙のように白い。
しかし、意識も声もしっかりしていた。眼にも強い光が宿っている。
おまけに、トワンに吹っ飛ばされたはずの右腕は、綺麗にくっついていたのである。
剥き出しの二の腕には痛々しい傷跡が刻まれていたが、瑞々しい色をして、きちんと生きていた。
『他人の腕のように感覚が遠いが、わたしの意思できちんと動かせる。片腕で生きていくつもりでいたから、本当に、ラヴィアスどのには頭が上がらないよ』
『この出血量では、繋いでも無駄かと思ったのですがね。なかなかどうして、しぶとい』
ラヴィアスに真正面から「死んでいると思った」と言われて、エクシアはおかしそうに声を立てて笑った。
『こう見えて、わたしは生き汚いものでね』
血の気が失せて死んだような顔でこれを言うのだから、めちゃくちゃである。説得力があると肯定すればいいのか、ないと否定すればいいのか、ノイムには判断がつかなかった。
ひとしきり笑ったエクシアは、ラヴィアスに肩を借りて立ち上がった。澄んだ碧い瞳がラヴィアスを見、ノイムを見、さらにその背後に向けられる。
『シャティアさんの姿が見えないようだが?』
この疑問に、気まずく頬をかいたのはノイムである。
『忘れものを取りに戻ったの。私が忘れちゃったんだけど……シャティアの家族の首』
一瞬、エクシアの顔があからさまに「そんな大変なものを忘れたのか」というかたちになったが、彼は懸命にも、それを口には出さないでくれた。
『ということは、あの魔族は倒したんだね』
ノイムは黙って、エクシアの視線をラヴィアスに誘導した。話を振られたラヴィアスは、軽く顎を引いただけで答えた。
以上、回想終了。惨敗である。
一週間分の記憶を洗った結果、ノイムはラヴィアスと一切の会話をしていないことが判明しただけだった。
「………………話してない、かも」
「ほらやっぱり!」
シンシアが身を乗り出して語気を荒くする。
これはもう、ノイムが彼を避けているとしか言いようがなかった。胃が痛くなってくる。ノイムの態度に、ラヴィアスが気づいていないわけがない。彼が気を悪くしていなければいいのだが……あるいは、彼のことだから、ノイムの態度が妙な理由まですっかり承知しているかもしれない。
問題は、その上でラヴィアスがノイムのことをどう考えているか、である。
ノイムの不安は結局、同じ地点に戻ってくる。
(いっそ正面から聞いてしまおうか……)
ガラスのハートを守るには、無神経になり切るのもいいのかもしれない。
(いや、駄目だよ。下手を打ったら殺されるかも)
そもそも、それが心配で踏み込めずにいるのである。
だからって、いつまでもこのままでは駄目なのだ。ラヴィアスとの関係はこれからも続いていく。カデルの捜索をお願いした以上、少なくともそれに決着がつくまでは、縁が切れることはないし、切りたくない。ノイムは「勇者の素質」という爆弾も抱えている。
ラヴィアスとは、可能な限り良好な関係でいるべきだった。
(良好な……)
仲がいいと思っていたにも関わらず、躊躇もなく殺されたのが前世である。
(あ、なんか、果てしなく落ち込んできた)
ことこの話に関しては、もう、ノイムがいくら考えても答えは得られない。そんなの、赤子として転生した六年前からずっとわかっている。わかっているのに、こうして考えてしまうのだから、不毛にもほどがある。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに。ラヴィアスさんと仲直りしたい?」
「いや、仲直りというか……ラヴィーさんって、私のことどう思ってるんだろう」
シンシアのぱっちりした目が、さらにまあるく見開かれた。
「……恋?」
可憐な唇から落とされたのは、恐ろしい単語だった。
「ちがう!」
力いっぱい叫んだところで、ノイムはテーブルの天板に膝をぶつけた。痛い。背中を丸めて唸ったときである。
ノックの音が響いた。
間髪入れずに部屋の扉が開かれる。
「ずいぶん楽しそうじゃないの」
立っていたのはシャティアだ。返事を待たずに入室するあたり、非常に彼女らしいといえた。これまた許可を得る前にさっさと歩いてくると、ノイムの隣にどっかと腰かける。シャティアがあんまり勢いよく腰を落としたので、ノイムはソファーの上で二度ほど跳ねた。
気づけば、ノイムの手からティーカップが奪われている。
「私のお茶……」
ノイムのじとっとした目もものともせず、シャティアは茶を一気に飲み干した。
自分の飲みものが無事なのをいいことに、シンシアもまったく気にしていない。こちらも「なんとか言ってよ、お姉ちゃん」というノイムの視線を無視して、シャティアに問いかけた。
「今日は帰ってくるのが早いんだねえ」
「まあね」
「村のお片付け、終わったの?」
シャティアが音を立ててカップを置く。陶器の擦れる、耳障りな音がした。
「いや、追い出された。村長が、ノイム共々、もう二度と戻ってくるなってさ」




