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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
五章 代理勇者の助太刀
126/128

125.回避、無意識に

 サルシャの町の外れに、大きな屋敷がある。

 貴族の邸宅と呼ぶにふさわしい規模だ。ただし、一見してそうとは思えないほど、その一帯はくたびれた外観をしていた。


 庭には装飾がまったく施されていない。

 整えられた芝生が広がるばかりで、あとは好き放題に枝葉を伸ばす庭木が、塀に沿ってちらほらと植えられているだけだ。端のほうには花壇らしき囲いもあったが、今はろくな手入れもされていないらしい。ありとあらゆる雑草が、灌木(かんぼく)と見まがうほどに伸びていた。


 端々に杜撰さがみられる庭ではあるが、広さだけはある。おかげで門扉の向こうからは、屋敷の全景が見渡せた。

 複数の棟が組み合わさったような建物は、石を積み上げたままの灰色の壁をさらしている。屋根もまた壁とほとんど同系色の地味な装いで、見た者に、サルシャの町と似たような武骨な印象を与えた。


 サフィート男爵家の邸宅である。


「よければ我が家に招待しよう。この大変なときに、わたしだけ休んでいるのも気が引けるからね。せめて居心地のよい宿を提供させてもらおうと思うんだが」


 シャティアの過去の因縁を絡めた一連の事件から一週間。

 ギリギリのところで一命を取り留め、自宅での療養と相成ったエクシアの厚意により、ノイムたちは彼の実家に身を寄せていた。


 ふかふかのベッドに、暖炉の火でしっかり暖められた部屋。食事の際には惜しみない量の香辛料で味付けられた肉が、満腹になってもまだ余るくらいに出てくる。

 トワンが起こした騒ぎの後処理にせっせと立ち働いているシャティアやラヴィアスだけでなく、本当にただ世話になっているだけのノイムやシンシアまでこの待遇なのだから、間違いなく今までで一番良い生活環境である。


 むしろノイムやシンシアにとってこそ良いといえた。


 たとえば、大きな窓から落ちてくる午後の日差しを受けながら、腰が沈みそうなほどやわらかいソファで体を伸ばすとか。

 目の前に据えられた背の低いテーブルに、砂糖がふんだんに投入されたお菓子と、香り高いお茶とを用意するとか。

 それらを楽しみながら、おしゃべりに花を咲かせるとか。


 自堕落ともいうべきこの時間の過ごしかたは、取り立てて仕事のないノイムやシンシアにしかできないことだった。シャティアとラヴィアスは、昼間のうちは屋敷にいないからである。


 今日のおやつはサンボケードだった。

 焼き色のついた上面に、シロップ漬けのベリーが敷き詰められている。口元に持っていくとチーズの香りがした。加えて濃厚でしっかりとした食感。


 いわゆるベイクドチーズケーキである。

 ノイムにとっては安心感すら覚える甘味だった。この世界ではケーキと呼べるスイーツが少ない。


 似たようなもので、パンやパイがせいぜいだろう。あとはプディングか、揚げものにも甘味に該当するものがある。これらは以前、シンシアがトパ孤児院に遊びにきていたとき、差し入れに持ってきていた品々だった。


 前世ではスポンジケーキが無性に恋しくなった時期もあったが、代理勇者の怒涛の毎日に、そんな贅沢なものを作っている暇はなかった。

 そもそも暇があったとして、作れない。

 母親の誕生日に愛娘の手作りケーキをと考えて、レシピを見ながら焼いても失敗するのが十津月乃夢という少女だった。せんべいよりもなお固くガチガチなったケーキを、涙を流しながら食べていた母親の姿を覚えている。


 とにかく、ノイムは今日のおやつをいつにも増して大はしゃぎで食した。

 向かいに座ったシンシアも、シロップ漬けの甘さとケーキの甘さに頬を染めて歓声を上げていた。要は砂糖の暴力的な甘さが嬉しいのだった。


 美味しいものを食べると、人は黙る。

 それぞれに供されたひと切れのサンボケードを食べ終わるまで、ふたりは無言だった。



 口が空くなり、女子特有の話題がころころ変わる怒涛の談笑が始まった。


 シャティアが「ベッドがやわらかすぎて落ち着かない」と毎日のようにぼやいている。こっそり入った書斎の本棚の隙間にだれかの日記が隠されていた。許可をもらって庭の隅にある花壇の手入れができないか。エクシアがベッドから起き出している姿を見かけるが、顔色がまだ良くない――話題が尽きることは、この姉妹に限ってあり得ないことだった。


 シンシアの一言がノイムの心臓をぐさりとやったのは、その雑談の合間である。


「ねえ、ノイム。ラヴィアスさんと喧嘩したの?」

「ぶはっ」


 ティーカップを傾けていたノイムは、危うくお茶を噴き出すところだった。


「図星なんだ」

「いや、図星というか……言葉選びが予想外すぎて」


 喧嘩とは、ノイムとラヴィアスの組み合わせからもっとも縁遠い言葉だろう。思い返すかぎり、前世でも一度もしたことがない。ほかの旅の仲間と、ラヴィアスとで意見がぶつかっているところは、何度か見たことがある。ノイムは大抵、叱られる係だ。


 今世でも似たようなものだった。

 ノイムが一方的に怒られるか、ノイムが一方的に嫌われるか、ノイムが一方的に顔色を窺うか、ノイムが一方的に不満を抱くか――要は、喧嘩として成立しないのである。この点、前世よりもなお悪いかもしれない。


「喧嘩じゃなくても、なにかあったよね。こっちに来てから、ノイム、一回もラヴィアスさんと話してないよ」

「まっさかぁ」

「本当だってば。あたしずっと見てたもん。ラヴィアスさんの前だと、ノイムがちょっとおかしくなるから」


 それは否定しない。なにしろノイムは、ここ一週間、ラヴィアスのことを意識しまくっている。すべてはひとえに、トワンを殺したあの日の、ラヴィアスの発言が要因である。

 怒られるならまだ理解ができた。嫌われても納得できた。見捨てられても受け入れられた。

 でも、あれは予想外だったのだ。


『あなたはどうも、私の情に訴えるのが上手い』


 これを本人から面と向かって言われては、動揺するなというほうに無理がある。


 ラヴィアスはいったい、どんな感情であの台詞を放ったのだろう。

 ノイムはこういう人間だから仕方ないと笑って許してくれたのか、ノイムはこういう人間だから仕方ないと軽蔑して諦めたのか。同じ仕方ないでも、そこに込められた心は天と地ほどにも違う。


 ここで踏み出す一歩を間違えた場合、終わるのはラヴィアスとの関係などではなく、ノイムの人生だった。ラヴィアスの一挙手一投足に気を配って、自身の態度を決めなければならぬと緊張するのも当然なのだ。

 だからラヴィアスの前で、ノイムの挙動がおかしくなるのは本当である。


 しかし一言も言葉を交わしていないかというと、それは否定したい。だってそれでは、ノイムがラヴィアスをあからさまに避けていることになる。


 同じ屋根の下で寝泊まりしていて、昼はともかく、夕飯時には同じ食卓を囲んでいる。もちろんその場にはシンシアとシャティアもいて、エクシアもいて、毎晩それなりに盛り上がりながら食事を取っているのだから、会話がないなんてことはあり得ない。


「お姉ちゃんが見てないだけだよ。一言も話してないわけ――」


 そう、一言も話さないなんてことは。

 へらりと笑って片手を振ったノイムは、そこで固まった。


 今日、昨日、一昨日――記憶が走馬灯のように脳裏を駆け抜けて、時間をどんどん遡っていく。サフィート男爵家に来てからの一週間、ノイムはラヴィアスを意識しまくっていた。彼と会ったときのことは、その瞬きの数に至るまで、というのはいくらなんでも大袈裟だが、とにかくラヴィアスと会った場面はおおむね覚えている。


 覚えているから、記憶を遡るごとにノイムの笑みが引きつった。

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