124.征伐、知らぬ間に
西の空の端が、オレンジ色に染まりはじめていた。一日が終わろうとしている。終わろうとしているのに、ともすればあれが朝焼けかと勘違いしてしまいそうだった。
なにしろ今日は働きづめだった。
闘技場でトワンに襲われてから今まで、まだ半日しか経っていないとは信じられない。闘技場でシャティアの応援をしていたのが、もう何週間も前のような気がする。騎士団の詰所を飛び出して冒険者ギルドに向かったのは昨日のことではなかったか。ノイムにとってはなにもかもが遠い昔の出来事だった。
冬の風が火照った頬を冷ましていく。
空気はもう、トワンの魔法の冷気を含んではいなかった。ただ純粋に、気候に相応しい冷たさをはらんでいた。
「っくし!」
寒い。当たり前である。
防寒の役目を担っていたポンチョは、エクシアの止血をするために脱いでしまった。あれがなければノイムの装いはただの薄着である。先ほどまでは無我夢中で戦っていたから、むしろ暑いくらいだったが、動きを止めた今は余裕で寒い。額や背中にぐっしょりとかいた汗のせいでよけいに冷えてくる。
くしゃみをさらに二度、三度重ねて身震いした。
「風邪をひかないでくださいよ」
視界が陰る。とたん、ノイムの頭に大きな布が落ちてきた。
ラヴィアスのコートだった。
当のラヴィアスは上着を脱いだことで、体のラインにぴたりと沿う黒いインナーと、襟ぐりの大きく開いたシャツを外気にさらしている。
「それじゃあラヴィーさんが寒いんじゃないの?」
「馬鹿にしてます?」
「ハイ黙ります」
ついつい素で声をかけてしまったが、今のラヴィアスはご機嫌斜めなのだ。しかもその原因はノイムだった。気遣いひとつとっても、特にそれがノイムからのものであれば、ラヴィアスにとっては逆効果である。
(だいいち、ラヴィーさんなら体温調節なんてちょちょいのちょいだよ……)
魔法の無駄遣いはラヴィアスの専売特許だ。
闘技大会の折、ワインが冷めないように手元で温め続けたり、食べ終わったゴミをどこかに転移させて処分したりしていたのがよい例である。保有している魔力が莫大だからこそできる芸当だった。
「くだらないことを心配していないで、帰りますよ。私の仕事は終わりましたからね」
バッサリ切り捨てられて「ひぃん」と情けない声を上げたノイムは、被った上着ごとくるんで持ち上げられた。そのまま腕に座らされる格好でラヴィアスの胸元に収まる。
ノイムの目線がぐんと高くなった。
落ちはじめた太陽から差しこむ明かりが、村はずれの川面に反射して輝いている。その手前の耕作地も、見事に赤く染まっていた。
いや、耕作地のほうは、夕陽のせいばかりではない。
あぜ道からむき出しの畑の土にかけて、赤黒く艶めく液体が大量に流れ込んでいる。
水よりもどろりとしたそれは、無論、血である。
ノイムの肌から体温を奪う風が、むせ返るような鉄さびの匂いを運んできた。
おびただしい量の血だまりの中心に沈んでいるのは、肩ごと斬り落とされた右腕。心臓のあたりに大穴を空けた胴体。そしてその胴体から分かたれて転がっている首。
驚愕の表情を貼りつけた首は、トワンのものだった。
「……死んでるね」
「生きていたら困ります」
呆れられたが、違う。ノイムは別に、あれが生きていると思ったわけではない。ただ驚いたのだ。だって、この殺人が行われた瞬間を、ノイムは目撃していない。
肉を断つ音ひとつ、トワンの悲鳴ひとつ聞かなかった。
(知らんうちに気絶でもしてたかな……)
ラヴィアスの手にかかれば、どんな大事件だってあっけない終わりを迎えてしまう。わかっていたことだし、それを期待して彼を巻きこんだ部分もある。
それはそれとして、である。
自分が大苦戦した相手が知らないうちに骸をさらしている。
複雑な気分になるなと言うほうが無理があった。
「生かしておきたかったんですか?」
「生かしておいてって言ったらできたの?」
「そんな余裕はありませんよ。危うくシャティアの首を落とされるところだったんです」
余裕がないと言うわりに、トワンの首を刎ねて右腕を斬り落としている。
心臓の大穴は回復力のある魔族の息の根を確実に止めるためとしても、妙に作為的な殺しかたである。どうしてもシャティアの家族に対する餞と、大怪我をしたエクシアのための返礼としか思えない。
とはいえ、そんなことを指摘したらさらにラヴィアスの機嫌を悪化させそうだ。ノイムは沈黙を守った。
その間にラヴィアスはシャティアを拾って、荷物のように肩に担いでいた。片や幼女、片や少女とはいえ、両方をいちどきに運んでしまうとは大変な膂力である。もちろんノイムは今さら驚いたりしなかった。
「エクシア団長は見つけた?」
「ええ。一応、治してはおきましたが……今ごろは気を失っているでしょうね。血の流しすぎです」
「運んで帰るの?」
「そうするしかないでしょう。さすがの私でも三人は同時に抱いて運べませんから――」
「私、歩くよ」
「当たり前です。いやだと言っても降ろしますからね」
ノイムはふたたび「ひぃん」と情けない声を上げた。ラヴィアスの当たりがきつい。
ふたりの声は村内によく響いていた。
ほかに会話をする者がいなかったのである。村は静かだった。
命拾いをした村人たちが物陰から顔を覗かせている。子供たちの姿もあった。アダン、メリィ、ハーレ、ソルノ、エイミー、ハナ……全員無事らしい。ソルノが必死の形相でこちらに向かおうとしているが、ルーダに捕まって阻止されていた。
それでいいと思う。ノイムは短く息をついた。
トワンの死体を片づけるまで、子供たちは家のなかに押しこめておくべきだ。ただでさえ、ノイムとシャティアが繰り広げた死闘のせいで、ずいぶん酷いものを見せてしまった。トラウマなど残らなければいいがと考える。
せめて「私たちは大丈夫だよ」と知らせるために、ノイムは彼らに手を振った。
▽ ▽ ▼
シャティアが目を覚ましたのは、森に入っていくらも行かないころだった。
「トワンは!?」
不意に、まぶたをカッと見開いた彼女は、ラヴィアスの肩の上で思いきり跳ねたのである。まるで陸に打ち揚げられた魚の勢いだった。
危うく彼女を取り落としそうになって、ラヴィアスが体勢を崩す。
彼の首にしがみついていたおかげで、激しく振り回されるだけで済んだノイムは、疲労の滲む声でシャティアの絶叫に答えてやった。
「死んだよ。ラヴィーさんが殺した」
ラヴィアスの肩越しに、ノイムとシャティアの目が合う。
そこでシャティアは、初めて自分が置かれた状況に気づいたようだった。ラヴィアスの肩に手を置いて背を伸ばし、銀のつむじを見下ろす。
「……なんでラヴィアスさんがここにいるわけ?」
「ノイムに聞いてください」
ラヴィアスはシャティアをちらとも見なかった。ただブーツのつま先で落ち葉をかき分けながら、せかせかと足を運んでいる。
シャティアの視線がラヴィアスのつむじからずれた。戸惑いを浮かべた空色の瞳がノイムへと向けられる。
ノイムはラヴィアスの様子を横目で窺ってから、なるたけ平然を装って告げた。
「ギルドに出した依頼、ラヴィーさんを指名したの」
「はぁ?」
つんと吊り上がったシャティアの目が、まん丸に見開かれる。彼女はノイムとラヴィアスを何度も見比べて、得も言われぬ珍妙な表情をした。
「……あたしは無理に巻きこんでごめんって言うべきなのか、嫌だったはずなのに手を貸してくれてありがとうって言うべきなのか」
「お礼のほうが嬉しいですね。私はあの村のためではなく、シャティア、あなたのために動いたんです」
私のときは怒ったのに! とは、懸命にも口に出さなかったノイムである。
「ありがと、ラヴィアスさん。あたし、もう死んだと思ったわ」
「生きていてくれてよかったですよ。駆けつけた意味がなくなってしまいますからね」
死に損ないがふたりとか言っていたじゃないか! とは、これも舌に乗せる真似はしなかったノイムである。
いい加減に居心地が悪くなって、ラヴィアスの腕から降ろしてもらった。裾を引きずるからと言ってコートを取り上げられたのはご愛嬌である。おかげでくしゃみを三度ほど連発した。
「あたしも降ろしてよ。自分で歩ける」
続いてシャティアも地面に飛び降りる。
ラヴィアスを前に置いて、ノイムとシャティアは肩を並べた。
「そういえばノイム、父さんたちの首は?」
「アッ」
ノイムの両手は空だ。
大事な家族の首を傷つけてはならぬと戦いの最中に託され、シャティアの家に安置して、そのまま忘れてきてしまった。
「ごめん……」
「いいよ、安全な場所に隠してくれただけでもありがたいもの。ちょっと行ってくるわ。ついでにトワンの死体確認して……あたしが起こした騒ぎだから、片付けもしないとね」
「そんなに動いて大丈夫? さっきまで気絶してたのに」
「平気に決まってるだろ。あたしの頑丈さなめんな」
あとで合流しようと一方的に言い置いて、シャティアは風のように駆け去ってしまった。
「……あれだけ元気なら、村に放置してきてもよかったかもしれませんね」
「それじゃあんまりだよ、ラヴィーさん」
たしかにここまで運んできたラヴィアスの労力はまったくの無駄である。とはいえ、少女のひとりやふたり運ぶくらい、ラヴィアスにとっては大した負担でもないだろう。彼も口で言うほどうんざりしてはいないように見える。
ノイムに対する態度と違って。
「あの……やっぱり、怒ってるよね?」
「当然です。正面から助力を求めるならまだしも、あんなあくどい手を使って……」
「ごめんなさい。でも、助けてほしいってお願いしたら、ラヴィーさん、断る気がして」
「当然です」
これっぽちも悪びれる様子なく言い切られてしまった。こうなると返す言葉もない。
自分の心臓にも悪いので、ノイムは話を替えることにした。
「村の人たちとは話した?」
そこで選ぶ話題がこれなのだから、自分で自分の首を絞めるようなものである。
もっとよく考えてから発言しろよ、と後悔した。しかし一度放った台詞は二度と戻らない。ラヴィアスの耳にもしっかり届いてしまった。
「いいえ」
「あの人たち、自分の祖先がなにをしたのか知らないと思うよ」
「でしょうね」
気のない返事ばかりが来る。いっそありがたいと思ったノイムだったが、次にラヴィアスが落とした呟きに、つい足を止めた。
「あのころの街の人間も同じです。自分たちがなにをしたのか、真に理解してはいなかった」
「え?」
ラヴィアスはどんどん先に行く。ノイムの声など聞こえていないようだった。
「どうして私の家族は殺されなければならなかったのか」
それはほとんど独り言だった。
「私はいまだにわからない」
遠ざかる背中を見つめることしかできない。ラヴァイスの声も次第に小さくなっていくのだが、それは決して、聞こえなくなったりはしなかった。
「私たちはなにもしなかった。ただそこで暮らしていただけだ」
いっそ、聞こえなかったほうがよかった。
体の芯が冷えていく。寒さのせいばかりではない。
「シャティアさんも同じだろう。彼女も、彼女の家族も、そこで生活を営んでいただけだった。認めたくはないが……そこの、村の人間とて同様なのでしょう。彼らはなにもしていない。なにもしていないのに、すべてを奪われるのは――」
ノイムがついてきていないことに気づいていたのか、いないのか。ラヴィアスはそこでようやく、歩くのをやめて振り向いた。
「あなたはどうも、私の情に訴えるのが上手い」
ラヴィアスの赤い眼に映るノイムは、いったい、どのような顔をしていたのだろう。
ひぃひぃお待たせをしております……。
あとなんか評価が100ptを越えていて椅子から転げ落ちました。ありがとうございます。そろそろ五章も締めに入りますので、ひとまず見届けていただけると嬉しいです……六章の準備も始めないとネ……。




