122.死闘、及ばず
トワンにはいいところがひとつだけある。
目の前の獲物に夢中になるがあまり、ほかが疎かになる性質である。
闘技場ではノイムを攻撃した隙に、ラヴィアスの魔法で閉じこめられていた。あれがいい例だ。
前世でノイムが対峙したときからそうだった。
最初はシャティアに夢中で、ノイムの存在なんて頭から無視していた。ノイムが持っている長剣が勇者の剣だと気づいたら、今度はそればかりを警戒して、ノイムを先に始末しようと躍起になった。その隙を狙って、シャティアが打って出たのだ。
(懐かしい……)
ノイムは森の端に身を潜めながら、口の端を持ち上げる。
懸念したとおり、戦場はシャティアの村にまで移動していた。
偶然か、トワンが狙って誘導したのかはわからない。もはやそれは問題ではない。村の家々は実に半数が倒壊している。
シャティアが駆ける姿がちらりと覗く。
彼女の上半身はすっかり血に濡れていた。足運びもどことなく鈍っているようだ。それでもまだ耐えることができているのは、敵の狙いが集中しているからだろう。
トワンの高笑いと子供の泣き叫ぶ声が入り混じる。
(あの自惚れ魔族め)
シャティアの反応が面白いからと、村人に、特に子供にばかり攻撃しているに違いないのだ。どこまでも悪趣味な輩である。
だが、今はそれでいい。
ノイムは笑みを深めながら、村の外縁をなぞるように移動した。
馬鹿のひとつ覚えのように投げつけられる氷槍の群れを、シャティアが必死で防いで回っている。ひとかたまりになって震える子供たちと、手負いらしい村人の姿もある。
トワンの背中も見えた。
魔族の治癒力とは敵からすれば厄介この上ないものである。一対の黒翼はすっかり元どおりのようだ。シャティアの拳が絶対に届かない上空で常に羽ばたいていた。おかげで決してひとところに留まってはいない。
それでも今のノイムにとっては、大きな的が止まっているも同然だった。
肩から弓を下ろして、矢をつがえる。じっくり狙いを定める余裕すらあった。トワンはシャティアをいたぶるのに夢中だ。ノイムがこうして弓弦を引き絞っても、決して振り向きはしない。
どころか、気づいてすらいないに違いない。
渾身の一矢が風を切る。
トワンの体が大きく傾いだ。翼の根本近くに、ノイムの放った矢が深々と突き刺さっている。おそらく貫通しているはずだ。撃った手応えからしても、かなりの威力だった。
「さっすが、いい弓なだけある……!」
振り向いたトワンの頭を目がけてさらに一撃をお見舞いし――もちろんこれは避けられたが――ノイムは木陰から飛びだした。
「さっきの子供! 君、本当に余計なことばかりしてくれるね」
「あれ? 撃ってくれって背中でアピールしてたじゃん?」
「――グラスオグ!」
ノイムはこの氷槍を楽々と躱した。挑発に乗せられて放った魔法の照準なんてお粗末もいいところだ。
「さっきから見てたけどさ、あんたそれしかできないの? 一発屋?」
「君ねぇ……」
べーっとことさらわざとらしく舌を突き出してやれば、もうこちらのものだった。トワンは完全にノイムを標的に定めた。とことん学習しない魔族である。
ノイムはきゃらきゃら笑って村を駆け抜けた。開けた耕作地にまで足を伸ばしながら背後を窺う。
「グララーファ!」
それも氷魔法じゃないか! と鼻で笑う余裕は、さすがになかった。
氷のつぶてにどっと襲われた。
雹が降った日に外出するよりもひどい。雹を巻き上げた竜巻のなかに放りこまれたようなといえばいいだろうか。ノイムを中心にして、ピンポン玉大の氷のかたまりが次々と殴りかかってくるのである。
弓柄で弾いていくらか防いだが、無事で済むはずがない。こめかみを打たれ、脇腹を打たれ、手足を打たれてノイムはひっくり返った。
これで意識を刈り取られなかったのが奇跡のようだ。
氷弾が止んだとき、ノイムは頭から血をだくだくと流していた。弓は取り落としている。もっとも、握っていたところで役に立たなかったに違いない。当たりどころが悪かったようで、片腕が痺れていた。
がばっと身を起こすと、ちょうどトワンが目の前に降り立ったところである。
「まさか僕に対抗できるとでも思った? 一発当てたからって調子に乗らないでほしいなぁ」
抵抗する間もなく、ノイムは髪を掴まれた。引きずり立たされると同時に、頭皮からぶちぶちと嫌な音が響く。できたばかりの傷までひきつれてめちゃくちゃ痛い。
それでもノイムは笑った。笑ってしまった。
拍子抜けするほど、なにもかもが狙いどおりだったからだ。
「……そんなんだから負けるんだよ」
「は?」
訝しむトワンの顔は、しかし、すぐに驚愕へ変わる。
彼はノイムを放りだした。トワンの黒翼を、治したばかりの新品の翼を、籠手に包まれた手が掴んでいる。
トワンの顔が醜悪に歪んだ。
「シャティアぁ!」
「――だから、名前を呼ぶなっての」
骨を折り肉を断つおぞましい音とともに、トワンの悲鳴が響き渡った。
ふたたびもがれた翼は、無造作に地面に捨てられる。骨が突き出した傷口から、だくだくと血が滴り落ちる。あっという間に血の海ができあがった。
膝をついたトワンと反対に、ノイムは弓を拾って立ち上がる。
咄嗟にトワンの腰に目をやったが、考えることはシャティアも同じ――いや、彼女のほうがよほど気にかけていただろう。
「返してもらうよ、あたしの家族」
三つの首は、シャティアの肉親は、彼女の腕のなかに収まっていた。
鋭く細められた空色の瞳に、悲願を達成した感動はない。トワンに対する優越感もなかった。安堵もない。喜びもない。
前世と同じだった。
十六歳のシャティアの上に、今よりずっとおとなびた女拳闘士の立ち姿が重なる。
おとなのシャティアも、まったく同じ調子で家族を抱きしめていた。当時のノイムには、あまりにも平然としすぎているように見えて、それがなんだか異常なことであるようにも思えて、結局、シャティアに「よかったね」なんて月並な言葉もかけることができずに、黙ってしまった。
それで正解だったのだろうと、今では思う。
あれより十年早く家族を取り戻せた今日この日でも、シャティアはまったく同じ反応をする。かかった時間は、彼女にとって問題ではないのだろう。たとえ二、三年で片付いていたとしても、シャティアは同じように凪いだ心で、家族の首を抱いたに違いない。
ことこの一件に関しては、どのような結末を迎えようと、シャティアにとって「よかった」ことなんてひとつもないということだ。
失った故郷は戻らない。
故人は還らない。
敵は討った。同時に人生の目的もなくした。
見た目ばかりは生きているかのような瑞々しさを保つ母の首を、父の首を、兄の首を手にして、シャティアを襲った感情は、いったいなんだったのか。ノイムには推し量ることしかできない。想像だけで慰めの言葉をかけるなど言語道断だ。
「ノイム、頼んだ」
「えっえっ、エッ」
感傷に浸っていたら、シャティアの視線がこちらを向いた。
彼女の宝物もノイムに引き渡された。両手に余る三つの首を唐突に押しつけられては、怖気づくなというほうが無理がある。ノイムはおっかなびっくり受け取って、ひっくり返った声で生首とシャティアを見比べた。
「頼んだって、いったい、ど――」
どうすればと問い返す前に、ノイムの体は吹っ飛んでいた。
いくら持ち切れないとはいえ、他人の宝物を放りだすわけにもいかない。ノイムは胸に抱えた荷物を必死に庇いながら、ごろごろと地面を転がった。シャティアに突き飛ばされたのだと思いあたったのは、家の壁に背中をしたたか打ちつけて、回転する視界が完全に停止してからだった。
肌を撫でる、つんと張り詰めた空気。
鼻先をかすめて漂う氷の結晶。
陽の光を反射して輝く氷柱。
ともすれば幻想的とも思える光景だが、耳に届く咆哮が尋常ではなかった。殴打する音、地面が砕ける音、氷が割れる音。どれをとっても幻想とはほど遠い。
当たり前だ。まだ終わっていない。
前世ではトワンを殺してシャティアの家族の首を手に入れた。
今世ではトワンは死んでいない。翼をもいだだけだ。
ノイムは自分の頬を打った。
呆けている暇はない。しっかりしなくては。
痛む背中に呻きながらも立ち上がり、今しがた衝突した建物に飛び込んで――ちょうどシャティアの家だった――託された生首を安置する。そしてすぐに外へ出た。
かつてトワンと対峙したとき、ノイムは十六歳、シャティアは二十六歳だった。
今や六歳と十六歳である。
現在のノイムとシャティアが正面から当たったところで、勝算なんてない。
そんなもの、最初から存在していなかった。
ここから始まるのは負け戦だ。
ノイムにできるのは、シャティアが致命傷を負わないように援護して、自分が死なないように逃げ回ることである。
翼を失った魔族は地面に降りている。怪我で動きが鈍っているとはいえ、その足運びは、並みの人間が追いすがれるものではない。並みでなくても厳しい。
現にシャティアも、至近距離からぶっ放される魔法を捌ききれずにいる。
ノイムは弓を構えて、矢筒に手を伸ばした。
「……まずい」
手にした矢を見て愕然とした。
真っ二つに折れている。
二本目も三本目も同様だった。あれだけ激しく地面を転げたのだから、ついでに背中を思いきりぶつけたのだから、当然といえば当然のことだ。その前にはトワンの手で散々に痛めつけられた。思えばこれで矢が無事だというほうがおかしい。
矢のない弓ではただの飾りだ。
半ば絶望的な気持ちになりながら、ノイムは戦場から視線を剥がして駆けだした。迷っている暇はない。狩りで使う弓矢を探す。なければ剣でもいい。とにかく今すぐに役立つものを手に入れる。
ノイムのこのタイムロスは、言わずもがな、致命的な間を生んだ。
それからほとんど時を置かず、ノイムもシャティアも、地面に這いつくばる目に陥ったのである。




