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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
五章 代理勇者の助太刀
122/128

121.かくれんぼ、在中

 これはあとから聞いた話である。


 ノイムが小さな体をせっせと運んで働いている間に、シャティアとエクシアはサルシャの町の南東に広がる森へ足を踏み入れていた。


 騎士団員の報告にあった、町から森へと続いていたという血痕はすでに確認した。湿った血だまりはたしかに真新しい。生活上の不注意や小競り合いの喧嘩で流すような少ない量でもなかった。魔族トワンが逃げるときに残したとみていいだろう。


 これを追っていけば、トワンの足取りが掴めるのではないかとも楽観した。

 しかしあくまで楽観だ。大量の血を流す傷口を、いつまでもそのままにしておくのは馬鹿のすることだった。

 ましてや相手は魔族である。人間とは段違いの自然治癒力を持つから、放っておくだけでもすっかり傷は塞がるだろうし、それが難しくても、治癒魔法を十分に施すだけの力がある。

 血痕が続いていたのは、あくまで森に入るまでだった。


(逃げるのに必死だったのと、あの怪我を治すにはさすがの魔族でも時間がかかったのと……いろいろ理由はあるんだろうけどね。もう少し血をたれ流しながら移動してくれりゃ、あたしもこんなにやきもきしなくて済んだのに)


 敵にそれを頼むのは無茶である。


 とにかく、わかりやすい手がかりは失われた。

 魔法に長けた者なら、相手の魔力を追うなんていう芸当もしてのけるのだろうが、生憎、シャティアはそこまで魔法に親しんでいない。追えるのは生きものの気配くらいだ。今この瞬間、シャティアの周囲で息づいているのは、うしろをついてくるエクシアだけだった。


(とにかく、村が無事ならそれでいい。村が無事で、トワンのヤツがどこか遠くに行っちまったってんなら、それが一番いいんだ)


 シャティアにとって、トワンの行方は二の次だ。それを自分の手で倒せるか否かなんて、優先順位は下の下である。もっとも、彼が腰から引っ下げてアクセサリーにしていた首のことを考えると、我を忘れて突っ込んでいってしまいそうなのも本当だった。実際この目で家族の首を見たあとなのだから、シャティアの頭に上った血は相当なものだ。


 しかし、トワンが持っているのは死者の首である。


 シャティアの家族はもう死んでいる。この事実は、なにがあってもひっくり返らない。

 これから犠牲になるかもしれない村には、生きた人間が大勢暮らしている。


 どちらを優先すべきかは自明の理だった。


(こんなことなら、村なんかに世話にならないで、サルシャの町で宿を取って暮らしとけばよかった……)


 悔やんだところで仕方のないことだが、どうしても考えてしまう。シャティアがあの村に身を寄せていなければ、少なくとも、この場でこうも不安に駆られることは――。


(なかった、とは言えない……か。トワンなら、ラヴィアスさんに手酷くやられた憂さ晴らしに、目についた人里を潰すくらいはしそうだもの)


 そこにシャティアが関わってくるか否かは、あまり問題ではないように思えた。

 となると、状況はなお悪いと言わざるを得ない。


 降り積もった枝葉を蹴散らす音が、静かな森にこだまする。うしろのエクシアはいたって静かに歩いているから、これはほとんどシャティアの足音だった。


 多くの木々が葉を落とす季節である。

 裸の枝の隙間から差しこむ陽の光が、いくつもの筋を作って、枯葉の絨毯の上で踊っていた。日の高い時間ということもあり、見通しはそれなりに良い。

 もちろん、村の様子まで窺えるほど視界がいいわけではなかった。

 耳に届く音にしたって同じだ。足を止めたところで、聞こえるのは風が木々を撫でる乾いた音くらいだった。


 どれくらい歩いただろう。

 迷いのないシャティアの足取りに、エクシアが待ったをかけた。


「シャティアさん、このまま真っ直ぐ向かうつもりか」

「言っとくけど、あたしはトワンを捜しに出てきたわけじゃないの」

「そうではない。我々が迂闊に動いたら、その魔族に知られてしまうのではないかと思って」


 シャティアは息を呑んで振り返った。

 少し離れたところに、立ち止まるエクシアの姿がある。彼は困ったような微笑を浮かべていた。不安や怯えから、及び腰になっているわけではない。


「わたしの考えすぎならかまわないんだ。わたしは黙って君のあとをついていくよ。わたしにはこのあたりの土地勘がない。闇雲に歩き回っても、迷子になるのがせいぜいだからね」


 茶化すような口ぶりだが、声はどこまでも落ち着いていた。ひとつひとつの単語を言い聞かせるように、ことさらゆっくりと紡いでいる。


「向こうも追っ手を警戒しているはずだ。わたしたちの行動や、会話は、ともするとあの魔族に筒抜けかもしれない。魔族は耳がいいとラヴィアスどのも言っていただろう。用心するに越したことはないのではないか」


 エクシアがすべて言い切るころには、シャティアもすっかり冷静になっていた。


「落ち着いたかい」

「おかげさまで。団長サンの言うとおりだ」


 シャティアたちが村に顔を出すことで、かえってトワンを村へと案内することになってしまわないかと、エクシアが言いたかったのはこういうことだ。言われてみればもっともである。


 また、言われないとわからないのも問題だった。

 シャティアは自分が思うよりもずっと、焦っていたらしい。


「あたしってば、そんな簡単なことにも気づかないなんて……」


 深くこぼした吐息が、冬の空気に溶けていく。


「黙っていようかとも思ったのだが」

「言ってくれて助かったよ。本当に気づいてなかったんだ」


 それはよかった、とエクシアが頷いた。


「しかしわたしが指摘したのは、魔族がまだこの森に潜んでいて、かつ一歩も出ていない場合の話だ」

「わかってる。ちょっと厄介だね」


 村がすでに襲われている場合、シャティアたちはなによりも早く駆けつけなければならない。


 逆に村がまだまったくの手つかずである場合、同じことをすれば、トワンに「ここに村があります。シャティアと懇意にしている村です」と教えてやるようなものだ。


 まずは村に接触することなく、その無事をたしかめる。シャティアたちにはそれが求められていた。


「上から見よう。木に登れば結構な範囲が見渡せるはずだ」


 サルシャの町と自分の村とを隔てる森の全容を頭に思い描く。シャティアは進む方角をきっぱり変えて、今度は走りはじめた。


「あまり派手に動くのもどうかと思うが……」

「言ってろ」


 ここでトワンがシャティアを狙ってくるのならそれでいいのだ。

 たとえシャティアがトワンに劣っていることが明らかでも、エクシアが加わったところで結果は変わらないとしても――もっとはっきり言えば、天地をひっくり返したところでトワンの勝ちが変わらないとしても。


 村さえ無事なら、シャティアの目的は達成される。


 ▽ ▼ ▽


 ノイムはほとんど泣きそうな顔でそれを見下ろした。


 人の腕だった。


 ほとんど根本から切断された――引きちぎられたといったほうが正しいかもしれないが、とにかく、見るも無惨な状態で、おびただしい量の血の底に沈んでいる。


 なぎ倒された周囲の木々からしても、ここで激しい戦闘があったことは明白だった。

 明らかに低くなった気温と、湿った空気。それからあちこちに残る氷柱を見れば、誰がいたのかも明らかだ。そしてもういないことも。


 とはいえまさか、()()()()わけではないだろう。


 鼻を突く鉄さびの匂いに顔をしかめながら、ノイムは血濡れた腕を拾い上げた。得も言われぬ不快感が頭をもたげたが、まさか放りだすわけにもいかない。ずしりとくる重さを胸に抱え、肩に引っかけていた弓矢を背負い直すと、血だまりを頼りに足を運ぶ。


 生きていれば間違いなく重傷だ。自力で歩くのも難しいだろう。さほど遠くまで移動できるとは思えなかったが、予想に反して、腕の主は驚くほど頑張ったらしい。


 目印を辿る合間にも、戦いの痕跡があちこちにうかがえた。

 血の匂いがひときわ濃くなる。


 もともと目立つ外見の人だから、すぐにわかった。

 とはいえ、眩い金髪も、白銀の鎧も、深紅のマントも、今はすべて血に汚れてほとんど真っ黒である。


「エクシア団長?」


 彼は木にもたれて座っていた。根こそぎ奪われた右手の傷は野ざらしのままだ。加えて、青白い顔の上では、まぶたがぴたりと閉じている。

 一瞬ひやりとしたが、幸いなことに、ノイムの声につられてわずかに碧眼が覗いた。


「……ああ、ノイムさんか」

「生きてた」

「辛うじてね。いささか血を流しすぎた」


 声に覇気がない。ほとんどささやき声だった。静寂に包まれた森の内部でなければ聞き逃していただろう。


「それだけ話せるなら大丈夫だよ」

「だと……いいのだが」


 そんなことはちらとも思っていない口調だった。

 しかし諦めてもらっては困る。彼を死なせる気は、ノイムには毛頭ないのだ。ノイムは抱えていた荷物をエクシアの膝に置いた。


「おや、わたしの腕」

「うん、落っこちてたから、拾ってきた」

「どうもありがとう」


 かすれた礼の言葉を聞きながら、ノイムは被っていたポンチョを脱ぎ捨てる。

 途端に尋常でない冷気が上半身を襲ったが、構わなかった。寒いくらいは我慢すればいい。それに、これから嫌でも暑くなるはずだ。


 脱いだポンチョを広げて、エクシアの応急処置をした。

 といってもできたのは簡単な止血だけである。それも十分とはいえない。このままでは失血死は免れない。しかしエクシアの傷をこの場で癒すことも、彼を町に運ぶことも、ノイムには不可能だった。


 エクシアも期待はしていないのだろう。流れ落ちる血をどうにか綺麗に止めようと躍起になっているノイムを押しとどめて、その小さな耳に口を寄せた。


「村は無事だよ。代わりに、わたしたちが狙われた。わたしはこのとおりだが、シャティアさんは、おそらくまだ戦っている。周りを見てもらえれば、彼らがどこに向かったかも予想できるはずだよ」


 エクシアの言ったとおりだった。そこかしこに残る戦闘の名残は、どう見たってひとところに留まっていない。森のずっと奥にまで続いている。

 その向かう先におおかたのあたりをつけたノイムは、思わず唸ってしまった。


「わかるかい」

「うん、このままいくとシャティアの村に出ちゃう」

「……そうか。ままならないものだな」


 ふー、と長く息をついたエクシアは、ゆっくりと目を閉じた。


「行ってくれ。できれば『行くな』と言いたいところだが、ノイムさんは、聞いてはくれないだろうから」

「もちろん。ここで引き返したら、なんのために来たのかわかんないよ」


 ノイムが胸を張って見せると、エクシアの口元が、かすかに緩んだ気がした。


「じきに助けが()()()()()はずだから、それまで死んじゃ駄目だよ」


 それだけ言い置くと、ノイムはエクシアの傍を離れる。

 シャティアの村を目指して、一目散に駆けだした。

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