120.幼女、奔走する
闘技大会が順調に終われば、今ごろはノイムも、自分の相棒と呼べる弓を手にしていたはずだったのだ。
(シャティアが優勝賞金を使って、私に弓を買ってくれるって言ってた……)
決勝戦に出るシャティアの相手が死んでいるのだから、今だって優勝はシャティアのものだろうが、それを言っても始まらない。
そもそも大会自体が吹っ飛んで中止になったようなものなのである。
賞金がなければあの黒光りする高級な弓は手に入らない。
切羽詰まっている以上は、あれほど上等の武器にこだわる理由もないが、弓のランクを落としたところで、それを買う金がないことには変わりがなかった。
(…………いや、でも、シャティアが優勝なのは事実だし、どうにかならないかな)
今から交渉して賞金を受け取れるようにする暇はないから、たとえば弓の代金は後払いということで、先に店主の親父に話をつけるとか。ノイムひとりで行っても信用してもらえないが、シャティアを行かせるわけにもいかないから、シャティアには一筆したためてもらって――。
「あ!!」
ノイムはソファから飛び上がった。
「ノイム!」
「大丈夫、ついてったりしないからっ」
ラヴィアスの制止を振り切って、足をもつれさせながら部屋を出る。シャティアとエクシアの姿はすでに廊下にはなかった。
エクシアの執務室は三階にある。つづら折りの階段を前段飛ばして踊り場に着地しながら、ノイムは一階まで飛び降りた。ふたりの姿はそこにもなかった。足が速い。
とはいえ、ふたりはまだ外に出たばかりだった。ノイムはすぐに追いついた。
「シャティア、シャティア、シャティア! ちょっと待ってっ!」
「ノイム、あんたは連れていけないよ。丸腰でしょ。丸腰じゃなくたって置いてくけど」
「そうだけど、そうじゃなくって! いいこと思いついたの!」
「いいこと?」
「冒険者ギルドに依頼を出すの!! シャティアの名前で、闘技場を襲った魔族が近くに潜んでいるから、征伐を手伝ってほしいって……どう?」
これを聞いたシャティアは、ゆっくりと目を見張った。明らかにそれは思いつかなかったという顔だった。
その隣でエクシアが顎に手を当て、考える様子をみせる。
「悪くない案だが、相手は魔族だ。出すなら最低でも貴人級の依頼になる。そんな高ランクの冒険者がこの町にいるだろうか」
冒険者のランクは全部で六段階ある。依頼も同じように六段階でランク分けされており、これらはすべて、冒険者ランクと同じ名称で呼ばれている。条件による上下はあるものの、基本的に、冒険者が受けられる依頼というのは、自身の冒険者ランクと同名の依頼ランクのものに限られる。
貴人級とは、下から四番目のランクだ。
それより上位のふたつは国が関わってくるような内容の依頼に限られるので、個人が出せる最高ランクの依頼と言って差し支えないだろう。
冒険者ランクになおせば、貴人級とは、魔法学園の教授を務めるような人がうじゃうじゃいるランクである。
はっきり言ってレアだ。場末の町に転がっているような人材ではない。
エクシアが不安がるのも当然だった。
ノイムは内心の自信が表に出ないように努めて抑えながら、なおも食い下がった。
「でも、出して損することはない。でしょ?」
「それはそうだが……」
「私がひとっ走り行って、申請してくるよ。でも私の名前じゃ無理だから、シャティア、ちょっと引き留めることになっちゃうけど」
「一筆したためればいいんだね、わかった。団長サン、書くものちょうだい」
「わかった、少し待っててくれ」
詰所に駆け戻ったエクシアに続いて、ノイムとシャティアもなかに入った。
エクシアが紙とペンとインク壺を抱えて戻ってくると、シャティアは一階の適当な場所で立ったまま筆を執った。
ノイムはシャティアが書くよりも早く横から手を出した。
エクシアの用意した紙を破って二枚にする。
「ノイム?」
「もう一枚書いてほしいの。というか、サインだけちょうだい」
ノイムが最初に考えていた、弓の代金を後払いする件である。駄目ならそれで構わないが、どうせ外に出るのだから、試したっていいはずだ。
シャティアからペンを奪ったノイムは、片方の紙に、鍛冶屋の親父に向けた簡単な誓約書のようなものを書いた。相変わらず上手いとは言えない文字だったが、読むのに苦労しない程度には整っている。十分だろう。
「それとも、ぜんぶシャティアに書いてもらったほうがよかったかな?」
「いンや、あの親父なら大丈夫だろ。でも、ノイム、武器があったって――」
最後まで言わせる前に、ノイムはシャティアにペンを返した。
「早く早く、いいから名前!」
「はいはい、書けばいいんでしょ」
シャティアには続いて、もう一枚の紙に、冒険者ギルドに依頼をする旨をしたためてもらった。これで完璧である。
「村が襲われたりなんかしないで、これの出番がないのが一番なんだけど」
シャティアは時間を無駄にはしなかった。ひとり言のように呟きながらまっすぐ外へ出る。
「準備しておいて損はない、だよね」
「そのとおり。じゃ、あとは頼んだよ」
「うん、頼まれた。ふたりとも気をつけてね」
今度こそシャティアとエクシアを見送ると、ノイムは自ら筆を執って、冒険者ギルドに宛てた書類に一文書き足した。
(損はないどころか、絶対に必要だよ)
なにしろノイムである。
何度でも言おう。運の悪さについては筋金入りだ。
トワンは必ずシャティアの村を襲う。これは断言していい。
となれば、急いで行動しなければならない。二枚の書類を丸めると、ノイムは三階に駆け戻った。
「ラヴィーさん、さっきの私たちの話聞こえた?」
「あんなに大きな声で騒いでいればね」
「止めないよね?」
「要は、ちょっとしたお使いでしょう。邪魔をする気はありませんから、いってらっしゃい」
六歳児をひとりでお使いにいかせるのは不安だという思いは、ラヴィアスにないようだった。それとも、間接的にでも、シャティアの村を助けるような真似はしたくないということだろうか。
なんにせよ、今のノイムにとっては都合がいい。
ノイムは緩みそうになる頬を必死で叱咤しながら、急いで踵を返した。
視界の隅でシンシアが腰を浮かせかけているのが見えたが、無視である。ノイムは冒険者ギルドに寄り、鍛冶屋の親父を訪ね、その足でそのままシャティアたちを追うつもりなのだから、シンシアを連れていくわけにはいかないのだ。
階段を往復したせいですでに息を切らしはじめていたが、ノイムは足を止めなかった。
冒険者ギルドはほとんど騎士団詰所の正面だ。目抜き通りから少し奥に入ったところにある。
両開きの扉に体当たりする勢いで飛び込んだノイムは、二階の受付に走り、ほとんど投げるように書類を渡した。
恐ろしい短時間で細部を詰めると――矛盾しているように聞こえるかもしれないが、ノイムが一方的に用件だけを並べ立てて話を終えたのだから、細部を詰めたことも、普通の依頼申請ではあり得ない短時間で済んだことも本当である――ノイムは風の速さで踵を返した。
以前シャティアとふたりで来たときに顔見知りになった冒険者たちが目を丸くして声をかけてきたが、当然、まるっきり無視である。ちらとも目をやらないまま、入ってきたときに負けない勢いで冒険者ギルドをあとにした。
次は鍛冶屋だ。
森からは離れるように移動するので、もどかしい気持ちにさせられるが、まさか丸腰でトワンと戦うわけにはいかない。
残りひとつになった書類を抱えて、短い足をせいぜい限界まで動かして、飛ぶように走った。
目的地に着いたとき、ノイムはすでに汗だくだった。
戦いの前に体力を使い果たしてどうすると思わなくもないが、ノイムの武器は弓矢だ。シャティアのように敵に肉薄して拳を打ち込む必要もない。エクシアのように剣の届く範囲まで駆け寄る必要もない。
射程圏内にさえ入ってしまえば、ノイムの場合は、動き回るのはかえって狙いを外す要因になる。走れなくなるまで疲れてしまっても、なんとかなる。はずだった。
「おじちゃん……」
息切れでほとんどしゃべることができなかったので、ノイムは抱えていた書類を店主に押しつけた。書面に軽く目を通した親父は、まず店の奥に引っ込んだ。
(たぶん、オッケーってことだよね?)
答えは、親父が抱えてきた矢筒が示してくれた。矢がたっぷり詰まっている。
親父の手際は鮮やかだった。以前、親父がノイムに勧めたヴァンドラゴンの黒弓を壁から下ろし、あっという間に弦を張って、使えるように整えた。そうしてすっかり準備のできた弓矢をノイムに差し出しながら、
「持っていけ」
これだけ言うと、あとは知らんとばかりに店の奥の椅子に座り直す。
「ありがとう、おじちゃん!」
ノイムは手を振って店をあとにした。
正直もうへとへとだったが、のんびり歩いていく暇はない。疲労で笑いはじめている膝をどうにか奮い立たせ、ふたたび走りだした。




