119.責任、抱き
ノイムは深呼吸した。
たっぷり十回も息を吸って、吐いてを繰り返し、それでも躊躇って、ずいぶん長い葛藤のあとに、ようやくか細い声を出した。
「………………私、廃墟にあったお屋敷で、四人の家族が描かれた肖像画を見つけたよ。そのうちのひとりが、ラヴィーさんにそっくりだったんだけど……」
「私と家族の肖像画です。あなたが入ったのは私の生家ですね」
「か、勝手に入ってごめんなさい?」
「構いません。すでに廃屋になった場所です。私も、もうそこには住んでいませんから、立ち入るのに許可など必要ありませんよ」
「……そっか」
本当に本当に心臓に悪い会話である。
これをさらに続けなければいけないというのだから、ノイムの小さくか弱い心臓は、今にも爆散してしまいそうだった。
「あの…………どうしてシャティアの村の人が?」
その先を言葉にして質問する勇気はノイムにはなかったが、幸いなことに、ラヴィアスはきちんと答えてくれた。これを幸いと呼べればだが。
「私の家族と……といっても、ほとんど父ひとりの力でしたが、それと街の人間との戦いで、とても人が住める状態ではなくなってしまいましたから。生き残った者も少ないと聞きます。街を再建するよりも、放棄して居を移したほうが早いと、そう考えたのでしょう」
実にわかりやすく、かつ、聞き手の寿命を縮める解説である。
「それじゃ、あのあたりだけ王家直轄領になったのは」
「無論、私の家族のことが原因でしょうね。街ひとつが滅んだ事件ですから」
本質はそこにはないだろう。
人里に住んでいた長命種の一家が、実は魔族だったと判明した。当然、人間はこぞってこれを排除しようとする。魔族は……ラヴィアスの一家は抵抗する。これはもう、人間対魔族のプチ戦争だ。
あの土地がタブー視されるのも当然である。
今は廃墟となったあの街に住んでいた人間が、迫害されるのもまた、当たり前のことだった。結果的に正体を暴いたとはいえ、最初は魔族と知らずに仲良く共存して暮らしていたのだ。魔族とともに暮らしていた街の人間など、どの土地でも受け入れられない。
だから周囲はあの村を迫害した。その理由は人々の記憶から失われて久しいが、迫害するという行為だけは今でも残っている。
(冒険者ギルドがシャティアの申請……村の依頼を握り潰したのも、『あの村には関わってはいけない』みたいな言い伝えがあるからなんだな、きっと)
もちろんこんなこと、口が裂けても声に出しては言えない。
一言でも言及すればノイムは死ぬ。どころか、それをここで耳にしたシャティアもシンシアもエクシアも、ラヴィアスの手で皆殺しだ。
ノイムは言葉の代わりに、胃のあたりからなにかがせり上がってくるのを感じた。喉が焼けつく。まさか吐くわけにもいかないので、必死に飲み下してやり過ごした。
ラヴィアスの落ち着いた口ぶりからすると、かつて彼の街で起こったこの事件については、すでに人々の記憶から忘れ去られて久しいようだった。今はもう、あの場所に魔族が住んでいたという過去を知る者は、誰もいない違いない。
シャティアの村の人間でも――かつて魔族とともに街に住んでいた者の子孫たちでさえも、知らないことなのだ。
「さて、あまり悠長に話をしている暇はないでしょう。先ほどの魔族がその村を襲うというのなら、私は手を出しません」
部屋の気温が氷点下まで落ちたのに対し、ラヴィアスの声音はやや高くなっている。
「そして、サフィート騎士団は動けない。さあ、残っているのはあなたひとりですよ、シャティア」
たったひとりで魔族に挑むことができるのかと、ラヴィアスは問うた。
彼の唇には、薄っすらとした笑みが乗っている。なまじ顔がとびきり整っているがゆえに、見た者を氷漬けにしかねない恐ろしい微笑だった。氷魔法よりもよっぽど効果がある。
対するシャティアは、さすがに沈黙のままではいなかった。すっかり干からびてしまったらしい唇を濡らし、口を開く。
声は少しだけ、震えていた。
「……あたしひとりじゃ、トワンは殺せない。逆に殺されるのが落ちね」
「ちょっと待ってよ!!」
絶叫したのはシンシアだ。
「ラヴィアスさんの家族を、その、こ……殺したのは、ずっとずっと前の時代の人なんでしょ? 今、生きているのは、その人たちの子供の子供の、そのまた子供の……とにかく全然関係のない子孫なんだよね? それなのに!」
「両親は常々、今度は女の子がほしいと言っていました。私に妹が産まれることはもう永遠にありません。弟はまだよちよち歩きの幼子でした。彼が成長して結婚し、子供を残す未来は二度と訪れません」
ラヴィアスはシンシアを怒らなかった。諭したりもしなかった。
ただ、きっぱりとした口調で言った。
「しかし私の父を、母を、弟を殺した人間たちは、子孫を残しました。これからも着々と血を繋いでいくでしょう」
だから許せないのだとも、永遠に憎み続けるのだとも言わなかった。
それでも威力は十分だった。
シンシアはラヴィアスを非難した姿勢のまま、口をぽっかり空けて、動けなくなってしまったのである。
末代まで祟るなんて言葉があるが、ラヴィアスは、自分の家族を殺した人間たちを末代まで恨み続けるのだろう。何代も下って過去を知る者がいなくなっても関係ない。少なくとも今はまだ憎んでいる。
自ら虐殺をするなんて真似に走らないだけマシといえた。
(…………そういえば、今代の魔王って、人間の国をひとつ滅ぼして乗っ取ったんだよね)
ノイムは即座に考えるのをやめた。
いま考えるべき問題はそこにはない。考えたところで詮無いことだ。
(トワンの口からラヴィーさんの正体をばらされるのは、ラヴィーさんだって困るはずだけど……)
トワンを排除することでシャティアの村が助かるというのなら、トワンは放置する。少なくとも、彼が村を壊滅に追いやるか、あるいは村とは全然関係のない方角に逃げるかするまでは、なにもしないつもりなのだ。
ラヴィアスがいるのならトワンの件は簡単に片付くと思っていたが、逆だった。
ラヴィアスがいるから、シャティアは窮地に立たされている。
これはもう、前世よりもよほど悪い事態といっていいだろう。
(モニカのときと同じだ)
彼女が死んだ原因を突き詰めれば、デビーに目をつけられているノイムにたどり着く。
今回も同じなのだ。ノイムがいなければ、ラヴィアスがこの時期このタイミングで、サルシャの町に滞在することにはならなかった。トワンは前世のように、シャティアを散々いたぶった末に殺さずその場を去っただろう。
ノイムがいるから、ラヴィアスが来た。そして事態は複雑化した。
村がトワンに襲われる。助けに行けるのはシャティアひとりだ。あとは言うまでもない。
考えうる限り最悪の結果が訪れる。
「ラヴィアスさんの助けは借りない。サフィート騎士団もあてにできない。だからって、ここでじっとしているわけにはいかないよ」
ソファから身を起こしたシャティアは、今度こそ部屋を出ようとした。最初に報告を受けたときの取り乱しようは、もう、どこにも見られなかった。完全に肝が据わっている。なにが起こっても、村の皆を見捨てることはしないと、それだけを誓って動こうとしている。
「あたしは村に戻る。トワンが森に身を隠していたり、村を無視して遠くに逃げたんだったら、それでいい。あたしも無理には追わない。追ったところでどうにもできないからね。でも、万が一、村があいつに襲われるようなことがあれば、あたしは徹底的に戦う。トワンに勝てなくたって、村のみんなを逃がすくらいの時間は稼いでみせるさ」
それに、と続けたシャティアの頬が緩んだ。
「あたしひとりってのは、かえっていいかもしれない。あの村にあたしが住んでるって知ったら、トワンはまず放っておかないだろうけど、似たようなことは、ここにいるあんたたちにも言えるからね。あたしのせいでトワンがみんなに妙な興味を抱いたりしたら……申し訳ないなんて言葉じゃ足りない。うん、やっぱりあたしだけのが都合がいい」
シャティアがひとりでに納得して頷いたときである。
「いや、わたしも行こう」
すかさずエクシアが水を差した。
立ち上がった彼に、思いきり渋い顔を向けたのはシャティアである。
「それはまずいんじゃないの」
「騎士団を動かすわけじゃない。エクシア・サフィートという個人が、友人のために手を貸したいと思って行動するだけだ。問題ないだろう」
となると、この鎧は脱いでから行ったほうがいいのだろうか……などと真面目に考え込んだエクシアに、シャティアははっきりとため息を吐いた。
「団長サン……それ、屁理屈っていうんだよ」
「迷惑かな?」
「いいや、大助かりだ。ありがと。ところで鎧はそのままがいいと思うよ。脱いじゃったら、いざというときに守りが薄くなる」
「それもそうだ」
さっさと話をまとめたふたりは、扉を開けて廊下に出た。
ノイムもシンシアも動けなかった。自分も行くなんて言える状況ではない。やめてくれと止めるわけにもいかない。なにを言っても足を引っ張ることになる。
(せめて私にも得物があれば……)
武器さえあれば、ノイムは同行を申し出ることができたのに。
そうなると、いよいよラヴィアスに「これ以上は付き合い切れない」と言って見捨てられるだろうが、それを思うと胃も胸もきりきりと痛む心地だったが、この際もう仕方がない。背に腹は代えられないのだ。
優先順位をつけなければならない。
今は目の前のことを重視するべきときだった。




