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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
五章 代理勇者の助太刀
116/128

115.逃げ足、速く

 観客エリアに上がってきたシャティアは、土魔法を唱え続けているラヴィアスに目礼をした。話しかけては邪魔になる。速やかに彼の脇を抜け、まっすぐノイムのところへ来た。


 シャティアの表情は険しかった。

 ノイムの両脇に手を差し入れて、ひょいと持ち上げる。振り回しかねない勢いで全身をチェックすると、がちがちに固まっていた頬を緩めて、ほっと息をついた。ノイムの無事に安堵した顔だった。


「まともに食らったかと思って、寿命が縮んだよ」

「避けたよ、ちゃんと」

「あんたがはしっこくて、ほんと、よかったわ」


 シャティアはノイムを下ろした。ほとんど落っことすような放しかただった。力が抜けたのかもしれない。


「あたしは団長サンを手伝ってくる。ラヴィアスさんが足止めしてくれてるうちに、全員逃がしてやんないとね」


 大混乱の観客席を見渡したシャティアの声は硬かった。そこには、あたしの事情に巻きこむわけにはいかない、という決意が現れている。


「シャティア、あの人は誰なの? あなたのことを知ってるみたいだったけど」


 事情を知らないシンシアが首を傾げる。

 その短い赤毛をわしゃわしゃと撫でて、シャティアは笑った。ぎこちない笑みだった。


「あたしの敵」


 答えはそれだけだ。シンシアが聞き返す隙を与えず、女拳闘士は背を向けてしまった。


 観客席からエントランスへ降りる階段は、押しかけた人々のおかげで栓をしたように塞がっている。互いが互いの進路を邪魔して、結局、全員の足が止まっていた。それが余計に恐怖を煽り、観客はさらなる恐慌状態に陥っている。悪循環である。


 シャティアはこの出口に猛然と突っ込んでいった。

 階段に殺到する観客を鎮めることは、シャティアにとって赤子の手をひねるよりも簡単だった。少なくとも、ノイムの目にはものすごく楽々とこなしているように見えた。


 押しのけ、殴り、引きずる。

 シャティアがやっているのは、ただそれだけだ。力にものを言わせて、避難者をきちんと整列させる。おかげで観客はたちまち秩序を取り戻した。すっかり埋もれて人混みの藻屑と化していたエクシアも助け出した。

 その場が問題ないとみると、シャティアはさっさと次の出口へ向かって、同じように押しのけ、殴り、引きずるを繰り返す。


 闘技場の舞台を囲んで輪っかになった観客エリアには、合わせて六個の出口がある。すべてエントランスから客席に上がるための階段だ。シャティアはノイムたちの位置から左回りに、そのひとつひとつに群がる客を整頓して回っていた。

 舞台を挟んで向かい側の観客席で、シャティアらしい人影が飛ぶように走っているのが見えた。五つ目の出口の制圧に取りかかるところである。


 シャティアは、いくつか声をかけただけでその場を離れた。

 さすがに手際が良すぎると思ったら、どうやら、観客たちは自力で冷静さを取り戻したらしかった。


 人混みでぎゅうぎゅうに押されながら、絶えず恐怖で叫び続けるのは無理がある。必ず、疲れに負けて我に返る瞬間がある。わずかに戻った冷静な思考で、舞台に現れた侵入者が足止めされて動けないことを知り、ほかの出口が秩序を取り戻して自分たちよりもスムーズに逃げることができているのに気づき、徐々に落ち着きを取り戻したのだ。


 シャティアが両手を上げて合図をした。

 すでにほとんどの客が避難を済ませていた。残っているのは、エクシアを含むサフィート騎士団と、空いた出入り口から客と入れ替わるように上がってきた自警団の連中と、ようやく観客席の混乱から脱出できた血気盛んな戦士たち、そして言わずもがな、ノイムたちの一行だった。


 ラヴィアスが魔法を唱えるのをやめた。何度か咳き込みながら、額にうっすらと浮いた汗を拭う。


「まったく、舌がもつれるかと思いましたよ」


 同じ文句を絶えず繰り返して口に出していたのだから当然である。


「聞いてたこっちはとっくにゲシュタルト崩壊を起こしてたよ」


 クゲルフェルスだかクルゲフェルスだったか、ラヴィアスが正しい魔法を唱えていたのかどうかもわからなくなっていた。よくも噛まずに、語順も間違えずに言い切ったものである。


「ゲシュ――なんですって?」

「なんでもない」


 伝わらなかったらしい。ノイムは即座に話を切り上げた。

 無論、わざわざ説明している余裕なんかあるわけない。すっかり人の減った闘技場内に、けたたましい高笑いが響いたのである。


「はー、この僕が! ここまで綺麗に押さえこまれるなんて、なかなかやるじゃないかっ」


 ようやく自由を得たトワンの背では、真っ黒い翼が一対、羽をまき散らしながら羽ばたいていた。楽しそうな笑顔を貼りつけたまま、彼は宙に飛び上がる。


 両腕を広げたよりもずっと長く大きく広がる黒翼(こくよく)は、それだけならほかの種族にも当てはまる。しかし、加えて長命種の証である尖った耳があるとなると――長耳と黒翼を併せ持った種族となると、それは魔族に限られるのである。


 観客席に残っていた人間たちが、残らず息を呑むのが感じられた。


 どうも魔族の持つ()()()が、人間たちに本能的な恐怖を抱かせるらしい。太古から争いを続けてきているふたつの種族だから、血に刻まれたものがあるのかもしれない。

 とにかく、相手が魔族だとわかった瞬間、示し合わせたように、その場にいた人間は顔色を変えたのである。


「まぞく……」


 ノイムの隣では、シンシアがか細い声を上げた。みるみるうちに頬から血の色が引いていく。なまじ髪が真っ赤なだけ、血の気を失った顔は、見ているこちらが不安になるほどに白く映る。


 観客の避難誘導を終えたエクシアなども、剣を抜いて構えてはいるものの、顔が真っ青だった。

 とはいえ、彼は戦う意思があるだけマシだ。ほかの騎士団員や自警団の連中はもっと酷い。戦う前から戦意を喪失している。剣を抜いていないのはまだいいほうで、体を丸めて座席の下に隠れようとする者すらいる始末である。


 トワンは震えおののく彼らを眺め、満足そうに目を細めた。


「あーあーあー、お客さん、ほとんどいなくなっちゃった。それに、こんなにたくさん味方を使うなんて、ずるいよシャティア」


 ちっともずるいなどとは思っていない口ぶりである。なにしろ顔はずっと笑っている。


「だから名前を呼ぶなっての!」


 シャティアがものすごい形相で噛みついた。今はもう、トワンに対する怒りしか宿っていないようだ。怯えがなくなったのはよいことだが、その原因がもし、ノイムが攻撃を受けたことにあるのだとしたら、気まずい気がしないでもない。


 威勢よく反抗してくるシャティアさえも、トワンにとっては面白い玩具かなにかでしかないようだった。ますます笑みを深めると、唇に人差し指を添えて首を傾げた。


「だってずるいのは本当だ。なんだよ、さっきの魔法! あれは君じゃないだろ? あんな強力なの撃ってきちゃって、反則だよ。いったい誰――」


 わざとらしく額に手をかざし、体ごと回転して観客エリアを見渡す。

 当然、その視線はラヴィアスを捉えた。


「あれえ?」


 これまたわざとらしく目を見張ったが、この驚愕は少なくとも本物のようだった。

 トワンは顎が落っこちる勢いで口を空けて、ラヴィアスに指を向けた。そのまま空中で硬直している。よほど衝撃だったらしい。


 ラヴィアスは誘われるように前に出た。

 最前列の座席まで下りていくと、その先を阻む壁を蹴り上げる。彼は重力をものともしない軽やかさで、舞台と観客席を隔てる壁の上に立った。

 ラヴィアスを指さすトワンの手は、今や激しく震えている。


「なんだ、君――いや、あなたは――」

グラスオグ(氷の爪)


 ラヴィアスは最後まで言わせなかった。

 トワンがノイムに向けて放ったのと同じ魔法。詠唱を破棄して呪文だけを唱える、同じ発動方法。しかし威力が桁違いだった。

 ラヴィアスの放った氷の槍は一本だけだったが、槍というよりも、もはや柱だった。ひと抱えもある、両端の尖った太い柱である。

 トワンの片方の翼に大穴が空いた。というよりも真っ二つにちぎれて落ちた。ラヴィアスが放った氷柱に対して、魔族の黒翼はあまりにも細く、そして小さすぎたのである。普通であれば魔族の翼に小さいなどという表現は間違っているのだが、このときばかりはそう表するしかなかった。


「な、なん――でッ」


 あえなく地面に墜落したトワンの表情が一変した。余裕の笑顔が消えて、焦りが生まれる。

 そしてその顔は、直後に響いた轟音と、ほとんど爆発するように舞い上がった粉塵の向こうに隠れてしまった。


 トワンの落下と同時に、ラヴィアスが足場を蹴って、弾丸のように飛びだしていたのである。


「え、えっ?」


 シンシアが目を瞬いている。無理もない。ノイムにもほとんど見えなかった。辛うじて視界に捉えることができたのは、ラヴィアスの手元に彼愛用の大剣が出現した部分だけだ。「あ、剣出した」と思って瞬きをしたら、もう舞台の向こうで盛大な破壊音が響いていたのである。

 ラヴィアスはトワンに斬りかかり、トワンはなす術もなく吹っ飛ばされた――のだと思う。もくもくと立ちこめる砂煙に隠れて、彼らの様子はまったく視界に映らない。


 しかしノイムはまったく心配していなかった。どころか、今日で一番安心していた。


 だって、ラヴィアスがやる気を出したのなら、話はそれで終わりなのだ。

 トワンに助かる道はない。


 自らの手で家族の首を取り戻すと誓っていたシャティアには申し訳ないが、あの不届きな魔族は、魔王の手で屠られるだろう。


 ――と、視界が晴れるまでは思っていた。


「……あれっ」


 舞い踊っていた砂塵が落ち着くと、なんと、そこに立っていたのはラヴィアスひとりだった。崩れ落ちた闘技場の壁の、瓦礫の山を足で崩している。トワンが生き埋めにでもなったのかと思いきや、瓦礫の下は空っぽだった。


 すぐ傍で歯ぎしりが聞こえた。いつの間にやら傍に来ていたシャティアだった。


「逃げ足の速いヤツ……」

「シャティア?」

「ラヴィアスさんがトワンを吹っ飛ばした位置、あれ、舞台から出る通路のひとつだよ。トワンのヤツ、うまく体を滑りこませてまんまと逃げちまいやがった」


 ノイムがぽっかり口を開けたまま、シャティアから舞台の向こうに視線を戻す。


 ラヴィアスが頭上に大きなバツ印を作って、こちらに合図を送っていた。シャティアの言うとおり、トワンに逃げられたのだ。

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